「9・11」から5年、マーラーの「第九」を聴く
2機の航空機が世界貿易センタービルに突入した「9・11」から5年。
私はアメリカ人ではないし被害者でもない。
アメリカ合衆国を一度も訪れたことさえない。
このことについて語る言葉を多くは持たない。
だが今日がその日であるということだけ触れておきたい。
「9・11」によって直接的であれ間接的であれ、傷を負ったすべての方々に、謹んでお見舞い申し上げたい。
◇ ◇ ◇
いま聴きたい音楽はマーラーの「第9」だ。
交響曲とはひとことでいうと、第1楽章にソナタ形式を用いた4楽章形式のオーケストラ曲のことだ。
もともとはイタリアオペラの序曲から発展した交響曲は、ハイドンが育て、ベートーヴェンが革新した。
その後、シューベルトやシューマン、ブラームスらドイツ=オーストリア圏の作曲家が、この交響曲というジャンルを縦横に発展させていった。
マーラーの死後も交響曲は当然つくられていくのだが、民謡的な旋律を織り込んだり、政治的な要素を加えたりしながら、ヨーロッパのほかの国々へとインターナショナル化していった。
その時代の分岐点になったのがマーラーだ。
古典的な、交響曲というジャンルは、マーラーによって分解されたといえる。
マーラーの複雑怪奇な世界は、交響曲というジャンルで描かれながらもこのジャンルにおさまりきらなかった、ともいえるのだが。
ソプラノ独唱、アルト独唱、混声合唱が入る大規模な第2番「復活」。
第4楽章にソプラノ独唱が入る第4番。
真ん中のスケルツォを二つの楽章が前後に挟む、第5番と第7番「夜の歌」。
初演に際して「演奏に千人が必要」というところから表題がつけられた、大規模な合唱団とソリスト陣を要する第8番「千人の交響曲」。
多くの作曲家にとって最期の交響曲が9番であったことから*1、「9」という番号を嫌って番号なしとした「大地の歌」。
様々な実験的な手法を用いたマーラーの最後の完成交響曲が第9番だ(第10番は未完)。
皮肉なことに、交響曲第9番は、「大地の歌」を飛ばして第9と呼ばれることになった。
この曲を書き終えておよそ1年後にマーラーは死ぬ。
◇ ◇ ◇
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「緩−急−急−緩」の4楽章構成。
こういう音楽は他にはない。
何に例えてよいかわからない。
どこか東洋を思わせる不思議なメロディ。
時に激しく時に静かに死と向き合う姿が描かれる。
死の影におびえながら、死に絶望しながら、死と戦いながら、最後には安らかな死を迎える。
第4楽章のアダージョはこの世の音楽とは思えない。
美しい音楽だが、生体反応が感じられない天国の調べだ。
音楽の進行とともに段々と楽器が少なくなっていって、最後は弦楽器だけになる。
その弦楽器も次第に弱くなっていって消え入るように終わる。
静寂。
コンサートでこの曲を聴くと、曲が終わった後に2分にも5分にも感じられる沈黙の時間がある。
音楽の余韻がいつまでも続く。
最後に聴き手だけが残されるという曲だ。
◇ ◇ ◇
マーラーの第九は、交響曲というジャンルの終わりであると同時に、新しい音楽のスタートを示してもいる。
シェーンベルク、ヴェーベルン、ショスタコーヴィチ、バーンスタイン、武満徹…。
様々な音楽家が、新しい音楽を生み出していった。
終点であり始発でもある。
マーラーの第九は交響曲の終着駅だが、その駅には他へ向かうプラットホームが幾つもあったといえる。