モーツァルト最後の交響曲・第41番「ジュピター」
この、最後の交響曲はとても明るい曲だ。
モーツァルトの最後のピアノ協奏曲もそうだ。
ピアノ協奏曲第27番は、天上の音楽。ただひたすら白い。
明るいが油断しているとゾッとするほどの寂しさが見える22番などとはまったく異なっている。
これらの曲でモーツァルトは観客の方を向いていない。
残り少ない人生を予感するかのように、自分だけのために曲に向かっているように思える。
もっともモーツァルトらしくないのかもしれない。
これは辞世の音楽だ。
この曲、私は苦手だった。
明るくて陰影に乏しい。
どっしりしていて、動感を感じられない。
良い曲だけど鈍重で退屈。
それが「ジュピター」に対する私の印象だった。
サッカーに例えると、まるでジーコジャパンだ。
中盤に配されたテクニシャンがボールキープを重視しながらチャンスをうかがう。
ボールキープはするが、ダイナミズムが生まれない。
小奇麗で、泥臭くなく、見ていて退屈。
「自由なサッカー」という志向が空虚に響く。
◇ ◇ ◇
- アーティスト: 18世紀オーケストラ,モーツァルト,ブリュッヘン(フランス)
- 出版社/メーカー: ユニバーサルクラシック
- 発売日: 1996/06/05
- メディア: CD
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しかし、そんなイメージを変えるCDに出会った。
18世紀オーケストラは指揮者でありリコーダー奏者でもあるフランス・ブリュッヘンが1981年に創設したオーケストラだ。
ブリュッヘンは、曲が作られた当時のオーケストラの響きを再現しようと試み、楽器にはバロック時代まで使われていた古楽器のレプリカなどを使い、演奏にはヴィブラートをきかせない奏法を徹底させている。
当時、指揮者のガーディナーやアーノンクールも同様の試みをしていて、彼らの演奏は総称して、古楽器演奏と言われていた。古楽器は、より積極的に「もともとの」という意味でオリジナル楽器とも、「その時代の」という意味でピリオド楽器とも言われていた。
古楽器演奏はクラシック演奏史の1980年代のトレンドだった。
現在では、これらの歴史を踏まえて現代オーケストラに応用した試みが、ベルリン・フィルのサイモン・ラトルや、シュトゥッツガルト放送交響楽団のロジャー・ノリントンらによってなされている…。
とまあ余談はこのくらいにして、響きの違いは演奏を聴くと一目瞭然だ。
「ジュピター」はかつては巨大な規模でどっしりと演奏されていた。
思うに私が苦手としていたのはそのような演奏だったのだが、
18世紀オーケストラの演奏は、ヴィブラートをきかせていないので音色がとてもあっさりしている。
オーケストラの響きは濁らずどこまでいっても透明のまま。
合奏が交じり合うのではなく、それぞれの色を主張しながら絶妙のハーモニーを見せる。
しかし機械的な印象を与えられないのは、オーケストラの集中力がすごいからだ。
ライブ録音ということもあるが、燃焼し尽くした演奏である。
とくに第4楽章の盛り上がりはすごい。
対位法が使われた音楽の進行に、このオーケストラの特色が見事に現れている。
形を変えながら次々に現れる旋律の重なりがとても見通しよく再現されている。
透明度と熱中度が両立した素晴らしい演奏だ。
こんな良い曲だったんだ…。
曲の素晴らしさに目覚めた。
「苦手意識」は払拭され、大好きな曲のひとつとなった。