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モニク・アース『ピアノ作品全集』


私はいつも音楽を聴いているというわけではなく、じっさいは、家では音楽がかかっていない時間の方が多い。ドライブ中にも無音の時もある。疲れていたり、気力がない時、曲を探すのが面倒で、無音のままでいることも多い。いまは音が要らない、という時もある。時々ある。そんなときにラヴェルピアノ曲を聴いたら良かった。ラヴェルは不思議と聴くことができた。いつも以上に、音楽が気持ちの中に「入ってきた」。


まず、思考を邪魔しない。なのに曲に気持ちを傾けてみると、いいな、と思う。していることがはかどる。曲が終わった時にはさらにその曲が好きになっている。感覚的で、遊びの要素が強いのかもしれない。ラヴェルが最近、肌に合っている。


ラヴェルの曲は、鋭く、多彩で、感覚的なので、聴くと、感性のどこかが刺激されるようである。美術展に行く前や、美味しい食事を食べに行く前に聴くと、行った先でさらに楽しめそうである。以上、私見である。しかし、そう思わない人にとっても、ラヴェルの鋭敏で豊かな音楽は素晴らしいものであるはずだ。


ラヴェルピアノ曲は名曲揃いなので、昔から私はよく聴いていた。持っているCDの中で、特にモニク・アースによる『ピアノ作品全集』を愛聴している。


ラヴェル:ピアノ作品全集

ラヴェル:ピアノ作品全集


このCDは、ラヴェルピアノ曲にはどんな曲があるのか知らなかった時からよく聴いている。モニク・アースの良さというと、私にとっては、「趣味の良さ」だ。テクニックが抜群というわけではないが、品格があって、行儀が良い。雄弁さは特徴でないが、音色には温かみがあり、着実な音の運びの中に、情感が仄かに出ている。思わせぶりなところは少しもない。ひたすら上品だ。さらに、『クープランの墓』、『夜のガスパール』などの難曲も立派にこなす。節度を持って、しっかりと弾いている。テクニックも持っているピアニストなのだ。


モニク・アースが弾く『亡き王女のためのパヴァーヌ』を聴いた時、私の脳裏には自分では体験したことのないあるイメージが浮かんだ。


時代は昭和。戦争で夫を亡くした婦人が、一人で住むには大きすぎる邸宅の一室で、ピアノのレッスンを行っている。婦人は、きわめて少ない数の生徒を相手に、個人レッスンを行っている。紹介されなければ受けられない貴重なレッスンだ。そのときは私のはじめてのレッスンで、季節は3月から4月にかけて、ちょうど今くらい。時間はおそらく土曜日の午後だ。レッスン前にスコーンと紅茶をいただいたあと、まずは先生がお手本の演奏をする。ピアノは家にあるアップライトとは違うグランドピアノで(おそらくスタインウェイと書かれている)、そこで私ははじめてラヴェルという作曲家を知る。儚くて美しい旋律に、「世の中に、こんなに美しい旋律があるのか」と、心を奪われる。


『亡き王女のためのパヴァーヌ』は、ラヴェルが書いた、最も美しい曲のうちの一つだ。もともとはベラスケスの描いた絵画をイメージして書かれた曲だが、モニク・アースの演奏があまりにも趣味が良くて、上品なピアノの先生のようで、私は勝手に、上記のようなイメージが浮かんだ。


このCDは全集なので、他にも上述の『クープランの墓』、『夜のガスパール』や、他にも『水の戯れ』、『高雅で感傷的なワルツ』などの名曲が揃っているし、モニク・アースの演奏も素晴らしい、大事にしているCDだ。音が要らない時にかけていて、気持ちの中に「入ってきた」のもこのCDの演奏である。