地下鉄で聴く、ショパンのバラード
地下鉄に乗っている時、ショパンを聴くのが何故か好きだ。電車なら何でも良い訳でなく、JRでもなく、阪急電車でもなく、地下鉄というのが不思議なのだが、地下鉄とショパンは合う。
地下鉄は車窓の風景が変化に乏しく、視覚的な情報が制限される分、音楽への没入感が高まるのか。また、騒々しい地下鉄の車内で、静かなピアノ曲を聴くというギャップが良い。ノイズキャンセリングヘッドフォンを使えば、それほど音量を上げなくても、ショパンの繊細で情緒的な音楽を楽しむことができる。私はノイズキャンセリングヘッドフォンを2つ持っているので、気分で使い分けている。
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特に休みの日に地下鉄に乗っている時に、ショパンを聴いていると、充実感を感じ、本当に幸せな気持ちになる。生涯にわたってピアノ曲を書き続けたショパンの作品は、一人の人生が詰まっている。濃密な伝記を読むような感覚で、聴き浸り、ショパンの眩しい青春を追体験し、孤独に涙する。完全に音楽に身を任せる、という状態になる。
地下鉄で聴いているとき、冒険して、普段あまり聴かないピアニストの演奏を選んで、発見することもあるし、聴き比べを楽しむこともある。
ここに聴き比べに最適な2枚の作品がある。ショパンのバラード集で、クリスティアン・ツィマーマンとマウリツィオ・ポリーニという、現代を代表する二人のピアニストがショパンのバラードを演奏したものだ。全4曲のバラードに加え、幻想曲が重複している。私がバラードも好きだが、幻想曲も同じくらい好きな曲だ。
■クリスティアン・ツィマーマンのバラード集
- アーティスト: ツィマーマン(クリスティアン),ショパン
- 出版社/メーカー: ユニバーサルクラシック
- 発売日: 2009/04/29
- メディア: CD
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私が最初に聴いたショパンのバラードは、ツィマーマンのアルバムだった。ずいぶん昔、クラシック音楽を聴きはじめた頃、私は交響曲から入ったので、ショパンはワルツくらいしか聴かなかったが、梅田のタワーレコードで、ショパンの他の曲を探していて買ったCDがツィマーマンのバラード集だった。ひたすら美しいショパンだった。ショパンのイメージを決定づけるものだった。
一言で言うと、この演奏はツィマーマンの「美学」。こんなに美しい音色があるのだろうか。スワロフスキーのクリスタルのように透明感のある音色。テンポ設定も絶妙で、聴き手にストレスを与えない、中庸を意識したバランスを維持している。ツィマーマンは自分を見失わない。ショパンの音楽に存在するドロドロとした要素からは、一歩距離を置いている。かと言って、客観的すぎるというわけではなく、とてもツィマーマンらしい美学と確信に基づいた(主観的な)演奏なのだが、この距離感で、ショパンを説得的に聴かせるというところに、ツィマーマンの凄味がある。巨大な作曲家と対峙する、ピアニストという職業に対する矜持を見た思いがする。単なる優れた演奏を突き抜けた、エレガントな美しさに聞き惚れる。
地下鉄の喧騒の中、私は一人、ショパンの世界に没入する。
■マウリツィオ・ポリーニのバラード集
- アーティスト: ポリーニ(マウリツィオ),ショパン
- 出版社/メーカー: ユニバーサル ミュージック
- 発売日: 2016/04/06
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この録音は1990年代最後のもので、ポリーニは50代も終盤を迎えている。若い頃に、「機械のようだ」、「冷たい」と言われたポリーニのピアノは、壮年期を迎えても、大きくは変わらない。テクニックで若手に譲るつもりはなく、若い頃と同じように、いつまでもアスリート的である。
ツィマーマンを聴いたすぐ後に、ポリーニを聴くと、両者の違いが際立つ。テクニックの高さは共通するが、印象は全然違う。ポリーニのバラードは激しい。比べてみるとツィマーマンは、優しかった。ポリーニのスタイルは、一言で言うと「苛烈」。
ツィマーマンを聴いた後では、獰猛で過激だとさえ思う。すべての音符を、正確に再現することに対する本能のようなものがある。しみじみとした情緒のようなものは、あまり感じられず、こちらは共感するというよりは、作曲家・ショパンが書いた音楽を、ピアニスト・ポリーニが熾烈に描き出す、洪水のような音の集積に驚愕し、ただ圧倒される。しかし、そういう音楽体験も悪くはないと思う。そんな印象をもたらすピアノなんて、ポリーニくらいしか、考えられないからだ。
続いて、幻想曲の比較にかかる。幻想曲は私がとても好きな曲だ。特に思い出深い曲ではないのだが、いつもこの曲を聴くと、涙が出そうになる。そのくらい好きな曲を素晴らしいピアニストで比較できる。こんなに贅沢なことはない。しかも地下鉄の中なのに。
そうこうしているうちに地下鉄が目的地に着いたりする。曲の途中で終えてしまった場合は、帰りに聴けばよい。ある程度のまとまった時間、好きな作品を聴き浸った後だけに、そのあとの足取りはとても軽い。