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『塔の茶屋』の茶粥/新薬師寺


先々週の土曜日の午後、奈良に行ってきた。行き先は、ずっと前から行ってみたかった新薬師寺まで。奈良には数えきれないくらい行ったことがあるが、新薬師寺には行ったことがなかった、新薬師寺には、「すごい仏像」があるのだ。


最近、仏像など、古いものに惹かれている。古いものは、古いというだけで価値がある。古くてありがたい仏像に出会うと、心の中の何かの感情が呼び覚まされるように、魅了され、圧倒され、興奮させられる。


まずは興福寺の近くのパーキングに車を停めて、昼食にする。せっかく奈良まで来たので、奈良でしか食べられないものを食べたい。大阪の人からは「奈良にはうまいものなし」と揶揄されるが、蕎麦や和食だったらそれほど悪くはない。興福寺の境内に『塔の茶屋』という大変によく知られた茶店がある。私は行ったことがないので、今回行ってみよう。



行ってみて初めて知って驚いたのは、「基本的に相席」である点だった。店に入ってすぐ左手の小さな茶室に、落ち着かなそうな様子で年配の夫婦が座布団の上に座っている。その奥には、やや距離を置いて、母と娘らしき二人の観光客が座って、床にじかに置かれたお膳に箸を附けている。畳は日に焼け、照明も暗めである。



メニューは、予約必須のコース以外は、茶粥の単品と、惣菜が付く茶粥弁当のみ。私は茶粥弁当にした。3,150円。


それほど待たずに料理が持ってこられ、床にじかに置かれる。先述の母娘の食事風景は私の未来の姿だった。やや無理な姿勢で黙々と食べる。知らない人と同じ部屋で、俯いて食べる3,150円に対し複雑な気持ちが沸き起こるのを禁じ得なかったが、誇張でもなんでもなく、味はおいしかった。もっと正確に言うと、「茶粥以外は」おいしかった。胡麻豆腐は自然の味で、煮物も薄味ではあるがしっかりとした本格的な出汁の味が感じられた。茶粥は、おいしくないわけではないが、茶粥とはこういうものだ。茶で炊いた粥はこんなものだ。予想を裏切らない、予想通りの味。でもヘルシーである。満足した。


神経質な人には落ち着かないだろう。ヘンテコな体験だった。付き合い始めたカップルが行った場合、けっこうハードルが高いのではないか。茶粥が付く懐石を予約すれば個室で料理を食べられるので、遠方から訪れる家族や友人をもてなすときなどはそちらの方をお勧めしたい。


奇妙で微妙な茶粥体験の後は、いよいよ仏像を拝む時間となる。興福寺から車なら10分くらいでお寺の門まで着く。



薬師寺は、新しい薬師寺というわけではなく、同じく奈良にある薬師寺とはまた別のお寺である。「新(あらたか)=神仏の霊験や薬のききめなどが著しく現れるさま」*1という日本語からきている。聖武天皇の病気の回復を祈願して光明皇后が建立したと言われている。


境内は驚くほど狭い。往時には七堂伽藍と東西二基の塔が建つ大寺であったと言われているが、いまやその面影はない。田舎の小さなお寺のようだ。こういうお寺が近所にあって、蝉を捕まえたり、悪さをしたものだった。新薬師寺の現在は、そんな規模のお寺。小ぢんまりとした境内の中、奈良時代に建てられた本堂だけが、昔の名残をとどめている。しかしこちらも本来は金堂ではなく、もともとは違う用途の建物であったと言われている。



これが本堂である。外からみてそれほど大きいと思わなかったが、中に入ってみると、意外にも広い。


本尊は薬師如来木像である。平安時代に作られたもので、大きく見開かれた切れ長の目とがっちりとした体躯が特徴だ。そして本尊を囲むように十二神将像がずらっと並ぶ。十二体中十一体が奈良時代の作品で、冒頭で触れた「すごい仏像」というのはこれらのことだ。燃えるような怒りの表情を受かべ、いまにも動き出しそうな迫真の躍動感が見事だ。確かにすごかった。残念ながら本堂の内部は撮影禁止なので、仏像の写真については新薬師寺のホームページを参照していただきたい(→こちら)。


こんな小さなお寺に、これほど価値のあるものが眠っているとは。言葉を失い圧倒される。そうだ、こういう体験をしたくて新薬師寺まで来たのだ。


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*1:『日本語大辞典』より