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伊賀焼の里を訪ねる


伊賀焼きの里に行ってきた。三重県伊賀市は大阪の南の方からはそれほど遠くなくて、京都に行くのと同じくらいの感覚で行って帰ってくることができた。


目的は、伊賀焼の焼酎グラスを買うことだった。私は最近、仕事を終えて帰ってきて、家で晩酌することがささやかな楽しみとなっている。飲むのは主に焼酎で、以前に買ってそのままになっていた銘柄の栓を開けることが夜の習慣となっている。



大体1時間半くらいで伊賀の中心部に着く。そこからさらに30分で、伊賀焼の里に到着する。阿山地区の丸柱という地名にたくさんの窯元が集中している。ここがいわば伊賀焼の里である。その中心部にあるのが、長谷製陶という窯元で、ギャラリーやカフェなども備える施設を持つ。また、指定文化財の登り窯(現在は使われていない)を見学することもできる。



長谷製陶の登り窯。現在は、有形文化財だが、昭和40年代までは実際に使われていた。これほどの大規模な登り窯を見るのは初めてだ。



伊賀焼伝統産業会館。


焼き物の里を訪ねるとき、私は大体、資料館などの博物館的なところに必ず行くようにしている。その焼き物がどういう雰囲気のものなのかわかると同時に、そうしたところに展示されている品はそのジャンルにおける最高クラスのものだからだ。自分の中での基準が一気に上がる。おかげで買わずに帰ることもよくあるのだが、大したものでない品で妥協することがなくなる。また、焼き物の博物館には、多くの場合、地元の作家のギャラリーも備えていて、気に入った品があれば買うこともできる。


やきものの事典

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やきものの見方・楽しみ方―全国窯場別 (セレクトBOOKS)

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私が焼き物巡りをするときに参考にしている『やきものの事典』、『やきものの見方・楽しみ方』を参考に、伊賀焼についてまとめてみる。

伊賀焼の起源は奈良時代にまでさかのぼり、中世には日用雑貨が焼かれていたと言われる。信楽焼とは山を一つ隔てた隣にあり、土味が良くに似ていた。伊賀焼として独自の展開を見せるのは、桃山時代以降の「茶陶の世界」で「破格の美」を生み出してからのことだ。古田織部の指導により、伊賀領主・筒井定次による「筒井伊賀」によってだった。歪みのある形にビードロ釉という緑色の自然釉が流れ落ちた、素朴で豪快な焼き物で、この頃、花入、茶入、水指などの本格的な茶陶が生み出された。その後、一時衰退するものの、江戸時代には外部から職人を招き、再興を果たした。日本六古窯の一つである。


伊賀焼というと土鍋が有名である。しかし私は土鍋には興味がなかったのでスルー。あとは「緑」というイメージがある。しかし実際に見てみると「緑」に限らずとても多彩で、迷ってしまった。


私はいくつかの窯元を見学した。窯元を巡る中で、店主(作家)と話をすることができるのも窯元めぐりの楽しいことの一つだ。一人として同じような作家はなく、それぞれが素晴らしい哲学を持っている。いくつかの品が心に突き刺さった。二つの窯元を再び訪れ、それぞれ一つずつ、同じようなフリーカップを買った。



いかにも伊賀焼という雰囲気ではないが、口縁から胴にかけてのイレギュラーな模様にやられてしまった。こういうものは持っていなかったので、即決していた。



青というのが大変に珍しい。鮮やかな青ではなく、鈍い青である。針金を巻いたような細かい模様が渋い。


どちらも高価ではなく、実用品の範囲だった。値段以上の満足度があった。


◇  ◇  ◇


窯元めぐりに夢中で昼食はコンビニで買い、車の中で済ませた。観光めいたこともしていなかったので、少しは名所を見てから帰ろうと思い、上野公園に立ち寄った。


 


伊賀上野城



武将・藤堂高虎ゆかり城。天守は、昭和の再建によるものだが、場内に展示されている藤堂家ゆかりの数々の甲冑や、日本一とも言われる石垣など見どころは多い。何より、城のある街って良いと思う。



俳聖殿。松尾芭蕉生誕300年を記念する建築物。上野公園内にある。伊賀は松尾芭蕉の故郷だ。



伊賀で買ってきた伊賀焼のフリーカップで焼酎を飲む。水を含むと青が鮮やかになることを知った。伊賀焼で飲む焼酎は、いつもの味より数倍美味しいようである。


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