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アルゲリッチとアバドのモーツァルト


先日、ペライアによるモーツァルトのピアノ協奏曲第20番について書いたので、同じ曲の録音を探していたら、同じくらい素晴らしいものがあったので紹介してみたい。


そのCDとは、マルタ・アルゲリッチクラウディオ・アバドが振るモーツァルト管弦楽団と共演したものだ。


モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番&第25番

モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番&第25番


こちらは、ペライアの1977年の録音と比べると格段に新しい録音で、2013年3月のルツェルン音楽祭のライブを音源として発売された。アバドは翌年1月に亡くなっており、没後初めて発売されたCDであり、アバドの最後期の録音の一枚となっている。アバドは、ドイツ・グラモフォンへの録音デビューがこれもまたアルゲリッチとの共演で入れたプロコフィエフラヴェルのピアノ協奏曲だというから、両者の不思議な縁を感じる。


オーケストラはこれもアバド絡みで、というかアバドが設立したオーケストラ。モーツァルトのためのオーケストラ。モーツァルト管弦楽団だ。団員は18歳から26歳までの若い奏者に限られているという。透明感に溢れ、清廉かつ、若々しい演奏を聴かせる。


そしてソリストについて触れるのが最後になってしまったが、マルタ・アルゲリッチアルゲリッチが天才で、現代最高のピアニストの一人であることに異論はないと思う。彼女のようなピアニストが今後、出現することはもうないかもしれない。彼女の演奏はまるで、ピアノの化身のようで、他のピアニストとは全く異なっている。リズム感は独特で、テンポはつんのめるように前のめりでありながら、せかせかした印象を与えない。天才的な感覚としか言いようがない。そうやって構築した音楽は、「これしかありえない一つの真実」としか言いようのない絶妙のバランスを見せている。よく言われることだが、モーツァルトでもベートーヴェンでも、ショパンでも、アルゲリッチが弾くと、アルゲリッチの音楽になってしまう。別の言い方をすると、作曲家を食ってしまう。そんなピアニストは他にはいない。


そんな彼女が演奏する20番だから、聴き流して良いはずがない。これは彼女の一人舞台だ。テクニックは完璧。機械のように正確なのに、ウェットで情緒的だ。我を忘れて聴き惚れてしまう。リズムは独特。自由で奔放なピアノだ。ちなみにこのときアルゲリッチは既に70代を超えている。これは70代のピアノではない。かといって20代でこういう演奏ができるかと言われれば、まずできない。アルゲリッチにしかできない。アルゲリッチは20代の頃から全然変わっていない。70代なのに。共演するアバドは、基本的にはアルゲリッチのやり方をサポートしつつ、ピアノがない部分では、伴奏に終わらない美しさではっとさせる。


アルゲリッチアバド。オーケストラもモーツァルトの名前を冠している。奇跡のような巡りあわせの一枚だ。もう聴くことのできないアルゲリッチアバドモーツァルト。この現代最高のピアニストは、いつまでたっても枯れることのない泉のような、生命力の溢れた演奏で聴衆を驚かせる。


最後にもう一つ、カップリングされている25番について触れなければならない。ピアノ協奏曲第25番ハ長調は、傑作揃いの20番以降の作品の中では比較的マイナーな作品なのかもしれない。私は20番、21番、22番、27番、次いで23番を特に好んでいるが、25番はあまりピンとくるものがなかった。しかし今回あらためて聴いてみて、これは素晴らしい曲、素晴らしい演奏だと思った。知的でユーモラス。優しさの中に仄かな悲しみがあり、そこにスケールの大きさが加わり、唯一無二の曲だと知った。この曲の魅力が、情感豊かなアルゲリッチのピアノによって、引き出された面が大きいのではないだろうか。20番でも過去の名盤に名を連ねる。25番についてはこの曲の演奏のベストだ。


土日の連休。このCDばかり聴いて過ごした。