ポリーニの後期ピアノ・ソナタ集
ずいぶん昔のことになるが、NHKのアナウンサーの講演を聞いたときのことだ。朗読をするときに「感情をこめて」読むやり法と、「感情をこめずに」読むやり方では、どちらが正解かという内容だった。
NHKにおける正解は「感情を込めないで読む」ということだった。書かれていることを正確に、句点で切らずに意味のまとまりで切って読むのが正しい。(ついでに言うと素人の読み手は区切りの時に語尾を上げてしまいがちだが、そこは上げずにニュートラルなままに切ることで、流れるような朗読となる。というような話だったと記憶している。)
どういうことなのかというと、感情を込める読み方における感情というのは読む人の気持ちであり、聞き手の気持ちではないので、つとめて客観的に読むことで内容の真実が伝わるというのが真意だ。
そんなことをポリーニの弾くベートーヴェンの後期ピアノ・ソナタ集のCDを聴いていて思い出した。
ポリーニはむやみには感情を込めない。ポリーニが情熱を傾けるのは、正確に楽譜を再現すること。それが多くを占める。ただし、正確さにかける情熱は、情念とも怨念とも取れるほど、激しいものだ。昔は「正確だが冷たい」なんて言われていただが、私は一度もそんなふうに思ったことはなかった。ポリーニは静かに燃えている。才能に恵まれた超人的な努力家である。理想主義者でもある。巨匠になった今ではいっそうそれを感じる。テクニックは若いときに及ばなくなってきたが、精神は変わっていない。真実は楽譜であり、大事なことは楽譜に書かれている。
- アーティスト: ポリーニ(マウリツィオ),ベートーヴェン
- 出版社/メーカー: ユニバーサル ミュージック クラシック
- 発売日: 2009/11/11
- メディア: CD
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ポリーニによるベートーヴェンの後期ピアノ・ソナタ集は、誰よりも厳しく、強靭で、崇高な演奏だ。少し前に、ファジル・サイのベートーヴェンは鬼才のベートーヴェンだと書いたが、ポリーニは超人的なベートーヴェンだと思う。
まず、ピアノ・ソナタ第28番。私がとても好きな曲で、次の『ハンマークラヴィーア』に劣らない曲だと勝手に思っている。抒情的な第1楽章。ユーモラスな仕掛けが光る第2楽章。そして終楽章の即興的な展開。ポリーニのタッチは硬質で、乾いている。凄腕の持ち主による霊感に満ちた演奏である。
29番『ハンマークラヴィーア』は、ピアニストに大きな試練を与える。超絶技巧を要する曲でありながら、演奏時間も長い。ポリーニはピアノの化身のような説得力でねじ伏せる。これほど正確にかつ芸術的に弾けるピアニストは過去から現在まで数えても5人くらいしか存在しないだろう。剛腕、タフという表現が近い。
30番から32番は甲乙つけがたい。曲自体は30番より31番が、31番より32番が優れていると私は思っているが、演奏はどれも素晴らしい。これらの曲はすべてが終楽章に瞑想的で天国的で福音的な音楽を持っているが、ポリーニの演奏で聴くと、3曲に共通するコンセプトが「無欲」ではないかと気づかされる。音楽の革新ということに自覚的だったベートーヴェンが晩年になって到達した無我の境地を、ポリーニは「感情を込めない」厳格なピアノで私たちに見せてくれている。終楽章を聴き終えた後は充実した気持ちでいっぱいになる。
大変に辛口の演奏なので私は若いときにそれほど聴かなかった演奏だが、この辛口がくせになる。いまは手放せないCDとなっている。