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巨匠たちの30・31・32


30、31、32。私は、「30=江川」、「31=掛布」、「32=マジック・ジョンソン」と連想してしまうが、プロスポーツの背番号の話ではない。ベートーヴェンの後期ピアノソナタのうちの最後の3曲、つまり30番、31番、32番の話だ。


この3曲は、名曲中の名曲で、私は、ベートーヴェンのすべてのピアノソナタの中でも特に好んで聴いている。格別に好きな作品だ。瞑想的で、内省的なこれらの3曲は、静かな夜に一人で聴くのに適している。聴力を失っていった、ベートーヴェンの心の声だと思う。それほど言われることではないが、「癒し」の名曲だと思う。ただ、これら3曲は、クラシック音楽ファンにはよく知られた名曲だが、それほど親しみのない人には、『悲愴』、『月光』、『熱情』という、いわゆる3大ピアノソナタや、『ワルトシュタイン』、『テンペスト』、『ハンマークラヴィーア』などと比べても、知名度が劣っているような気がする。それは勿体ないことだ。今日は、3名の違ったタイプの伝説的な名ピアニストによるCDを紹介してみたい。


スヴャトスラフ・リヒテル


ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第30番&第31番&第32番

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第30番&第31番&第32番


ソ連生まれのリヒテルは、冷戦下という時代背景から、自由な演奏活動が制限されていた。先んじて彼を聴いた人々からの「すごいピアニストがいる」という噂だけが先行し、その実態はヴェールに包まれていた。壮年期にようやく西側諸国に進出する場面が増えると、絶賛、喝采の嵐。現在では、史上最高のピアニストのうちの一人と言われることも多い。このCDは、晩年の録音だが、強靭なタッチと、確固とした解釈は健在である。裾野の広い山のような広さと、中身が窺い知れない深淵さがこのピアニストの持ち味だ。巨匠はいくつになっても巨匠であり剛腕だった。


グレン・グールド


Beethoven Piano Sonatas Nos. 30-32

Beethoven Piano Sonatas Nos. 30-32


とにかく自由。そして疾風のようなベートーヴェンをここに聴くことができる。最近のベートーヴェンピアノソナタの録音では、H.J.リムが個性的な演奏を披露したが、その50年も前にこのような尖った演奏が存在していたことが驚きである。まるで鼻唄を歌っているかのような、聴き手を意識しない自由さで羽ばたいている。録音が1950年代と古いため、音質が良くないのが残念だが、演奏自体は傑出したものだ。


ルドルフ・ゼルキン


ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第30番、31番、32番

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第30番、31番、32番


1987年のライブ録音。録音当時、ゼルキンは80歳を優に超えているのに、実に矍鑠(かくしゃく)としている。この演奏をどう例えればよいか。フォルテは生きてきた歴史のように重く、ピアニシモは猫を可愛がるようにやさしい。音色は京都の貴船神社の水のように澄んでいる。個人的な話になるが、私にはルドルフ・ゼルキンみたいな雰囲気の叔父がいた。いくつになっても背筋がピンと張っていて、姿勢が良かったのを覚えている。(たぶん)旧制中学校卒で、銀行に入行し、東京にも転勤し、定年まで勤めあげた。定年後は田舎に帰ってきて、余生を静かに過ごし、何年か前に亡くなった。性格は、実直で誠実。上品なユーモアがあり、子供相手の言葉遣いも丁寧だった。私はルドルフ・ゼルキンの演奏を聴いていて、あの叔父さんも、こんなふうに矍鑠としていたなあと、思い出した。

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