ユリアンナ・アヴデーエワのピアノ・リサイタルin大阪
ユリアンナ・アヴデーエワのピアノ・リサイタルに行ってきた。
2010年のショパン国際コンクールで、華麗なドレスで登場する女性ピアニストが多い中、黒のパンツスーツに白いブラウスというファッションだったアヴデーエワを「ジョルジュ・サンドのような男装の麗人」と例えた人がいた。素晴らしい例え。
今日は紺のパンツスーツ、白のブラウスで登場。スマートで知的に見える。
◆ユリアンナ・アヴデーエワ ピアノ・リサイタル
[ピアノ]ユリアンナ・アヴデーエワ
2013年3月31日(日) 14:00 ザ・シンフォニーホール
プログラム:
▽J.S.バッハ:フランス風序曲(BWV831)
▽ラヴェル:夜のガスパール〜休憩〜
▽ショパン:夜想曲第4番
▽ショパン:夜想曲第5番
▽ショパン:バラード第1番
▽ショパン:3つのマズルカ第30番、第31番、第32番(op.50)
▽ショパン:スケルツォ第2番≪アンコール≫
▽J.S.バッハ:パルティータ第1番(BWV.825)よりジーグ
▽ショパン:ワルツ(Op.34-1)『華麗なる円舞曲』
▽ショパン:マズルカ(Op.7-1)
バッハは本格派の演奏だった。30分近い大曲だが、集中力は最後まで途切れず、真摯なバッハの音楽が繰り広げられた。第2曲の「クーラント」では弱音が殊の外美しくて、まるで漆黒の中にピアノとピアニスト、そして私だけが存在するかのように、同調して聴き浸ってしまった。テクニックの引き出しの多いピアニストだと実感する。とても巧いが、巧いだけではない。巧さの真ん中に伝えたいものが確かにあって、それを正確に伝えようとしている。
ラヴェルが始まると、バッハの音楽に支配されていた会場の空気が変わった。まるで別の楽器に変わったかのような鮮烈なイメージで、重々しい空気を払拭し、雰囲気を一変させた。なんだろう、この音は。聴いたことのないような響きだった。一流のピアニストが本気でラヴェルを弾くと、このホールはこんなに良い音が鳴るものかと驚嘆した。CDではどうやっても入りきらないほどの情報量を持った響きで、この曲は生で聴かないと真価がわからないだろうと思った。第3曲の「スカルボ」は屈指の難曲として有名だが、アヴデーエワのテクニックは全く破綻を見せず、圧倒的なパフォーマンスだった。
アヴデーエワは優勝した2010年のショパン国際コンクールではヤマハを選んで話題を集めたが、今回のリサイタルではスタインウェイだった。休憩中に1階に降りて確認したら(私の席は2階でピアノのメーカー名が見えなかった)、スタインウェイだった。別にそれで問題はないが、もしかしてヤマハかもと思った。
休憩後、少し眠くなった。今日のコンサートに備えて、しっかり睡眠をとったにもかかわらずだ。前半集中して聴いたせいで疲れたのかもしれない。オーケストラの演奏会以上に、リサイタルは集中力がいる。舞台には一人。音量も小さめで、また照明も暗いので、油断すると眠くなるし、集中して聴かないと大事なところを聴き漏らす。
そして後半のプログラムは、ショパン。バッハともラヴェルとも違った音色。多彩なタッチを持っている。繭に包まれているような優しくて柔らかいタッチがあるかと思うと、鉈を振り下ろすかのような力強さも見せる。表現の幅が広くて、しかも堂々としていて、解釈は確信に満ちている。冒頭はノクターンが2曲続く。「さすが」というしか言いようがない出来栄えだ。バラードの第1番はプロフェッショナルな演奏。私は4番のほうが随分好きだが、若くて実力のあるピアニストの演奏で聴くなら、やっぱり1番だっただろう。力の漲る演奏だった。だからこのプログラムは正解だ。マズルカでは、独特なリズム感が、ノクターンやバラード、あるいはその他の曲とは全然違う成り立ちの曲であることを理解させてくれる。私はマズルカ第32番がとても好きなのでとても興奮した。心拍数も上がっていただろう。
いよいよプログラムの最後の曲。スケルツォ第2番。これが圧倒的な演奏だった。知的でありながら、情感たっぷりな熱演で、これほどのスケルツォを生で聴いたのは初めてのことだった。素材の良さを知り尽くした一流の料理人が腕を振るって美味しい部分を提供するような演奏だった。通常リサイタルというとアンコールが期待されるが、仮にアンコールがなかったとしても十分満足して帰ることができたと思う。
アンコールは3曲。プログラム本編ほどの完成度ではなかったが、中でもワルツが良かった。私がアヴデーエワが普通のピアニストではないと思ったきっかけとなったのが、YOU TUBEで見たショパンコンクールでのこのワルツの演奏だった。この動画は何回も見て、いま見てもそう思うのだが、「優勝する前から優勝していた」と言うと変な表現になるが、はじめから勝負がついていたかのように堂々とした、一言でいうと「大人の演奏」だった。その雰囲気をアンコールでも味わうことができた。