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交響曲第6番×スクロヴァチェフスキ


ブルックナーが本当にブルックナーらしくなるのは交響曲3番以降で、そんな中でもっともマイナーなのは6番だ。


私がブルックナーを聴き始めたのはまず3番、4番からで、それらは最初からいいなと感じて、その後聴いた5番で「開眼」(←大げさ)し、5番を「自分のものにした」(←さらに大げさ)おかげで、3番と4番についても今までと違った魅力にも気づいて、7番も親しみやすさの裏に隠された真の意味を理解したような気になって、8番と9番は巨大さを崇拝する気分すら抱くようになっているのが今日この頃である。


ところが6番はだめだった。最初「なんだこりゃ」という印象で、(ブルックナーらしさは随所に感じられるのだけれど)野暮ったくて、流れが悪く、陶酔的な気分になろうかというところでプチっと電源をオフにされたような感じで、親しむことができない。あまり聴かれていない6番の良さを自分だけが発見してやろうという野望は崩れ去った。


ブルックナー交響曲は、部分が全体の一部であり、全体を聴いて把握することで部分の真の意味が理解できるという傾向があって、長大ではあるが象徴的で、西洋の長編小説のような魅力を持っているが、6番はどうもそうではないようだ。「巨大な5番と、深遠な7番の間になぜこの曲が?」という疑問は拭えない。次の世界への準備のようにも思えるし、折衷的な作品のようにも思える。


そしていま。この曲は異彩を放っている。個性的な曲で、キャラが立っている。ごくたまにピンポイントでこの曲を聴きたくなる時がある。他の曲があまりにも神々しすぎるので、そんな曲とは雰囲気が違うし、傑作ではないが、佳作と言える曲だと思う。細部に目を配ると、天使がブルックナーに書かせたような旋律がある。ゴツゴツとした感触も健在だ。このゴツさは8番や9番にも相通じるところがある。それと何よりこの曲には、素晴らしいアダージョがある。第2楽章のアダージョは、5番や8番のアダージョと比べても遜色ない出来栄えだ。


ブルックナー:交響曲第6番

ブルックナー:交響曲第6番


スクロヴァチェフスキは名前が長いため、欧米ではミスターSと呼ばれている。職人的な仕事ぶりで定評のある、現代の名指揮者である。日本のクラシック音楽ファンには、読売日響の常任指揮者として人気が高い。


ザールブリュッケン放送交響楽団は、ベルリン・フィルのような高度な演奏能力や、ウィーン・フィルのような優雅な響きも持っていないので、5番や8番などの大曲では、どうしてもスケールの小ささが気になることもあるが、6番にはこの渋く素朴なオーケストラのサウンドがとても合っている。


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