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キース・ジャレットのゴルトベルク変奏曲


時々、バッハのゴルドベルク変奏曲を聴く。ゴルトベルク変奏曲は、初期の鍵盤楽器曲(チェンバロなど)として書かれた曲だが、私はピアノ版の方が好きで、いちばん愛聴しているのはバッハ:ゴールドベルク変奏曲(1981年録音)。荒々しく、ロックともいえるようなタッチから、バッハが見た神が見えてくるような演奏で、これは「人類の宝」と言っても大げさでないほどの名盤で、何年、何十年と、いつまで聴き続けても飽きない(だろう)。しかしたまには、別の演奏者によるチェンバロ版を聴くこともある。


チェンバロの音色は鋭角的で、癒しというよりは厳めしい(いかめしい)。厳しさを感じる。響きはピアノの多彩さに比べると平板で、単調で、辛いときがある。だから聴き疲れしてしまい日常的にはあまり聴かないのだが、時々は無性に聴きたくなる。バッハの頃のもともとの響きはチェンバロだったわけで、その事実はたいへん説得力があるし、またシンプルなものを聴きたい時には、チェンバロの方がフィットする。


■国内盤

バッハ:ゴルトベルク変奏曲

バッハ:ゴルトベルク変奏曲

■輸入盤

Bach: Goldberg Variations / Keith Jarrett

Bach: Goldberg Variations / Keith Jarrett


最近よく聴いているCDが、ジャズ・ピアニストのキース・ジャレットチェンバロを弾いた録音だ。これが大変素晴らしい演奏となっている。


相当スイングしてるんじゃないの?そんなジャズ・ピアニストということから想像されるような要素はほとんどなくて、きわめてオーセンティックなクラシック音楽の演奏となっている。


解釈は基本的にオーソドックスで、全体的にゆっくりとしたテンポで、曲の構成がよくわかる立体的な演奏である。そして曲によってはごくわずかに、細部を意図的に崩している。この崩しによって、教科書的でない躍動感が生まれ、退屈さから解き放たれた音楽となっている。


ゴルトベルク変奏曲の魅力はたくさんあるが、私が一番感じるのは、崇高な精神によって書かれている音楽だということだ。バッハはめげないしぶれないし折れない。バッハの傍らには神がいる。崇高な精神によって書かれているということは、バッハの音楽全てに言えることかもしれないが、毎日毎日『マタイ受難曲』を聴いて過ごすわけにもいかないので、このくらいの規模の曲で(60分くらい)、バッハの音楽の神髄に触れることができるのは幸せだ。


それにしても、こういう曲だからこそ、ごまかしはきかない。クラシック音楽のピアニストしてのポテンシャルが出る。その点、何ら遜色がない。テクニックは万全でありながら、個性もある。ピアノのリサイタルでコンサートホールを満員にできるクラスの演奏家である。とはいえ、クラシック音楽からすると異端に位置するジャズ・ピアニストが、ジャズのアプローチでなく、クラシック音楽のアプローチでバッハに挑むという時点で、普通でない。じっさい、この録音のために冬の山に籠り(八ヶ岳高原音楽堂にて録音)、日本人のチェンバロ製作者、レコードのレーベル・ECMの録音エンジニアなどのスタッフとともに音楽を完成させたそうである。そんな特別な思いがひしひしと伝わってくる真摯な演奏で、感動の度合いの高い演奏である。


チェンバロ版のゴルトベルク変奏曲の名演を探している人がいたら、第一に推薦できるといっても過言ではない。私の場合、ずいぶん前に買ったCDだが、最近やっとその魅力に気づいて、愛聴している。


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