USHINABE SQUARE

クラシック名盤・名曲と消費 生活 趣味

エロール・ガーナー


ジャズ・ピアニストのエロール・ガーナーのピアノが好きだ。


エロール・ガーナーは、1940年代から1970年代に活躍したピアニストとして、ジャズファンにはよく知られている。小さい頃から音楽に親しみ、独学でピアノをものにした左利きのピアニスト。彼は、生涯にわたって楽譜が読めなかった。彼には絶体音感が備わっていたのか、楽譜がなくても、聴いた曲を自分のピアノで再現して聴かせた。有り余る才能と揺るぎない個性を持った彼にとって、楽譜は不要なものだったのかもしれない。


左手は利き手であるため、五本の指を駆使した重厚な和音で、右手は華やかなシングルトーン。そして彼の特徴の一つである、「ビハインド・ザ・ビート」。低い音域をカバーする利き手のテンポが正確であるのに対し、右手はやや遅れて出てくる。左手と右手の微妙なずれが自然なアドリブみたいに、音楽に生き生きとした躍動感を与えている。彼のピアノから弾き出される音の粒は、北海道で食べるイクラのように一粒一粒が美しく、生命力に満ちている。彼の音楽作りは、古風で、懐古趣味的で、レトロで、やや大げさである。表現に小難しいところはなく、ひたすらエンターテイメントに徹している。彼はステージでも笑顔を絶やさなかったというくらいで、眉間に皺を寄せて演奏することもない。客は彼の陽気なピアノにつられて心が躍るような、幸せな気持ちになる。


そんなエロール・ガーナーの良さを一言で言うと、「味がある」ということだろうか。嫌いな人にとっては、「癖がある」と感じるのかもしれないが、好きな人にとっては「味がある」ということになる。楽譜を読めず、独学だけで来た人ゆえに、彼の前に同じようなスタイルのピアニストは存在せず、彼の後に同様のスタイルのピアニストは現れなかった。ワン・アンド・オンリー。エロール・ガーナーよりも正確にピアノを弾く人や、華麗に弾きこなす人は多いのかもしれないが、彼のようにオリジナルなピアニストは他にはいない。


エロール・ガーナー『ミスティ』


ミスティ

ミスティ


エロール・ガーナーは楽譜が読めないのに、いくつもの名曲を残している。後に歌詞も付けられてジャズボーカルのスタンダードナンバーにもなった『ミスティ』もエロール・ガーナーの作品だ。彼にとっては演奏・録音という行為でしか作品が生まれなかったはずなのに、今でも演奏され、歌い継がれている。それは凄いことだ。名曲『恋とは何でしょう』もエロール・ガーナーにかかると、とてもノスタルジックで1950年代の風景が思い浮かぶようだ。『フラントナリティ』はガーナ―節が全開。


エロール・ガーナー『コンサート・バイ・ザ・シー』


コンサート・バイ・ザ・シー

コンサート・バイ・ザ・シー


『四月の思い出』、『枯葉』、『パリの四月』などのスタンダード曲が満載。『枯葉』はビル・エヴァンスと比べて聴きたい。全然違う。芸術性と大衆性。もちろんそれぞれに優劣はない。両極端という感じがする。ノスタルジックで優美で、最後はかなりパワフル。ハンマーで叩くみたいな、力強いピアノを聴くことができる。


■エロール・ガーナ―『コンサート・バイ・ザ・シー(完全版)』


コンサート・バイ・ザ・シー 完全版

コンサート・バイ・ザ・シー 完全版


『コンサート・バイ・ザ・シー』の発売から60年後に未発表曲11曲を含む完全版が発売され(数年前のことだ)、ファンを喜ばせた。全3枚のうち、完全版としての演奏は2枚のCDに収められ、残る1枚には原盤のプログラムが高音質で収録されている。高音質なのは3枚目だけではなく、全編リマスタリング処理されている。


エロール・ガーナー『パリの印象』


パリの印象

パリの印象


旅先のパリでさらに陽気なエロール・ガーナー。パリの空気と合っているのだろうか。『ラ・ヴィ・アン・ローズ』、『ムーラン・ルージュの歌』がとてもパリらしい。とても楽しい演奏で、聴いていると陽気になってくる。また、このアルバムでは、何曲か、ピアノに替えてチェレスタを演奏した曲があり、それも聴きどころとなっている。

『左手のためのピアノ協奏曲』の名盤


ラヴェルのピアノ協奏曲は2曲残されている。どちらの曲も、私がクラシック音楽を意識的に聴こうと思って色々と聴き始めてから、最初の頃に聴いたピアノ協奏曲だった。


私は元々、クラシック音楽をメインで聴いていた訳ではなかった。音楽鑑賞は好きだったが、本格的にCDを集め出したのはジャズからだった。いまでもジャズのCDは、クラシック音楽ほどではないが沢山持っていて、CDラックの広い範囲を占拠している。


昔、ジャズを聴いていた頃、クラシック音楽に詳しい知人に、ラヴェルの2つのピアノ協奏曲、つまり『ピアノ協奏曲ト長調』(以下、『ト長調』)と『左手のためのピアノ協奏曲』(以下、『左手のための〜』)を勧められた。


「ジャズが好きなら、ラヴェルのピアノ協奏曲を聴いた方がいいよ。ラヴェルのピアノ協奏曲は2曲あって、ジャズの影響を強く受けているんだ。ジャズが好きならきっと気に入ると思うよ。」


当初は『ト長調』の方に夢中になって、『左手のための〜』はそれほど聴かなかったのだが、いまは後者の方を好んでよく聴く。メロディも斬新で、迫力満点。そして、ラヴェルの素晴らしいオーケストレーション。新しく、ややグロテスク。獰猛でありながら、華やかな曲だ。


この曲は、第一次世界大戦で右手を負傷したピアニスト、ウィトゲンシュタインの依頼によって作られた曲で、ピアニストは右手を使わずに、左手だけで演奏する。クラシック音楽の楽曲の種類には、バラエティに富んだ曲が多いが、そんな曲まであるとはなんて深遠な世界なんだろう、と、当時とても印象的だった。


しかしこの曲は、ピアノパートのあまりの難しさに、依頼した本人が弾きこなすことができず、それがもとでラヴェルウィトゲンシュタインは疎遠になってしまったとか。


左手は通常は低音域の位置にあるので、それだけで曲を書くと単調なものとなってしまう。そういう制限を抱えたまま、広い鍵盤を左手だけでカバーし、両手で演奏するのに遜色ない和音を出すいうのがこの曲の面白いところである。『ト長調』同様、ピアノパートだけが目立つ作品ではなく、ピアノ入りのオーケストラ作品としての完成度が非常に高い。また、ピアニストにとっては非常に高いレベルの技巧を要求される難曲で、『ト長調』の方よりも難度は高いらしい。


それでは、私が好んで聴いているCDをいくつか紹介していきたい。


クリスティアン・ツィマーマン


ラヴェル:ピアノ協奏曲、高雅にして感傷的なワルツ

ラヴェル:ピアノ協奏曲、高雅にして感傷的なワルツ


まずはツィマーマンのピアノとブーレーズの指揮による演奏を、この曲の定番に挙げたい。計算された迫力、緻密な構成、テクニック、音色の美しさ、申し分ない。クリーブランド管による極上のサウンド。精度が非常に高い。スワロフスキーのクリスタルのような、透明な響きに痺れる。細部にまでツィマーマンの美学が行き届いた丁寧な演奏で、安心して聴くことができる。


■モニク・アース


ラヴェル:ピアノ協奏曲、左手のためのピアノ協奏曲/バルトーク:ピアノ協奏曲第3番、他

ラヴェル:ピアノ協奏曲、左手のためのピアノ協奏曲/バルトーク:ピアノ協奏曲第3番、他


新しい演奏は解像度、見通し優先で、モニク・アースのような、雰囲気のある音色が少なくなった。ひたすら上品である。お屋敷で深窓の令嬢が弾いていそうなノーブルな演奏となっている。


■ピエール=ロラン・エマール

ラヴェル:ピアノ協奏曲

ラヴェル:ピアノ協奏曲


このCDは、「鬼才」ピエール=ロラン・エマールによるお国ものという訳で、聴かないわけにはいかない。同時に収録されている『ト長調』の方が私にとってはあまり好みでなかったが、『左手のための〜』の方は名演。オーケストラの冷たさ。冷たいピアニズム。凍えるような冷たい迫力に、こういうタイプの演奏もあるのかと、カルチャーショックを覚えた。凄い演奏だ。


ユジャ・ワン


ラヴェル:ピアノ協奏曲、左手のためのピアノ協奏曲、他

ラヴェル:ピアノ協奏曲、左手のためのピアノ協奏曲、他


若きテクニシャン。ずば抜けたテクニックと曲の本質を鷲掴みにする高い音楽性。メカニカルな面では、詳しいことはわからないのだが、柔らかいのに強靭で、腕のバネの素材が違うのではないかと思わせるようみたいで、こんなに躍動感のあるパッセージを聴かせるピアニストを私は他に知らない。現役のピアニストのなかでも最高レベルのテクニックではないだろうか。もう出てきてから暫く経っているが、個人的には彼女の登場は、クラシック音楽を聴いてきて、大きなものだった。登場時のインパクトでは、アルゲリッチに並ぶ(リアルタイムで知らないけれど)。中国出身のピアニストには他に、同じくテクニシャンで売れっ子のラン・ランがいるが、私はラン・ランよりも好きだ。

SONYのワイヤレス『MDR-1000X』


ソニーのワイヤレス・ノイズキャンセリング・ヘッドフォン『MDR-1000X』を買った。



→2017年1月29日のブログ「ゼンハイザー『MOMENTUM On-Ear Wireless』を買った」

→2016年8月18日のブログ「Bose『Quiet Comfort 25』」

→2016年3月13日のブログ「ゼンハイザー『HD598』/DENON『MM400』」


過去に当ブログで紹介してきたように、これまでいくつもヘッドホンを購入してきた。冷静に数を数えていくとげんなりするが、それぞれに良い点があるし、これまで新しいものを買っても古いものを使わなくなるということがあまりないので、自分なりに納得している。



そこで今回買ったソニーの『MDR-1000X』はどうなのか。これがとても良い製品だった、どのくらい良いかと言われると、いままでいろいろ買ってきて、用途に応じて使い分けてきたが、これで他を使わなくなってしまった。そのくらい良い。


音だけで言うと、他に良いものがあるかもしれない。


つけ心地で言うと、他にもっと楽なものが見つかるかもしれない。


見た目がスタイリッシュで、持つ喜びが得られるものが他にもあるかもしれない。


私はテレビもソニーで、出たばかりの頃にCDウォークマンも使い(最初の頃の名称は『ディスクマン』だった)、過去にはバイオも使い、電子手帳『クリエ』まで使い、『PS VITA』すら持っている、ソニーファンなのに、ソニーのヘッドホンに対して偏見があった。ゼンハイザーとかBOSEを重用していた。しかしこんなに良いとは。


まず、ノイズキャンセリングの性能が最高だ。地下鉄で静かなピアノ曲を聴けるレベル。ノイズキャンセリングの性能は凄まじく、車内のアナウンスさえも消してしまう(右耳のハウジングを右手で覆うとマイクから外の音を拾うこともできる)。


そしてBluetoothで、コードの煩わしさから解放される。私は持っていないが、新しい『iPhone 8』、『iPhone X』のも最適だろう。


サウンドは昔のソニーから想像される、派手目のものではなくて、客観的に、バランスよく鳴らせるタイプ。ジャズにもクラシックにもJPOPにも合う。音の傾向は、神経質なものではなく、スケールもじゅうぶんだ。私の好みだった。


地下鉄の車内で、ショパンのバラードを聴いている時、音楽以外の周囲の音は無音となる。ソースの録音状態にもよるが、ピアノの音だけでなく、ピアニストの呼吸、ペダリングの音、ピアノの鍵盤が動く物理的な音まで再現する。


最高のノイズキャンセリングの性能に加え、音質の良さが際立っている。付け心地だって、ゼンハイザーの『MOMENTUM On-Ear Wireless』を凌駕し、付け心地に定評のあるBOSEの『Quiet Comfort 25』に迫る。『MDR-1000X』は、今後名機と言われるようになるのではないか。


市場には新しいバージョン『MDR-1000XM2』(以下『M2』)が登場しているため、価格が下がっているのも決め手になった(在庫はまだあるのだろうか)。『M2』では、バッテリーの持ちが伸びている。



出掛けて行くとき、常に鞄に入れて持ち歩いている。ヘッドホンにしてはコンパクトだが、小さいバッグには入らないので、新しいバッグを買った。これで、地下鉄でも、騒がしい喫茶店でも、音楽に没頭できる。ラヴェルのオーケストラ作品を聴いている時など、ヨーロッパのどこかの街のまるで音響のよいホールで聴いているみたいだった。


ヘッドホンの購入もこれで、打ち止めとなるか。

謹賀新年・『アルプス交響曲』


あけましておめでとうございます。当ブログにご訪問いただきいただきありがとうございます。


今年も皆様にとって、良い年でありますことを願っています。


◇  ◇  ◇


≪今年の抱負≫

  • 以前に比べると更新頻度は減っているが、昨年末にメトネルのことやモダン・ジャズ・カルテットのことを書くことができて個人的には良かった。いつかブログで紹介したいと思っていたからだ(その割に、短い文章で、大したことのない内容ですみません)。今年はクラシック音楽とジャズだけでなく、ポピュラー音楽も取り上げてみたい。
  • 昨年10月に写真のための新しいブログを立ち上げたものの(→第二ブログ『さすらい人幻想曲』)、最新記事が「京都の紅葉」という、すでに放置状態となってしまっている。それを何とかしたいというのが二つ目の抱負。


◇  ◇  ◇


最後に新年、聴いていたCDを紹介して終わりたい。年始からよく聴いていたのは、ニューイヤーコンサートで演奏されるヨハン・シュトラウス一家ではなく、全く関係のない、リヒャルト・シュトラウスの『アルプス交響曲』だった。正月に富士山を見て、久しぶりに『アルプス交響曲』を聴きたくなったのだ。


R.シュトラウス:アルプス交響曲

R.シュトラウス:アルプス交響曲


このCDは、アンドレ・プレヴィンウィーン・フィルを振った演奏で、1989年の録音と、相当古いものではないが、名演奏として知られている。私が初めてこの曲を聴いたのは、このCDだった。


アルプス交響曲』は、リヒャルト・シュトラウスの登山の体験が元になった曲で、夜の場面から始まり、日の出、山登り、道に迷う、頂上、雷雨、日没などの様々な場面を経て、最後、再び夜を迎えるというストーリーの交響曲だ。場面が浮かぶような様々なモチーフ、豪華絢爛なオーケストラ、泣けるメロディーなど、オーケストラを聴く喜びに満ちた曲だ。


アンドレ・プレヴィンの音楽作りは、自分が前に出るものではなく、客観的で、響きもややスッキリしている。スペクタクルというか、映画音楽的で、指揮者自体ではなく、ウィーン・フィルの美しいサウンドに集中できる。頂上の場面では、私は元日に初日の出を見たわけでもないのに、見た気分になった。音で新年の気分を体験した。


久しぶりに聴いた『アルプス交響曲』を気に入ってしまい、しばらく、色々な録音で試している。


それでは、本年もどうぞよろしくお願いいたします。

『はふう聖護院』のサーロインステーキ

先日(まだ秋だった。1ヶ月以上前の話だ)、京都の聖護院の秋の特別拝観に行ったついでに、肉料理の名店『はふう聖護院』に行ってきた。『はふう』は、肉料理の名店で、各種グルメガイドの常連。聖護院店は、聖護院の西に、本店は京都御所の南にある。



秋晴れの一日。


 


特別拝観の後。不動明王をはじめとする仏像と素晴らしい仏縁を結んだ後に、肉なんて。あっさりしたものの方がふさわしいのではないか。良いのだろうか。良いに決まっている。


私は一人なので、カウンターに案内される。


コートを預け、カウンターに座り、メニューを眺める。995円の日替わりランチから、3,000円程度のビフカツ、ステーキ丼、1,580円のハンバーグ、1,750円のエビフライのランチ。いろいろある。私は4,500円の特上サーロインのランチを注文した。4,700円のフィレステーキと迷ったが、フィレよりは脂身が多い肉を食べたい気分だったので、サーロインを選んだ。


4,500円と言うと、居酒屋で飲み放題込みの値段である。普段のランチなら1,000円でも高いが、なかなか京都まで来ることはないので、私は数千円の節約よりも、一時の経験を買う。普段は安く済ませているし、聖護院のお不動さんにお参りしてきたので、たまに贅沢しても罰は当たらないだろう。


注文して、料理がすぐに出てくるわけではないので、辺りを見回す。そうやっている間に私のサーロインステーキが絶妙な火加減で焼かれているはずだ。


客は、一人客、カップル、地元の人、日本人観光客、外国人など様々だ。隣の二人客は、医学用語が自然に登場するその会話から、医師だろうか。ここは京大医学部付属病院が近い。また、見るからに高そうなスーツを着た男性客と、羽振りがよさそうな女性客。また、私の分身を見ているような普段着姿の男性の一人客。ランチは日替わりが1,000円程度からあるとはいえ、安い店ではないので、全体的には、お金を持っていそうな客が多い。私を除いて。


私は開店して間もないので、待たずに案内されたが、その後、次々に客が入り、2〜3組ほど並んでいる。平日なのに。観光シーズンでもあり、人気店なのだ。



そのうち私の料理が運ばれてくる。というかカウンター越しなので、「はいどうぞ」と言う感じで、目の前に置かれる。ランチの詳細は、生野菜のサラダ、付け合わせのパスタ、切り干し大根の小鉢(日替わりか?)、味噌汁。切り干し大根というのが京都らしい。そしてそれが薄味なのにきちんと出汁の味が生きていて京都らしかった。



肝心のステーキは、西洋料理のメインで出てくるタイプのステーキだ。鉄板焼きのステーキではなく、厨房で調理された状態で出てくるステーキだ。外側はしっかり焼き目がつけられている。中身は中心に向かうほど赤い。しかしきちんと火は通っていて、中心部まで温かい。絵にかいたようなミディアムの焼き加減。私はレアとかあまり好きではなく、ミディアムかミディアムウェルくらいを好む。このくらいが一番好きだ。


薬味は、酸味のあるポン酢ベースのソースと、マスタード、岩塩を好みに応じてつける。どれも甲乙つけがたい。素材が生きる形となっている。そして上に乗っているガーリックチップ。仕事のある日なら取り返しがつかないことになってしまうが、その日は休みで、ガーリック全然OKである。私はガーリックチップを載せた状態の一切れを、ポン酢の皿に投入して、ソースを肉に絡めて口に運ぶ。食材のうまみが口の中で弾ける。マスタードをつけるとドイツ風。ドイツの古い街のビアホールで食べる肉みたいだ。岩塩。これも合う。手で塩をつまんで揉むようにして、肉にふりかける。絶妙。


柔らかい肉は人を幸せになる。火に当たった外側の少しばかりの歯ごたえと、ぐにゅっとした中心部の柔らかさが絶妙なハーモニーを奏でる。適度にサシが入っていて、全然脂っぽくない。そして肉自体の甘さを感じる。良い肉を使っている。


さすがに4,500円払うだけあり、値段相応の肉。考えてもみれば、4,500円と言えば、鉄板焼きでステーキを食べるよりは安い。チェーンのステーキの店でも良い肉を選ぶとそれくらいする。4,500円と言うと高く感じるが、内容的には良心的なのかもしれない。


130グラムくらいでそれほど大きくないが、とても満足した。私はその日の幸福なランチを終えて、京阪電車の神宮丸田町の駅に向かった。


【はふう聖護院】
住所/京都府京都市左京区聖護院山王町8
営業時間/11:30〜13:30 17:30〜21:30
定休日/火曜日

メトネルのピアノ協奏曲第1番


今日は、私が好きなメトレルのピアノ協奏曲第1番について書いてみたい。メトレルは、ロシアの作曲家で、ラフマニノフより少し若く、ストラヴィンスキーよりやや年長だ。同じロシア出身の作曲家でも、ストラヴィンスキーやたちがおこなった新しい音楽とは一線を画し、一途に古典的音楽を書いた人である。出自を辿ればドイツ系で、宗教はプロテスタントロシア革命後にロシアには戻らず、フランスを経て、最終的にはロンドンで没するという経歴を辿った。

メトレルは、多数のピアノ曲のほか、全部で3曲のピアノ協奏曲を残した。ほとんどの曲がこれまで日本ではあまり演奏されることはなかったが、2004年に、マルカンドレ・アムランソリストを務め、東京フィルの演奏で、第2番の日本初演を行った。1番や3番は日本で演奏されたことがあるのだろうか。私は3番をそれほど好まないが、1番は2番と同じような匂いを持った曲で、規模で言っても同じくらいの作品だが、私が好きなのは1番の方だ。

Piano Concertos

Piano Concertos


ピアノが先導する冒頭の主題が凄い。続くオーケストラ。音の洪水のように猛烈なオーケストレーション。私がこの曲を初めて聴いたときの衝撃は、ニールセンの交響曲第4番『滅せざるもの(不滅)』を聴いたときの衝撃に近いものがある。冒頭の数音を聴いただけで圧倒された感覚は他にあまりない。ニールセンの4番と、この曲くらいだ。突然目の前に現れた巨大なもの。安っぽい共感を拒絶するような孤高の存在。覚悟を求められるような恐るべきテンション。


全曲に渡って、共通するモチーフが支配する循環形式の協奏曲で、ピアノとオーケストラは対等に渡り合う。ピアノが主役でオーケストラは添え物というタイプの曲ではなく、ピアノ入り交響曲と表現しても良いような曲で、その点では、ブラームスの2曲のピアノ協奏曲やシューマンのピアノ協奏曲に近い。そのうえ、ピアノのパートは傑出したピアニストでなければこなせないような超絶的な技巧が必要とされる。3楽章構成の曲は続けて演奏され、冒頭から最後まで素晴らしい緊張感がみなぎっている。

この曲から感じるのは、美しさと厳めしさと雄々しさ(迫力)である。ラフマニノフみたいにロマンチックな旋律と、シベリウスみたいな厳しさ、ニールセンのような迫力。35分弱くらいの曲だが、通して聴くと、一仕事終えたような疲労感と、すごい音楽体験をしたという充実感が残る。


こんなに素晴らしい曲だが、世間的にはマイナーな名曲の範疇にとどまっている。こういう曲は時々聴いて、「良い」と思うタイプの曲なのかもしれないが、私はメトレルのピアノ協奏曲第1番は、チャイコフスキーラフマニノフのピアノ協奏曲と同じくらいの頻度でよく聴く。私のなかではマイナーな佳曲という位置付けでなく、王道のピアノ協奏曲となっている。

M.J.Q.『たそがれのヴェニス』


M.J.Q.(モダン・ジャズ・カルテット)の『たそがれのヴェニス』を聴いている。昔、イタリア旅行で訪ねたヴェネツィアのことを思い出す。


たそがれのヴェニス<SHM-CD>

たそがれのヴェニス


ヴェネツィア・サンタルチア駅を降りると、既に磯の香りがしている。駅を一歩出ると大運河が視界に入る。ヴェネチアの大運河カナル・グランデに架かる橋は全部で三本ある。そのうちの一本、スカルツィ橋を渡り、いよいよベネツィア本島の路地に足を踏み入れる。路地から路地へ。広場から広場へ。小さな橋や大きな橋を渡り、運河から運河へ。水上バスを乗り継ぎ、市場を巡り、滞在していた4日間、宛てもなく歩いた。迷ったら、とりあえずサンマルコ広場を目指した。ヴェネツィア本島内には車が一台も走っておらず、移動は、徒歩か水上交通のみ。バイクを使ったスリに気を付けないで済むのが嬉しかった。21世紀にこんな都市が成立していることが信じられなかった。


夏のハイシーズンで宿を探すのに苦労した。私は、駅から徒歩15分くらいのところに宿を見つけた。冷房はなく窓が開放されていた。蒸し暑く、蚊が多かった。イタリアの蚊が容赦なく私を刺した。私はベネツィアに4日日滞在し、朝から晩まで、端から端まで歩き回った。ある日は、水上バスの行き先を間違って乗ってしまい、リド島まで連れていかれた。リド島の波止場に着いたとき、島内では車が走っていた。それが当たり前なのにその光景が珍しかった。たそがれ時、みるみるうちに空がどんよりとしてきて、急な雨に襲われた。すぐに豪雨となる。傘を持っていない私は、雨に打たれた。


その日の夕食はホテルの近くのレストランでとった。前菜とパスタの店だった。イカフリットボンゴレを食べた。小さな店で、活気もそれほどなく、地元の人の胃袋を満たすためだけにあるような店だったが、味は確かだった。最後にデザートとエスプレッソを注文した。コカ・コーラの瓶を模した看板が軒先に立てられていた店だった。


M.J.Q.の『たそがれのヴェニス』は、ロジェ・バディム監督の『大運河』の映画音楽として録音された。初期の名盤だ。彼らのオルバムの中では、名盤である『コンコルド』、『ジャンゴ』ほどの知名度はないアルバムだが、私はこのアルバムを愛してやまない。駄作がないといわれる、M.J.Q.のアルバムのなかでも、私が一番好きな作品だ。

モダン・ジャズ・カルテット(M.J.Q)『たそがれのヴェニス


1. ゴールデン・ストライカ
2. ひとしれず
3. ローズ・トルク
4. 行列
5. ヴェニス
6. 三つの窓


スマートでアイディアに富んだ『ゴールデンストライカー』。1950年代という時代を感じさせない。年代物なのに開けたら新鮮な味に驚くワインのようだ。


『ひとしれず』は、穏やかな曲が、最後に盛り上がりを見せる。


『ローズトルク』では、哀愁漂うテーマがリズミカルに演奏される。


そしてこのCDの中心的な楽曲と言える『ヴェニス』。私がヴェニス旅行に行ったのは随分前のことだが、社内放送でイタリア語の特徴的なアクセントで、「次はヴェネツィア・サンタルチア」と放送されたとき、この曲が頭の中で鳴っていた。これから始まる旅への期待。素晴らしい旅になるに違いないという興奮。私の中で旅のテーマソングとなっていた。


M.J.Q.のスタイルは端正で知的だ。ジャズというイメージでよりも、イージーリスニングのイメージでも聴くことができるが、音楽的には実はすごいことをやっている。対位法的で、クラシカルで、そつがなく、魂は熱い。バッハが1950年代のアメリカにに生きていたらこういう音楽をやったかもしれない。ヴァイブラフォンのミルト・ジャクソンは燃えている。ピアノのジョン・ルイスはクールで、気が利いている。彼らが奏でるハーモニーと、テクニカルなアドリブの連続に心が躍る。


目を閉じて聴いていると、あの夏のイタリアの風景を思い出す。

第2ブログ開設

別ブログを開設しました。


【→新ブログ『さすらい人幻想曲』】


写真は別でやりたいな〜というのが元々あったのと、旧ブログの私のデザインが写真の表示に適していなかったので、思い切って、別ブログでやることにしました。


元々のブログは、クラシック音楽を中心に、その他の音楽のこと、買い物、グルメ情報を中心に続けていきます。新ブログでは写真をメインに書いていくつもりです。新ブログには、写真旅が最もふさわしいコンテンツですが、なかなか写真旅には行けないので、日頃の写真がメインコンテンツになります。旧ブログは「はてなダイアリー」ですが、新ブログは、「はてなブログ」でやっています(はてなで新ブログのサービスが始まった時に元々のブログも移行しようかと思ったが、踏ん切りがつかなかった)。


新ブログのタイトルは『さすらい人幻想曲』です。シューベルトピアノ曲から採りました。新しいブログはクラシック音楽のブログでないのに、クラシック音楽のタイトルをつけてしまいましたが、新しいブログをやるのに真っ先にこのタイトルが思い浮かびました。


それでは、よろしくお願いいたします。