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ハイティンク&LSOの交響曲全集


今日は、ベルナルト・ハイティンクロンドン交響楽団(LSO)によるベートーヴェン交響曲全集について書いてみたい。



ハイティンクは過去にロンドン・フィル(LPO)、ロイヤル・コンセルトヘボウ管とも録音しているので、この全集が、自身3度目のものとなっている。私はこのCDを発売直後に手に入れて、当初は少し聴いたが、それほど聴かなかった。ベートーヴェン交響曲全集は他にもたくさんあり、最近のものだけでも、ヤンソンス盤、ティーレマン盤、シャイー盤など素晴らしい出来のものが他にあるため、ハイティンク盤はそれほど聴いてこなかった。


いかにもクラシック音楽らしい実直な演奏。奇を衒ったところのない、スタンダードな演奏。当初はそう思った。そして何年も放置していたのだが、先日、聴いてみたら、こんなに良かったのかと驚いた。スタンダードな演奏ではあるが、ありふれた、単なる実直な演奏ではない。それどころか筋肉質で、いかつい、荒い息遣いを感じさせるような、押しの強い、音楽づくりだ。いままで何を聴いていたのだろう。どうしてこんな聴き違いをしていたのだろうか。


まずこの全集は、録音に独特の癖がある。SACDとのハイブリット盤で、音質は悪くはないが、最近のCDにしては解像度が高くない。オーケストラが個々の楽器奏者の集合であることを意識させるような「分離」がそれほど感じられず、音が「塊」的で、要するに、音自体の煌めきを楽しめるようなタイプの録音ではなかった。多くのコンサートホールでは、音響が良いのは、左右でいうとセンターで、前後は真ん中よりやや後ろが良いが、この録音は、一列目か二列目の中央で聴いているときのダイレクトな感覚に近い。とはいえ他のCDのライブ録音ではこういう音でないものも多いので、会場となったバービカン・センターの特徴なのだろうか。あるいは、エンジニアのこだわりだろうか。どちらにしても、特有のこの音が、少し聴いただけで正しい評価が下せていなかったことの理由のひとつだと思う。


ハイティンクはこの録音の時点で80歳近い。老成して枯れているかと思ったら全然そんなこともなく、齢を重ねてますます「覇気」に満ちている。「若く」はないが、確信的な壮年期の政治家の演説のような迫力がある。ハイティンクは、変に聴き手のことを意識していない、ただ、ベートーヴェンの魂の音楽を、力強い音楽を表現することのみ。その一点だけを見ている。これは骨太の演奏だ。その歩みは、後ろを振り返らない。愚直なまでに、強烈なほど、前だけを向いている。できるだけ注意深く、この演奏を聴いたとき、ハイティンクが目指した音楽がわかった気持ちになった。


ロンドン交響楽団は、ウィーン・フィルやシュターツカペレ・ドレスデンなどのように独特のサウンドを持つオーケストラではないが、もちろん世界的なオーケストラであり、巧い奏者が揃っている。華やかではないが、質実剛健な響きを持っている。どんな作曲家も特段の苦手もなく、実直にこなす、このオーケストラが、ハイティンクのタクトで燃えている。


そんなわけで、全体的に素晴らしい演奏であるが、5番、2番がとくに優れている。5番のテンションの高さは、一体どうしたことだろうと思ったほどだ。ティンパニが凄くて、もう手が付けられない(全集を通して、元気なティンパニは聴きどころである)。この演奏に見られる、前に向かう推進力は、ブレーキの壊れた蒸気機関車のようだ。暴走の先に何があるのか。歓喜が待っている。続いて、9番も素晴らしい。残りは、優劣がつけられない。全部良い。全集として、文句なしにおすすめできるCDだ。