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ビル・エヴァンス『サム・アザー・タイム』


1980年に死んだジャズ・ピアニスト、ビル・エヴァンスの新譜『サム・アザー・タイム』をずっと聴いている。


■国内盤


■輸入盤

Some Other Time : The Lost Session From The Black Forest

Some Other Time : The Lost Session From The Black Forest


ビル・エヴァンスは人気ピアニストなので、死後に、生前の録音が発掘され、発売されるのは珍しいことではないし、最近の話で言っても、2012年に『トップ・オブ・ザ・ゲイト』というライブアルバムが発売された(→『トップ・オブ・ザ・ゲイト』についてのブログ記事はこちら)。しかし、新譜『サム・アザー・タイム』の演奏の出来栄え、選曲のすばらしさ、高レベルの音質の録音は、ちょっと信じられない。あり得ない。こんな素晴らしい演奏を、死後36年目の今、初めて聴くことができるとは。2012年の『トップ・オブ・ザ・ゲイト』も相当良かったが、それを超えている。このアルバムはビル・エヴァンスの全ての録音の中でも上位に入るものではないか。


このアルバムは、1968年のライブ録音『モントルー・ジャズ・フェスティヴァル』(以下、『モントルー』)から5日後にドイツMPSスタジオで行われた収録から、全18曲、21テイクの2枚組というボリュームで構成されている。この録音が、彼のディスコグラフィーで言うと、『モントルー』と『アローン』の間に位置するが、権利の問題がクリアされないまま発売されずに現在に至っていた。例えば私が去年死んでいたら、ビル・エヴァンスは1980年に死んでいたにもかかわらず、聴けなかったことになる。それが日の目を見て、2016年に発売されて、私は聴くことができた。本当に嬉しい。


ベースはエディ・ゴメス、ドラムはジャック・デジョネットというトリオでのスタジオ録音で、このトリオは、先述した、5日前の『モントルー』で演奏したのと同じ面子だ。


冒頭の曲「ユー・ゴー・トゥ・マイ・ヘッド」の最初の数音が鳴った時だけで、これはひょっとすると凄い演奏ではないかと期待を持たされる。音が引き締まっている。つい昨日録音されたかのような生々しい音質で、当たり前だがこの録音の中にビル・エヴァンスが生きている。続いて、エディ・ゴメスのベースが入って来る。火花が散るようなアドリブの応酬ではなく、お互いに理解している者同士が、お互いに歯車として音楽を形作っていくようなポジティブな展開だ。しばらく聴いているうちに、これは凄い演奏だと確信する。また、この音楽はまさしくビル・エヴァンスだと悟った。親しみやすいがそれだけではない。むしろ親しみやすさとは対極の深みがある。リリカルと表現されるように、彼のピアノは耽美的であるが、綺麗で美しいだけではない。知的でディープ。期待を上回る転調。スタイリッシュなのに退廃的。昔から聴いているが未だに飽きない。聴けば聴くほど夢中になっていく。それが彼のピアノだ。


続いて2曲目の「ヴェリー・アーリー」へ。ドラムは演奏せず、ピアノとベースとのデュオとなっている。ビル・エヴァンスとゴメスが心地よいインタープレイを繰り広げる。アルバム『ムーン・ビームス』でも収録されている名曲。よりくだけた演奏で、リラックスしたムードが伝わってくる。


寛いだ雰囲気のデュオが続く。「ホワット・カインド・オブ・フール・アム・アイ」。ゴメスの調子が尻上がりに上がって来るようだ。彼のベースが気持ちよく歌っている。ピアニストに合わせるだけでは物足りないのだ。歌えるベーシストなのだ。


「アイ・リメンバー・エイプリル」。よく知られたスタンダードナンバーもビル・エヴァンスの手にかかるとここまで洒落たものになるのだろうか。歯切れが良く、都会的だ。


「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」。この曲で思い出すのはギタリストのジム・ホールと共演したアルバム『アンダーカレント』。再び、デジョネットのドラムが入って来る。7分強の演奏で、このアルバムの中では最も長い演奏である。曲調もあるのだろうが、とても内省的でシリアスな演奏となっている。当日にどんな順で収録されたのか不明だが、この流れの中での「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」が効いている。ムードを締めてきているのか。それはともかく、この曲があることでアルバム全体が引き締まったような印象を受ける。


一枚目の最後の曲、アルバムタイトルにもなっている「サム・アザー・タイム」も凄い。エディ・ゴメスのベースで静かに始まる。スローテンポで退屈で眠いかと思うとそうではなく、覚醒してしまう。ビル・エヴァンスのピアノは少しの音で空間を支配している。彼が紡ぎ出す音符の並びは、まるで口数の少ない重要人物による重みのある発言みたいに、場の空気を変えてしまう。圧倒的な支配力だ。デジョネットのブラシワークはロマンチックで、三者が甲乙つけがたいパフォーマンスを発揮している。


あとは個々に触れないが、別テイクも含め、はっきり言って「捨て曲」なし。2枚目も1枚目と同レベルの演奏だ。


全体として感じるのは、『モントルー』で、完全燃焼したコンサートの後のコンビの状態の良さだ。あの時の演奏の良さ、自分たちがここまでできるということを、当事者同士で振り返る確認作業のような印象である。まだ余韻に浸っているような、夢の続きの世界にいるような気持ちを聴き手にも抱かせる。


こういうものを聴きたかった。そう感じながら、毎日聴いている。