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エチュード『別れの曲』と喪中の葉書


今朝仕事に出掛ける時に、CDラックの中のショパンが並んでいる辺りを眺めた。どれを持っていこうか迷った挙句、マレイ・ペライアによるエチュードの録音を手に取った。なぜか今日はショパンの『別れの曲(以下、『別れ』)』を聴きたかった。最近聴いたのは、マーラー交響曲の5番と6番で、その前はよくジャズを聴いていた。最近はショパンを聴いておらず、久しぶりに選んだ。


ショパン:練習曲作品10&作品25

ショパン:練習曲作品10&作品25


帰りに車の中で聴いた『別れ』が心に沁みた。もちろん、『革命』をはじめとする他の曲たちもよかったが、久しぶりに聴いた『別れ』がとくによかった。繊細でリリカルなタッチを持つペライアにしては、曲の展開部ではややハードに決めており、そのスタイルは、なんとなく、普段冷静な人が感情を珍しく感情を露わにする場面を思い起こさせた。


家に帰ると、喪中の葉書が届いていた。この時期は、喪中の葉書が本当に多い。誰かのご家族が亡くなられたのかと思った。今年は年賀状を出せないなと思って裏書を見ると、差出人が奥様になっている。私にとって残念な知らせだった。あの人が亡くなったのか。今後の人生において年賀状を出すことはもうなくなったのだ。


その人は、私が就職したての頃にお世話になった人だった。豪放磊落で、最近あまりいないタイプの人間だった。その業界の有名人で、一言でいうと「傑物」だった。こういう人物が世の中に出るといるのかと思ったが、他にはあまりいなかった。私は影響にさらされた。いまでもセコイことやケチなことが嫌いなのはその人の影響なのかもしれない。随分前に定年退職されており、距離的にも精神的にも離れていた時間が長かったため、涙は湧いてこなかったが、いまは大きな喪失感がある。


いま喪中の葉書が届くということは、お亡くなりになったのは随分前ということなので、いまさら虫の知らせもないと思ったが、どうして今日、私はショパンエチュード『別れ』を選んだのだろう。そのことも不思議でならなかった。サインのわけはないだろうが、どうして今日に限って、という疑問が拭えない。生きていると、珍しいことやありえないような偶然が時々起る。


今日ほど『別れ』が沁みる日はなかった。いまは苦い気持ちで聴いている。


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