ジュリーニによる大人のブラームス交響曲全集
カルロ・マリア・ジュリーニがウィーン・フィルを指揮して録音したブラームスの交響曲全集を聴いている。
- アーティスト: ジュリーニ(カルロ・マリア),ブラームス,ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
- 出版社/メーカー: ユニバーサル ミュージック クラシック
- 発売日: 2005/09/07
- メディア: CD
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一言で言うと「大人のブラームス」で、大変に落ち着きのある、きわめて上質な演奏である。
「大人」ってどういうことだろうと調べてみた。
『新明解国語辞典』第6版によると、「大人」とは、
(1)一人前に成人した人。(自分の置かれている立場の自覚や自活能力を持ち、社会の裏表も少しずつ分かりかけてきた意味で言う)
(2)老成していること。
「自活能力を持ち」という部分が厳しい。『新明解国語辞典』によれば、経済的に自立していないと、大人ではないのだ。そして、「裏表も少しずつわかり」というのが深い。大人は人にも良い人、悪い人がいることも知っている。世の中が良い事ばかりでないことも知っている。
さらに、用例として、
おとなのくせに、つまらない事で感情をむき出しにして、みっともない。分別が無い。
う〜ん、求めるものが多い。大人は大変だ。大人は感情をむき出しにしないらしい。
◇ ◇ ◇
人生の喜びや悲しみや失望や苦味も知り尽くした大人は、ガツガツしていないし、慌てないし、急がないし、取り乱さないし、迷わないし、むやみに大声を出さない。なるようにしかならないので、落ち着いて運命を受け入れる。大人の姿が浮かび上がってくる。大人になると、若いときに苦さだけしか感じなかったウイスキーの苦味を旨味と感じることができる。
私は大人なのに小さなことでくよくよしたり迷ったりするし、裏表もわからず、いい年をして、言葉を額面通りにとらえたりする。そんなときはジュリーニの演奏が自分を顧みるためのものとなる。
テンポはかなりゆっくりで、一定している。噛みしめるように、曲を大事にする演奏である。ウィーン・フィルの美音を堪能できる。第2番、第4番がとくにすぐれている。
2番はスタンダードな演奏と比べると「遅い〜かなり遅い」の間に位置するテンポ設定で、第4楽章の一番盛り上がる部分で、さらに遅くなる。若い指揮者なら、待てないところをジュリーニは待つ。スピードを上げたいところでも平然とアクセルを緩める。曲の美しさをよくわかっている。急がなくてもいいのだ。ゆっくりと丁寧に、楽譜通りに演奏すれば、それが一番美しいということがわかっている。
4番は壮年の充実を感じさせる演奏である。この曲は暗いとか枯れているとか言われることのある、深刻な曲で、私も昔はかなり苦手だったが、いまは時々聴くほど、苦手意識はなくなった。驚くほどよく作りこまれていて、感心するほど練られている。これが、英雄ベートーヴェンを過度に意識して、最初の交響曲を書くのに20年もかかってしまったブラームスが、研鑽の人生の末に、最後に到達した高い頂である。年をとっても本人は元気である場合も多く、逆に若い時よりも充実していたりする。だいたい、ブラームスはこの曲をレクイエムとして書いたわけではない。ジュリーニの描く4番は、精力的で、意外に野心的で、充実している壮年の姿だ。
詳しくは書かないが、1番と3番も素晴らしい演奏となっている。
このCDは、買った頃にはそれほど印象に残らなかったCDだが、いまは時々聴いている。それが、分別のある大人に向かって少しは成長している証であったら嬉しい。