アルカンのグランド・ソナタ
シャルル・ヴァランタン・アルカン(1813年-1888年)は、フランスの作曲家で、ユダヤ教の聖典『タルムード』を取ろうとしたところ本棚の下敷きになって死んだと言われている*1。アルカンは、リストやショパンと同じ頃に活躍した作曲家兼ピアニストで、若いころは、人気ピアニストとして人気を博したが、私生活上の不幸が重なり、世間から次第に忘れられ、次第に部屋にこもりがちになり、世捨て人のようになっていったと言われている。
作曲のジャンルは主にピアノ曲で、リストのピアノ曲のような超絶技巧曲の大群が残されている。その技巧は、悪魔に魂を売ったことによって得られたかのように超人的で、メロディは基本的には整っていて美しいものの、とりとめのない難解さも備えていて、どこか不吉なものすら感じさせる作品も多い。
そして今日紹介する、この「グランド・ソナタ」は、19世紀に生まれた曲だが、初演はなんと1970年代に入ってからという、信じられないようなエピソードを持つ曲である。
リストには指が6本あるのではないかと疑う人もいたそうだが、私はアルカンには指が7本あったとしても信じるだろう。それくらい突き抜けた超絶技巧を要する難曲である。
曲はソナタと名付けられている通り、全4楽章構成であるが、「提示部→展開部→再現部→コーダ」のソナタ形式を見分けることは困難で、ソナタ形式を逸脱した自由な形式となっており、実質的には標題音楽と言える。
曲は、それぞれの楽章ごとに、人生の局面を象徴する「20代」、「30代」、「40代」、「50代」の標題が付けられている。
第一楽章「20代」
軽妙酒脱。若さはそれだけで十分な武器だ。演奏には機械の正確さが求められる。
第二楽章「30代」『ファウストのごとく』
意欲的で情熱的。悪魔に魂を売ったことと引き換えに得られる禁断の力。後半の複雑なパッセージには空いた口がふさがらないほどで、それを弾きこなすピアニストの超絶技巧には尊敬する気持ちになる。演奏の難しさは相当なもので、悪魔に魂を売らないと演奏できないのではないかと思えるくらいだ。プロのピアニストでもテクニックに自信がある人でないと、おそらく弾きこなすことはできないだろう。反面、アマチュアでもおそろしくテクニックのあるピアニストもいるが、そんな人にとっては、「自分のための」曲といえる曲となるだろう。
第三楽章「40代」『幸せな夫婦』
穏やかな風景。この曲中で唯一の平和なメロディ。現代日本の40代は仕事と子育てでこんな平穏な日常では全くないだろうなあと思ったりする。
第四楽章「50代」『縛られたプロメテウス』
終楽章にどうしてこんな不吉なテーマを用いるのだろう。プロメテウスが、天上の火を盗んだためにゼウスによってとらえられ、拷問にかけられるというギリシア神話が元になっている。神話の世界から降りてきて、日常の世界に目を向けてみても、リストラ、配置転換、子会社への出向、熟年離婚、子供の就職など、人生の終盤に差し掛かっても、日常の悩みは尽きない。こういう試練を乗りきれなくなった時、それを袋小路と言うのだろう。アルカンはそんなことを想定して書いたのでないのだろうが、現代日本の中年期の憂鬱と重なり、いずれ将来その年代となる私も憂鬱になる。
Alkan: Grande Sonate; Sonatine; Le festin d'Esope
- アーティスト: C. Alkan
- 出版社/メーカー: Hyperion UK
- 発売日: 1995/08/22
- メディア: CD
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CDは、マルカンドレ・アムランの演奏が素晴らしい。難曲を難曲と感じさせないスムーズな演奏。大変に素晴らしい演奏である。アムランは巨匠ピアニストではないし、曲をねじ伏せるような大柄なスタイルでもなく、例えるなら「学者」風のスタイルなのだが、そのスタイルのトップに位置しており、それがこの曲に合っている。かゆい所にまで手の届くような、懇切丁寧な演奏となっている。アムランよりもっと有名で、売れているピアニストは多いが、これくらい弾けるピアニストがどれくらいいるだろうかと考えた時に、それほど思い浮かばない点に、アムランの凄さがある。
*1:有名なエピソードであるが、史実ではないとする説も有力である。