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妄想・ベルリオーズ「幻想交響曲」


誤解を恐れずに思いきって書くならば、ベートーヴェンが発展させ、マーラーにその終着駅があると以前に書いた、交響曲という音楽ジャンルの中間駅は、ベルリオーズ幻想交響曲だ。


歴史的に見て何がすごいのかといえば、初めての本格的な「標題音楽」であるという点と、それと大きく関連するのだが、全体がある旋律(音楽用語では「固定楽想」という)が散りばめられているということだ。


…とまあ難しいことは別にして、特異で変わった曲なのだ。


いやいや、誤解を恐れずに言えば「ド変態な曲」とさえ言えるかもしれない。


複雑な世界の隠喩とも見て取れる、マーラーの奇奇怪怪、魑魅魍魎の交響曲とは違って、もっと生身のグロテスクさの感じられる曲だ。


幻想交響曲」について作曲家ベルリオーズはこのように語った。


「ある若い芸術家が恋に狂い恋に破れ、この世を嘆いてアヘンを飲んで自殺を図る。しかし毒物の量が足りなかったため死に至ることができず、彼は深い眠りに落ち、その眠りの中で現実とも夢ともわからない不気味な出来事に襲われる。」


これが「幻想」の由来で、この曲が「幻想交響曲」と名付けられる所以となっている。


実はこれはベルリオーズの体験に基づいている。

作曲家ベルリオーズは、シェイクスピア劇の女優だったイギリス人女性、スミスソンに熱烈な(そして一方的な)好意を抱いて、猛アタックをする。

しかし、スミスソンも駆け出し音楽家の異常な求愛に応じるはずもなく、この時は恋は成就せずに終わる。

いまでいうストーカーみたいなものだろうか。

その体験をもとに、この作品は書かれた。

(しかし現実には何故か二人は結婚することになる。結婚生活はうまくいかず、スミスソンの死により別離。ベルリオーズはすぐに再婚したそうだ。)


曲は全5楽章構成で、ベートーヴェンブラームス交響曲とは一味もふた味も違っている。

古典的なソナタ形式ではなくて、若い芸術家の眠りの世界の出来事を追った形となっている。


■第1楽章  夢、情熱

ここでは芸術家の憧れの女性への思いや情熱、不安、焦りが描かれる。


■第2楽章  舞踏会

華やかな舞踏会の場面で曲はワルツだ。女性の姿が見え隠れする。ロマンチックなメロディ。


■第3楽章  野の風景

野において女性のイメージが駆け巡る。天候の移り変わり。ベートーヴェンの「田園」とまるで違う。不安と焦燥。


■第4楽章  断頭台への行進

夢の中で女性を殺害した芸術家は死刑判決を受け断頭台に向かう。刃が落ちたときのファンファーレともとれるような音楽。これ以上の悪趣味はない。


■第5楽章  サバトの夜の夢

夢の中の死の世界。悪霊たちが哂い、はやしたてる。全編を通して最もグロテスクだ。


この5楽章を通して、憧れの女性を描いた旋律(「固定楽想」)が様々な形で現れる。


とにかく各楽章のテーマを見ても、実際に音楽を聴いても、尋常でないメンタリティーのもとに書かれた曲であることがわかる。


「ド変態の曲」と書いた意味がわかっていただけるだろうか?


原題の"fantasique"は、「幻想」ではなく、「妄想」とした方が良かったのではないか?


◇  ◇  ◇


私はこの曲を小学校6年生のときに初めて聴いた。


その時は、「第2楽章のワルツがきれい」としか思わなかったが、

「幻想」=「ファンタジー」について連想するものが、ドラクエファイナルファンタジーだったりする小学生の時のこと、

わからなくても無理はない。


こんなドロドロした曲に共感できるドロドロした小学6年生でなくてよかった!


◇  ◇  ◇


CDは人気曲だけあってたくさん出ているが、私はチョン・ミュンフン指揮のものを気に入っている。


ベルリオーズ:幻想交響曲

ベルリオーズ:幻想交響曲


ベルリオーズの病的な部分が薄いような気がしないでもないが、オーケストラのドライブ感は相当なものだ。よくぞここまで!といえるほどの快演で、熱演なのに破綻しない。行儀の良いガキ大将みたいだ。


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