USHINABE SQUARE

クラシック名盤・名曲と消費 生活 趣味

『WALKMAN(ウォークマン)』Aシリーズ『NW-A56HN』を買った

WALKMANウォークマン)』(以下、ウォークマン)、Aシリーズ『NW-A56HN』を買った。



iTunesで取捨選択してもプレイリストから中々落とせない曲が多く、いま持っている64GBのipod touchの容量では苦しくなってきた。しかしすぐには購入に至らずしばらく検討中で、128GBのiPod touchを基本に考えていたのだが、新しいタイプのものを使用したいという、好奇心が勝った。私はiPodではなく、ウォークマンを注文した。ウォークマンはカセットテープの時代から使用し、CDウォークマンやメモリータイプのウォークマンまで使用した経験があるが、最近は全然親しみがなく、私は断然iPodシリーズばかりで、古いminiから、classic、nano、touchに至るまで、アップル一択だった。

既に慣れ親しんだものから、あまり親しみのなかった類のものに替えるというのは、酔った勢いみたいな軽さや、決心や、新しいものへの好奇心が必要である。今私の手元には新しいウォークマンがある。私はオーディオマニアではないので専門的なレビューは出来ないが、しばらく使用してみた感想を書いてみたい。



◆◆音質◆◆

まず気に入った曲を入れて、聴いてみて、驚いた。「なんとスカスカな音」。圧縮音源のクオリティーを向上させる機能、「DSEE HX」と、低域をアナログアンプのように豊かにする「DCフェーズリニアライザー」をオンにすると多少まともになったが、音のボリュームがか細く、人工的で、とても長く聴き浸ることができるような音ではない。私は間違った選択をしてしまったのか。あるいはオーディオ製品に宿命のエージングが不足しているのだろうか。そこでイアホンを耳から外して、しばらく鳴らしてみることにした。新しく手に入れたウォークマンをすぐに楽しむことはできないが、ひょっとして音が変わるかもしれない。私は全曲リピートをかけてプレイリストを上から順番に二日ほどひたすら鳴らしてみた。

そして聴いてみた結果、音が劇的に変わっている。あのスカスカの音は何だったのだろうか。まずはベートーヴェンのオーケストラ作品で聴く。まるでホールで聴いているみたいに、残響も豊かで低い音から高い音まで実に幅広く鳴らす。今度はビル・エヴァンスの曲に変えてみる。ピアノの切れ味鋭いアタック、ジャズのベースの音もズンズン響く。臨場感たっぷりだ。全体的には、iPod touchに比べると解像度が高く、元気なサウンド作りとなっているように感じた。しかし古いiPod touchの音が悪いわけではない。

イメージ的に、音質では「iPod=悪」、「ウォークマン=良」みたいなイメージがないだろうか。しかしそれはイメージであり、本当の姿ではない。私は何年も使用したiPod touchの音質の素晴らしさを再評価することになった。低音から中音、高音まで満遍なく、変な癖もなく鳴らすことができるのがiPod touchの強みだ。ソースにもよるが、キャラクターとしては音の解像度はそれほど追い求めておらず、スタンダードなサウンド作りとなっていることが、ソニーとの比較で分かった。また、低音の量感は、意外にもiPod touchの方がある。チェロやコントラバスが活躍するようなクラシック音楽の作品では、iPod touchの方に分がある。


◆◆iTunesとの連携◆◆

ウォークマンをパソコンにつないで中を開くとmusicというフォルダが見えるので、そこにiTunesに入っている曲をドラッグアンドドロップするだけ。特別の操作をしなくても、ジャケット写真も自動的に同期される。私は基本的にはSDカードメインで使用しているが、曲を本体とSDカードに適当に入れていっても、それぞれ区別されることもなく同じリスト上に表示される。パソコンとつないだ後にiTunesにバックアップすることもないので、iPodよりも速い。クラシック音楽の作品で多いのだが、同名の曲などは、フォルダにコピーするときに、どちらを残すかみたいな表示が出るので、どちらも残すにチェックをする(その場合、曲名の後に自動的に番号が付く)のが面倒と言えば面倒な点だ。


◆◆SDカードで容量を増やせる◆◆

元々容量に困ってウォークマンを買ったこともあり、64GBや128GBのSDカードを使用できるのは嬉しい。長時間のオペラも容量を気にせず入れている。


◆◆付属イヤホンについて◆◆

単体で1万円くらいするノイズキャンセリングイヤホン『IER-NW500N』が付属する。価格的にはかなりお得だ。音質は当初感じた「スカスカ」からかなり改善してはいるが、特徴的なものではなく、癖もなく、きわめてスタンダードなものだ。ノイズキャンセリングという「飛び道具」分にコストがかかっているとはいえ、音質面で3,000~5,000円のイヤホンのレベルは超えている。また、さらなるエージングで改善してくるかもしれない。

気になったのはケーブルが細い点だ。すぐに断線するわけではないと思うが、本体に巻いて傷んでもいけないので(何といっても単品で1万円である)、別売りのイヤホンケースを購入した。

ノイズキャンセリングについては、カナル型ということもあって、家で聴いていると、人の話し声も全然聴こえなくなるが、地下鉄ではそこまで劇的には消してくれない。『MDR-NC33』の頃からは向上しているが、BOSEの『QuietComfort20』ほどではない。また同じソニーでも、もっと高価な『WH-1000X』のようなノイズキャンセリングヘッドホンと比べても、感動を覚えるレベルではない。不足はないが、ハイエンドのものとは確かに違う。しかし地下鉄の騒音(轟音)の中、シューベルトピアノソナタを聴くことができるなんて、昔では考えられないことだ。


◆◆一緒に買ったもの◆◆

純正ソフトケースとイヤホンケース(純正がないので、オーディオテクニカのもの)を購入。


◆◆悪い点・改善点◆◆

アラームがない。これは様々なことができるiPod touchと違って、音楽プレイヤーだからなのかもしれないが、目覚まし時計機能やアラーム機能がないし、単純な時計(時刻表示)機能がない。本体設定で時刻を設定するのだが、それはただ設定するだけで、録音や音楽のデータベースに使用されるだけで、単純な時刻表示機能すらない。例えば、音楽を聴きながら寝て、何時に起きるみたいなことができない。それどころか、何分後にアラームなどの機能がない。例えば、音楽を聴きながら、電車で寝てしまったときに、15分後には起きたいなどのニーズには対応できない。これは困る人は本当に困るかもしれない。



私が聴くのは主にクラシック音楽で、ジャズも結構な頻度で聴き、ポピュラー音楽もたまに聴く。今の割合では、6:3:1というくらいの割合だが、『NW-A56HN』は、特に苦手なジャンルもなく、最近のソニーのオーディオ製品らしくオールマイティーな音楽プレイヤーだと感じた。そんなわけで、どこに行くにも持って出掛けている。

SONY・ハイエンドデジカメ・RX100M3

8月にソニーのハイエンドデジタルカメラ『RX100M3』を買って、しばらく使っている。



初代が2012年に発売されて、欲しいと思いながら2年くらい悩んでいるうちに、3代目のM3が発売され、シリーズはM4、M5、M5Aへと進化し、2018年12月現在では、7代目のM6が発売されている。どれも並売されてるのが偉い。それぞれの機種にファンがいる。シリーズ全体が人気だ。



肝心なのはどれを買うかということで、私はM3でなく、無印のRX100でも良かったのだが、M3の、あのポップアップ式のビューファインダーを使ってみたかった。M3が発売された当初は、高価なため見送ったのだが、価格はいまはだいぶ落ち着いている。梅田のヨドバシカメラに寄った時に、ありえない値段で売っていたので(その当時の価格コムの最安値よりもかなり安かった)、その日に買うつもりはなかったのだが、思わず手に取り、レジに向かっていた。


家に帰り箱を開けて設定をすまして、後日使ってみた感想は、「悔しいほどよく写る」ということだった。例えばオートでやや逆光で人物を撮ったとき。見事に補正されていて、まるでネガフィルムを現像に出した時みたいに、問題のない写真が出来上がる。


人物、風景、スナップ、料理の写真など、オールマイティーだ。映像素子の1インチというフォーマットも、適度に背景をぼかすことも出来るし、シャープに撮影することもできる。フルサイズやマイクロフォーサーズよりもフォーマットが小さいため被写界深度も深くなり、高画素機の割にそれほどピントにシビアでない。手ぶれ補正機能も効いている。手軽に綺麗な写真が撮れる。いや、手軽どころか、私は1200~1600万画素くらいの写りに慣れているので、この写りは凄まじい。等倍で鑑賞するのはあまり意味がないが、等倍での鑑賞にも耐えうる画像だ。


残念なのは起動で電源を落とすときのスピードがやや遅いこと。起動からレンズが伸びるときや、電源を落としてレンズがボディに収まる時の音も良くない。ジージー言って、カメラというよりは家電的で、私はあまり好きではない。もちろんそれは写りには関係ないことだが、気になる点だ。



操作するうえでは各種キー、ダイヤルの感触は悪くない。金属製で、大きさの割に意外に重さがあり、テクノロジーが凝縮された感じがあって、カメラとしての質感も高い。


(↓以下、RX100M3で撮影した写真です。)






このカメラを購入してから、どこに行くにもカバンの中に入れている。出掛ける時、いままではニコンのデジタル一眼や、富士フィルムの『X-T1』、『X100T』などもう少し大きなカメラで撮っていたのに、今はこの小さな『M3』で事足りる。複数のレンズ、複数のカメラを持たなくても、近所の散歩から、外食の時の料理の写真や、遠出や旅行まで、これ一台で済んでしまう。自分にとって、それは進歩なのか退化なのか。横着ではないのか。他のカメラを手放すべきなのか。喜ぶべきことなのか、悲しむべきことなのか。小さく軽く、写りも素晴らしい。あまりに便利なため、余計なことをいろいろ考えてしまった。

神戸新開地・『グリル一平』のビフカツ

その日、私は休日で、朝から「ビフカツ(ビーフカツ)」を食べたかった。それも、近所で食べられるビフカツではなく、本場の「ビフカツ」を食べたかった。ビフカツとは簡単に言えばトンカツの牛肉版だが、肉が違うだけで、味も食感も値段もトンカツとは全然違う。私はトンカツも好きだが、ビフカツは、ロールプレイングのゲーム風に言うと、レベルが倍は違う。あるいはビフカツは「進化」、「覚醒」バージョンである。そんなビフカツの本場は神戸。本場で食べられるビフカツは他とは違う。できることなら本場で食べたい。


私は梅田から阪急電車に乗った。目的の店は特に決めず、漠然としたまま、三宮方面に向かった。


三宮に着く前に目的の店決まるかもしれない。もし決まらなければ、とりあえず降りてみて、そのときの気分で即決しよう。特に目的地を定めずに、車窓を眺めるというのは、日頃、カレンダーや手帳の日程・時間で行動していることから考えると、とても豊かな時間のように感じられた。


電車に乗った当初、私の頭をよぎったのは、三宮から近い元町にある『洋食ゲンジ』だった。『ゲンジ』なら間違いない。想像しただけで生唾が出てきたので、飲み込んだ。また、トアロードの『もん』も良いかもしれない。ビフカツを食べて、お土産にビフカツサンドを買って帰る。それはとても良いアイディアのように思われた。しかし私は財布に5,000円ほどしか入っていないことを思い出した。


一方で、行ったことのない店への渇望がわいてきた。神戸方面には、行ったことのない店がまだまだたくさんある。しかし、今日はクリームコロッケやエビフライやハンバーグではないのだ。ビフカツは、きちんと、定評があって、知っている店で食べたい。私のなかでのビフカツを食べたい欲求は頭のなかで巨大化していた。


その後、頭をよぎるのは『グリル一平三宮店』。あそこなら間違いない。しかし三宮店。三宮店というからには本店があるはずだ。どこだろう。『グリル一平』の本店は、新開地にあるはずだ。幸い私が乗った阪急電車の最終目的地は新開地だった。新開地。その響きはとても懐かしい。昔やっていたファミコンの『ポートピア連続殺人事件』というゲームがあって、私はゲームの中で、幾度となくその地名を行ったり来たりしていたのだ。ファミコンの性能を限界まで使用した一枚のドット絵が私の想像を掻き立てた。その地名の響きは、私のなかで郷愁にも似た淡い思い出を思い出させる。

 


私が乗った阪急電車は三宮を過ぎ、花隈を過ぎ、高速神戸を過ぎ、新開地に着いた。私は電車を降りて、地上に上がる。『ポートピア連続殺人事件』のドット絵の画面とは似ても似つかない、リアルな街並みが広がっていた。新開地の街並みは、大阪の新世界のようでもあり、千日前のようでもあり、それに港町らしい開放的な雰囲気が加わったような、独特な雰囲気を持っていた。メインストリートの左右には、風情というよりは、味のある街並みが広がる。


着いたのが早すぎたので、私は近所を散策する。落語の寄席で話題になった喜楽館。新開地にあったのだった。いかにも落語の好きそうな方々が吸い込まれていく。今日も公演が予定されていた。チケットもありそうだが、洋食を食べに来たのであった。



新開地商店街のアーケードを北へ歩き、南へ引き返し、時間となり私は店を訪れる。開店間もない時間なのにすでに先客がカウンターに一人とテーブルに一組いた。私がカウンターの席に座ると、店の人がメニューと水を持ってくる。こちらのお店では、ビフカツは、メニュー名では、「ヘレ・ビーフカツ」と書かれている。100グラムと130グラムを選ぶことができて、前者は1,600円、後者は2,100円だった。私は迷わず2,100円の130グラムを選択した。昼に2,100円とは高価だが、ビフカツの値段である。大体このくらいはかかる。


私が待っている間、続々と客が入って来る。とはいっても、行列ができるほどはない。スーツ姿や普段着。一人客も多く、多くても二人客まで。グループ客はあまり見当たらない。この辺りに働きに来ている人が昼食をとりに来ているようだった。みんながビフカツを注文しているわけではなく、多くの人はリーズナブルなランチを食べていた。



私はカバンを開いて、デジカメを設定したり、スマホをチェックしたりしていた。それほど待たされないうちに、料理が運ばれてくる。


付け合わせの野菜。ポテトサラダ風のマッシュポテト。ショートパスタがお洒落である。


嬉しい外食。ビフカツを食べる。ソースはコクがあって、やや苦みがあって、老舗洋食店らしく、歴史の豊かさを感じさせるものだった。ナイフとフォークを使用して肉を切るが、箸でも切れそうな柔らかさだ。衣の中の牛肉はミディアムレアで、旨みたっぷり。噛みしめる度にさらにおいしくなっていくグミを噛んでいるような食感。



アップで。『食べログ』だったら、肉の断面を撮影したりするのだろう。食べている途中で撮影すると、食べることに集中できなくなってしまうので、いつも撮影できないでいる。前述したように、肉の断面は、ミディアムレアの赤色である。その旨みたっぷりのビフカツに、秘伝のソースがたっぷりかかっているのが嬉しい。ナイフとフォークで切り分けて、口に入れる。ビフカツが口の中に残っているうちに、ライスを食べる。至福の時間。130グラムにして正解だった。


ビフカツを食べていつも思うのは、豚肉が牛肉に変わっただけで、トンカツとはどうしてこんなにも違うものなのかということだ。例えば肉を焼いたときにも豚肉と牛肉は違うが、衣に包んで揚げると、さらにその違いが増幅される。レベル倍増である。何に似ているということもなく、ビフカツはビフカツとしか表現のできない食べ物だ。この一食のために、三宮や神戸を越えて、新開地まで来たのだった。


私は料理をすべて食べ終え、会計を済ませて店を出る。往復1,000円以上も使って、わざわざ新開地まで来た甲斐があった。

【グリル一平 新開地本店】

住所:兵庫県神戸市兵庫区新開地2-5-5 リオ神戸 2F
営業時間:11:30~15:30(L.O.)/17:00~20:30(L.O.)
定休日:木曜(※祝日時は水曜振替)、第3水曜

ショパンの舟歌のプレイリストを作って聴く

ショパン舟歌が好きで、クラシック音楽を聴きはじめてから今日に至るまでずっと聴いている。

あまりに好きなので、私はiTunesで、お気に入りの様々なピアニストによって演奏される、「舟歌だけのプレイリスト」を作っている。軽い気持ちで聴き流すと、いつの間にか聴き浸ってしまい、この音楽の持つ流れるようなリズムと、叙情的な旋律に、身を委ねることになる。


◇  ◇  ◇


ショパン:4つのバラード、幻想曲、舟歌

ショパン:4つのバラード、幻想曲、舟歌

最初は、クリスティアン・ツィマーマン。一言で言うと完璧主義者の舟歌だ。私がショパンに夢中になったのは彼のショパンを聴いたからであることを思い出した。クリスタルのように澄んだ音色。完璧なテクニック。絶妙なテンポ。詩的で、エレガントで、ノーブル。これを聴いて、嫌いになる人はいないだろう。万人にとって最良となり得る演奏。

ラフマニノフ:ピアノ・ソナタ 第2番/ショパン:ピアノ・ソナタ 第2番、他

ラフマニノフ:ピアノ・ソナタ 第2番/ショパン:ピアノ・ソナタ 第2番、他

エレーヌ・グリモーは男性ピアニストと比べても勝るとも劣らない力強いタッチが中性的で、フランス人なのにドイツ風の骨太な演奏がとても良い。

プレイリストは、ルービンシュタインの演奏する到達する。ルービンシュタインの演奏は、度量が大きな人のように、安心感がある。豊かな音色には、豊かな人生が反映している。実に堂々としていて、揺るぎない信頼感がある。

ボジャノフ ワルシャワ・ライヴ (Live in Warsaw / Evgeni Bozhanov plays Chopin, Schubert, Debussy, Scriabin, Liszt) [輸入盤]

ボジャノフ ワルシャワ・ライヴ (Live in Warsaw / Evgeni Bozhanov plays Chopin, Schubert, Debussy, Scriabin, Liszt) [輸入盤]

エフゲニ・ボジャノフの演奏は、個性的だ。覚醒的で、緻密で、非常に解像度の高い写真のような演奏となっている。それでいて独特のスケール感を持っており、まるで交響曲を聴いたような満足度のある演奏である。ボジャノフは、ピアノの達人で、テクニックは憎らしいほど完璧。解釈は確信的。この演奏からはショパンが「ピアノの詩人」であるとは思えない。一般的にイメージするショパンの演奏とは確かに違っているのだが、聴き終わったときにこちらのイメージを塗り替えるような力強さを持っている。とても聴きごたえのある演奏となっている。

デビュー・リサイタル

デビュー・リサイタル

マルタ・アルゲリッチ。この演奏はデビューリサイタルからのものだ。聴いていて強く感じるのは、これは舟歌のリズムではなく、アルゲリッチのリズムだということだ。独特のタッチ。独特のテンポ。少し聴いただけでわかるアルゲリッチ特有の音。彼女だけの音楽。いてもたってもいられなくなるような、掻き立てられるような、焦らされるような、強烈な求心力を持った音楽。悪魔に魅入られたように、彼女から発せられる音楽に支配される。鮮烈で、魅惑的な舟歌

ワルシャワ・リサイタル~バレンボイム・プレイズ・ショパン

ワルシャワ・リサイタル~バレンボイム・プレイズ・ショパン

ダニエル・バレンボイム。新しい録音なので音質が素晴らしい。まるで空気の震えまで収まっているかのような臨場感。現代を代表する指揮者としても有名なバレンボイムはピアニストとしても現代を代表する存在だ。この演奏はピアノを、ショパンを、観客を知り尽くしている、という感じで、私などは軽く捻られる。かといって蓄積や昔の財産で食っているような嫌みはなく、最高のパフォーマンスを出すための真摯な姿勢が見える。レストランで高価なワインを注文すると大抵満足する。定評のあるものは大抵素晴らしいものだ。高価なバレンボイムのリサイタルに行った気分が味わえる。


◇  ◇  ◇


そうやって沢山のピアニストの舟歌を聴いていると、舟歌のノスタルジックな旋律に乗って、ピアニストの生きざまのようなものが伝わってくる。私はピアノの演奏はできないし、聴くばかりだが、音楽を通して伝わってくる彼らの人生の豊かさみたいなものひしひしと伝わってくる。

巨匠・バレンボイムの次は、若いピアニストが待っている。

Chopin: Mazurkas Op.56, Nocturne in B Major, Scherzo in E Major, Piano Concerto in E Minor Op. 11

Chopin: Mazurkas Op.56, Nocturne in B Major, Scherzo in E Major, Piano Concerto in E Minor Op. 11

ダニール・トリフォノフ。瑞々しくて、若い。コンクールの演奏なので、観客の緊張感みたいな雰囲気がある中で、若いピアニストが果敢に、怖いもの知らずで攻めている。作品への没入は周りが見えなくなるほどで、途中で彼の演奏を止めることはできない。ピアノに没入し、存在を消していくのにしたがって、現れ出る音楽の影は次第に巨大化していく。瑞々しいエネルギー、繊細きわまりないタッチ、高い音楽性が高度に結晶した素晴らしい演奏を聴くことができる。

トリフォノフは別の演奏もプレイリストに入れている。このアルバムのメインは、ゲルギエフが指揮するチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番だが、舟歌カップリングされている。コンクールではないので、ややリラックスした気持ちで弾いているのだろう。演奏はやや丸くなっており、技術的にも完璧だが、私はコンクールの方の、粗削りではあるが、個性が前面に出た演奏が好みだ。

ショパン:スケルツォ全曲、子守歌、舟歌

ショパン:スケルツォ全曲、子守歌、舟歌

マウリツィオ・ポリーニは基本的にアスリートだと思う。ツィマーマンが「柔」であればポリーニは「剛」。すべての音符を平等に音楽にしていく迫力。前に向かう推進力。テクニックに優れたピアニストはポリーニ以降も現れたが、彼の、鉄のような意思を感じるような、苛烈なピアニストは見たことがない。

ラファウ・ブレハッチI

ラファウ・ブレハッチI

ラファウ・ブレハッチ。最後には、最もショパンらしい演奏をプレイリストに入れている。ブレハッチは、ツィマーマンと同じようにポーランド人であり、美しい音色や繊細なタッチが共通するが、全然違う香りがするのはなぜだろう。ブレハッチのピアノには骨董品のような素朴な輝きがある。ブレハッチは、ツィマーマンほど完璧主義的ではない。例えばツィマーマンがリサイタルに自分のピアノを持ち込んでホールの音響を考慮して徹底的に調整するのはよく知られているが、ブレハッチはそこまでしないだろう。あるいはどこのコンサートホールに備え付けのピアノでも、自分らしい音を聴かせるのではないか。ロマンチストであり、高度なテクニックを持つ、同じポーランド人なのに、両者の演奏は全く異なる。しかしどちらもショパン舟歌のとても優れた演奏となっている。

このようにプレイリストで音楽を流していくとあっという間に時間が過ぎていく。

京都国立近代美術館・『東山魁夷展』・会期終了間際の平日

京都国立近代美術館で行われている『東山魁夷展』に行ってきた。

 

8月29日から行われていたので、そのうち行けるだろうと思っていたら、もう会期終了間際。この三連休で終わってしまう。

 

東山魁夷といえば、私は以前に長野市の『長野県信濃美術館・東山魁夷館』に行って以来のファンで、画集も持っている。現在、私が一番好きな画家かもしれない。今回の展覧会は、彼の生誕110年という大規模な回顧展で、これは今回の機会を失したら、次はいつになるのかわからない。

 

kaii2018.

exhn.jp

私は金曜日が休みだったので、早起きして京都まで行ってきた。平日なのでそこまで混んでいないと予想していたが、万が一、チケット売り場が混雑していたら、出鼻をくじかれるので、私は予めローソンチケットでチケットを購入していた。

 

f:id:ushinabe1980:20181005110559j:plain

 

京都市営地下鉄東山駅で降りて地上に上がり、三条通を少し歩き、神宮道のところで左に曲がる。そうすると平安神宮の大鳥居が見えてくる。左右に割烹やうどん屋、和菓子屋、高級そうなマンションが整然と立ち並ぶ神宮道を北に向かって歩く。左手に今回の会場である京都国立近代美術館があり、右手には京都市美術館がある。京都市美術館は現在改装に向けた工事を行っている。

 

チケット売り場の人だかりはまばらで、行列にはなっていなかった。しかし土日祝の三連休はどうなっているのか想像がつかない。

 

東山魁夷展』は3階から始まる。階段で上るが、エレベーターの出口から入る入口と、階段から入る入口と、2ヵ所になっており、階段からの方は、狭いうえに、右に行くのか左に行くのかはっきりせず、最初の導線に躓いている印象で、団子状態となっている。しかし、そこを抜けると、混雑してはいるが、数珠つなぎというほどではなく、しっかりと絵と向き合って鑑賞することができた。

 

◇  ◇  ◇

 

展覧会の構成は、『1.国民的画家』、『2.北欧を描く』、『3.古都を描く・京都』、『4.古都を描く・ドイツ、オーストリア』、『5.唐招提寺御影堂障壁画』、『6.心を写す風景画』の全6部構成となっている。

 

まず入ってすぐの左手に『残照』がある。そして右を向くと『道』が見える。全部が有名作品と言っても過言でないほど、よく知られている作品ばかりだが、繊細な筆遣い、微妙な色遣いといい、実物大の大きさから得られる迫力といい、原画に触れることの経験の大きさを感じるものだった。どちらの絵も東京国立近代美術館の所蔵で、私にとっては原画は所見だった。

 

続いて『北欧を描く』、北欧シリーズでは、『映象』、『冬華』が心に残った。この日は一日、蒸し暑い日だったが、このエリアは心情的にとても寒く凍えるようだった。

 

『古都を描く・京都』シリーズでは、『花明り』の前でしばらく足を止める。円山公園の夜桜を描いたこの作品のように美しくて幻想的な桜は写真でも見たことがない。そして、光悦寺の茶室を囲む光悦垣を描いた『秋寂び』。『年暮る』では、京都の年の暮れの雪景色が描かれている。京都に住んでいた時、年末、こんな雪の時があったと思い出した。『東福寺庭』。私は趣味で写真をやるので、こういう構図がとても勉強になる。こういうふうに切り取るのかと。相当思い切っている。なのにこれ以上思いつかない。『散紅葉』。こちらも光悦寺の紅葉が描かれている。

 

『古都を描く・ドイツ、オーストリア』シリーズでは、私が特に好きな作品たちと出会う。私は日本の写真家が撮影した西洋の写真がとても好きで、それは理由が何なのかわからないが、同じように、日本の画家が描いた西洋の絵がとても好きだ。『晩鐘』、『窓』、『霧の町』『静かな町』。私の中では、モーツァルトの音楽が流れていた。

 

唐招提寺御影堂障壁画』シリーズは圧巻だった。何しろ唐招提寺の御影堂内部を再現してしまったのだ。まず、鑑真の故郷である揚州の風景を描いた水墨画は、初めて挑戦したということだが、初めて云々というレベルではない。同じスタイルである。真の巨匠は道具を問わない。鑑真が渡って来た海を描く『濤声』。そして『山雲』の前に立った時、私は美術館の中ではなく、霧の中、和歌山県の熊野あたりの山中にひとりぽつんと立たされているような錯覚を覚えた。圧倒的なリアリティを持った傑作で、自然の声を聞いたようだった。

 

これで3階の展示は終了となり、4階に階段で上る。

 

4階の展示は、これまでの展示と比べて数は少ないものだったが、『心を写す風景画』というテーマで、印象的な作品が多かった。『白馬の森』、『草青む』、『緑の窓』、『行く秋』、『木枯らし舞う』がよかった。

 

全体的を通してみると、私が好きな作品ばかりだったということもあるが、今年行った中で、ベストの展覧会に挙げたい。平日にしては混雑していたが、ゴッホ展や、フェルメール展、伊藤若冲展などのハイパー(スーパー)混雑の催しと比べると、全然ましだった。十分に足を止めて、時間をとって、絵に集中できる。しかしそれも京都での話。より多くの人が集まる東京ではその限りではないのかもしれない。

 

とても素晴らしい展覧会に、会期終了間際だったが、行くことができて良かった。しかしあまりにも素晴らしかったので、東京での展覧会にも行きたい気持ちになっており、困っている。

『はてなダイアリー』から『はてなブログ』へ移行しました

本日、『はてなダイアリー(以下、ダイアリー)』から『はてなブログ』へ移行しました。

ブックマークの変更をお願いします。

ushinabe1980.hatenadiary.jp

2006年から『ダイアリー』でクラシック音楽を中心とするブログを書いてきましたが、2019年春に『ダイアリー』のサービスが終了することとなり、『はてなブログ』に移行しました。記事やコメントの移行は問題なく行うことが出来ましたが、リンクが消えていたり、カテゴリーの順序が崩れていたりするので、これから細かい調整が必要です。

移行して間もないのですが、徐々に直していきますので、今後ともよろしくお願いいたします。

心斎橋『ばらの木』

久しぶりに心斎橋の『ばらの木』に行った。


以前には時々行っていたが、何年ぶりだろう。この周辺を歩くことが少なくなって、めっきり行くことがなくなったのだ。


その日、私は休日で、梅田から難波まで歩く途中だった。地下鉄御堂筋線であれば10分少々で到着する距離をわざわざ歩くのは何故か。そこに御堂筋があるからだ、と答えてみたところ、全く格好がつかない。特に理由もないのに私は時々、梅田から難波まで御堂筋を歩いている。距離にすると大したことはないのだが、クリアした時に、何か達成感のようなものがあって、難波のグリコの看板を過ぎて、高島屋なんば店まで辿り着くと、大した成果でもないはずなのに、多少の充実した気持ちを抱くことができる。それは、「淀屋橋から大国町まで」や、「本町から昭和町まで」では得られないタイプの達成感で、「梅田から難波」というのが別格であって、キタの梅田とミナミの難波というのが収まりもよく、両者をだいたい一本の線で結ぶ御堂筋を徒歩で歩くというのが、休みの日の小さな楽しみとなっている。



『ばらの木』は心斎橋なので、行程の四分の三を過ぎた辺りにある。昼時をやや過ぎていたため、店の外まで閑静な雰囲気が漂っていた。不思議なもので、中を見なくてもなんとなくそういう雰囲気は伝わってくるものだ。


店にはいると先客は若い男性客が一人だけ。その後、それほどしないうちに私一人となる。


カウンターだけの店で奥行きがある。照明は暗めで、食器が壁際の棚に高い密度で並べられている。地震があったら一発で全部落ちるだろうというギリギリのところで並べられている。大阪の地震後のことだったが、大丈夫だったのだろうか。


私はメニューからそれほど悩まずに今日の注文を決めた。昼でもメニューは豊富だが、私はハンバーグと真鯛のクリームコロッケのセットを注文する。エビフライが大変おいしいのを知っていて捨てがたかったが、久しぶりなのでよく注文していたものを注文した。


ハンバーグを焼く「ジューッ」という音だけが、静かな店内に響く。料理を待っているのは、私しかいないので、私のためのハンバーグが焼かれている。



まずは本汁のスープが提供される。ジャガイモの冷製スープだ。ジャガイモの冷製スープは確かビシソワーズというのではなかっただろうか。私はジャガイモの冷製スープがとても好きなので、あっという間に飲んでしまう。



その後、メインの皿が提供される。ハンバーグと真鯛のクリームコロッケと生野菜が一枚の皿に盛り付けられている。真鯛のクリームコロッケにはタルタルソースがかかっていて、レモンも添えられている。



ハンバーグは繋ぎ少な目のとても柔らかいもので、ファミレスのハンバーグとは一線を画す。その日に使う分だけを、店でミンチにし、こねて、焼く。このハンバーグは大変おいしく、ハンバーグというもののイメージの基準となるようなものだ。ソースは苦めの大人のソースで、この辺もとても好みだ。


梅田から歩いて、少し疲れた上に、私は空腹だった。こんな日は洋食がぴったりだ。


真鯛のクリームコロッケは、結構他では見ない珍しいものだが、こちらの店ではずっと以前からメニューにある。サクサクの衣をかじるとホワイトソースの濃厚な旨みが口に広がる。真鯛はたっぷり入っていて、ソースと抜群の調和を見せる。もっとたくさん食べたいが、大きさは上品なレベルで、また次に食べたいと期待させる。


食べ終わると、もう客は来ない雰囲気だった。やがて店も昼の営業を終え、夜の営業に備えるはずだった。私は会計を済ませる。マスターが扉を開けてくれ、最後の客となった私は充実した気持ちで店を出る。




外は暗い店内と打って変わって、眩しい太陽が通りを照らしていた。私は難波までの最後の行程を済ませるべく歩き出した。

『グリルばらの木(ばらのき)』
住所:大阪府大阪市中央区東心斎橋1-16-14ばらの木ビル1F
営業時間:11:30〜15:00/17:30〜21:00(O.S.)
定休日:月曜日

サザンオールスターズ『海のOh, Yeah!!』


8月1日に発売されたばかりのサザンオールスターズのニュー・ベスト・アルバム『海のOh, Yeah!!』を聴いている。前作のベストアルバム『海のYeah!!』は1998年の発売で、初めて聴いたときのことを思い出せるくらい鮮明で、近い過去のように感じていたのだが、あれから20年も経ったのか。



折角のサザンのアルバムということで、大きなイベントに臨むような姿勢がこちらにはあるのだが、その気持ちを空回りさせる、イカした(←1998年時点で死語)ジャケット。前作が「海の家」、今作が「生みの親」。タイトルからふざけて、言葉遊びをして遊んでいて、楽しい。


1曲目の『TSUNAMI』から2曲目の『LOVE AFFAIR〜秘密のデート〜』の並びなんて最高だ。冒頭から飛ばしている。サザンの最高傑作クラスの曲を続けて聴けていいのだろうか。


「これだよ、これ」と心の中で頷く。サザンの音楽が、自分を形作る要素のうちの一つだったと思えるくらい、気持ちの中に入って来る。コンサートにも行かず、オリジナルアルバムもそれほど熱心に聴かない自分を棚に上げて、「そうだ、私は何年もサザンを待っていたのか」と言ってみたい。そして、サザンの音楽が暫く心の中に居座っている。


聴きはじめたら最後。日本のポップスの財産とも言える名曲揃い。


一枚目を聴き終えたとき、あまりの傑作揃いに驚愕したところ、二枚目もそれに勝るとも劣らないテンション、曲のよさで、震えた。


誰もが知っている曲や、ひたすら美しい曲、しみじみとした味わい深い曲、泣ける曲、何故か引っ掛かる曲、極上のキワモノまで、それぞれ違った魅力を持つ珠玉の33曲。一曲たりとも捨て曲なし。感情は揺さ振られ続ける。迫力に押され、最後まで通して聴いてしまう。


海のYeah!!

海のYeah!!


再び取り出してきた前作『海のYeah!!』と合わせて、聴きまくり、この夏を乗り切ろうと考えている。