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高野山に日帰り(2)


車を最初の駐車場に停めたまま、『中央食堂さんぼう』で昼食を食べた後、奥之院に向かって歩き出した。


いつもは、車を移動させて、中の橋駐車場に車を停めて、バス停「奥之院前」の入り口から参道に入るのだが、それだと参道の半分しか歩いたことにならない。私は一回は、奥之院の弘法大師御廟まで、最初から最後まで、歩いてみたかった。それが実際、今回の旅の目的だった。


『数珠屋四郎兵衛』、高野山料理『花菱』や『みろく石本舗かさ国』などの店を通り過ぎ、苅萱堂を越え、さらに歩くと、道が二手に分かれる。左手つまり北側の道は少し狭く、奥之院の入り口である一の橋に通じる。右手つまり南側は高野山のメインルートで、この分岐は程なく合流し、中の橋駐車場に至る。



奥之院への入り口である一の橋を渡るとすぐに司馬遼太郎の碑がある。そこには『空海の風景』からの名文が彫られている。



中の橋駐車場から入る参道は舗装されていて道幅も広いのに対し、一の橋からの参道は古道の雰囲気を少し残している。全体的には平坦だが、多少アップダウンがあるので、山歩きの人にはこちらのルートをお勧めしたい。



一の橋を渡ると、もうそこは聖地であり、異界である。奥之院は、一番奥に弘法大師の御廟があり、その参道には、灯篭、有名無名の死者を弔う無数の供養塔や石塔が立ち並ぶ。それらが建てられた時間も様々で、最近のものもある。また、花が小さく咲いていたり、青々とした草が茂っていたり、虫が死んでいたり、蜥蜴が油断なく這っている。ただでさえ時間の流れが穏やかに感じられる高野山の中でも奥之院はちょっと違う。そこではまるで生きた時間と死んだ時間が一体となって、時間の輪廻を形成している。まるで時が止まったように感じる。



あの石段を登ると何が見えるのだろう。と思ってすこし急いだが、これまでと同じような光景が待っているだけだった。誰かを供養する碑や無数の石塔と石仏。



この先は弘法大師の御廟であり、写真撮影不可であり、帽子も不可、私語も厳禁、自分の心と向き合うしかない。高野山では空海は今でも生きているとされる。この奥で、ここに入った時と同じ姿で入定されているとされている。私は賽銭をして一本だけ蝋燭を求めた。蝋燭の灯が風に揺れるのを見ながら、これまで歩いてきた汗が引くのを待った。



御廟のお参りを終えて、御朱印をいただいた。ここでは寺号は「高野山奥之院」、本尊名は「弘法大師」と書いていただける。



帰りも同じ参道を歩くと、行きに見かけたお地蔵さんが待っていた。行きにはこのお地蔵さんを金髪の外国人が写真を撮っていて近寄れなかったため、写真を撮らなかったのだが、気になっていた。



無数の石塔。名もなき石仏。


◇  ◇  ◇


奥之院を歩いた後、苅萱堂前の『麩善』で生麩のまんじゅう、「笹巻あんぷ」を買って、金剛峯寺前まで戻ってきた。もし高野山でお土産を何にしようか迷うことがあれば、「笹巻あんぷ」が良いと思う。デパートで売っているものとは、香りが全然違う。家で食べてみたら、もっとたくさん買ってくるべきだったと後悔するほどだった。


まだ帰るまでには時間があったので、金剛峯寺に寄った。



もともと「金剛峯寺」とは、比叡山延暦寺と同じように、高野山全体を指す寺号だったが、「青巖寺」という名前でこの地に創建されたこの寺を指すようになった。明治期のことである。以来、現在の金剛峯寺高野山真言宗の総本山である。狩野元信の筆による襖絵や、雄大な石庭、皇族と高野山の住職だけが通ることができた大玄関など、見所が満載で、もし高野山に初めて行くのなら、絶対にはずせないところだと思う。私は何回か来たので正直言って今回は省こうと思ったが、時間が余ったので行くことにした。そして行ってよかった。



金剛峯寺では拝観者全員が新別殿の大広間でお茶の接待を受けられる。意外に知られていないのか、素通りしてしまう人がいるみたいだが、拝観者に対するお茶の接待は無料である。



国内最大級の石庭である蟠龍庭に向かう回廊。一対の龍が向かい合う様を表したとされており、比較的新しいものであり、なんとなく高野山らしくない感じもするのだが、日本庭園としては大変素晴らしいものだ。


今回の日帰り旅行では、結局、(1)霊宝館、(2)檀上伽藍、(3)精進料理、(4)奥之院、(5)金剛峯寺という、5つのところに行く(食べる)ことができた。あと考えられるのは、徳川家霊台、女人堂、大師教会くらいだろうか。それらを全部叶えようと思ったら、宿坊に泊まらないと不可能だ。


まず、奥之院参道を一の橋から歩く、ということを第一に優先していたので、それができたのでよかった。帰りの車も混雑せず、スムーズに下山でき、2時間で家に着いた。保育園に子供を迎えに行ったときには、聖地に行って少しだけ涅槃の境地に近づいた父親の姿があったはずだ。


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