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プラハ国立劇場オペラ『フィガロの結婚』フェスティバルホール

明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。


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正月に、久しぶりにオペラに行ってきた。


仕事と子供の世話で平日や普通の土日は全然予定が立てられないことが多いのだが、1月3日は正月休みの最中でもあるし、妻に子供を頼んで行ける目途が立った。しかし、小さな子供持ちが、仕事ではないことに休日出掛けて行くというのは、そういう実務的なことよりも、家族や小さな子供を置いて自分だけがオペラに行く、罪悪感をどうするのかということが重要である。割り切りと、気持ちの切り替えが超えるべき壁だったりする。しかし子供も成長すれば、そのうち親の方が不要な存在となってくるはずだ。いつまでも子供次第な生活で良いのか。趣味の世界は埃にまみれてしまう。子供も少しは大きくなってきたことだし、案外気持ちがストップをかけているだけで、行く条件さえそろえば、簡単に行けるのかもしれない。1月3日ならなんとかなる。1月3日にフェスティバルホールで『フィガロの結婚』のオペラをやっている。しかもチェコのオペラハウスの来日公演だ。「これは行かねば」と思った。いままではあまり行けなかったが、そういう楽しみを持った一年にしたい。そんなふうにして、チケットを取ったのが1週間前だった。空席はかなり少なくなっていたが、幸い、2階席最後列が空いていた。



今回、来日した「プラハ国立劇場」は、「スタヴォフスケー劇場」による公演である。プラハには3つの大きなオペラハウス(スタヴォフスケー劇場・国民劇場・国立歌劇場:通称・新ドイツ劇場)があり、そのうちの二つ、スタヴォフスケー劇場と、国民劇場は同一の劇場が運営している。チェコの3つのオペラハウスはどれも親しみ深いオペラハウスだが、中でもスタヴォフスケー劇場は私にとって思い出深い劇場だった。モーツァルトの『ドン・ジョバンニ』を初演したその劇場で、私は約10年前、『偽の女庭師』というモーツァルトのオペラを観た。その旅行で私は、残り2つのオペラハウスでもオペラを観て、ハンガリーの国立歌劇場にも行った。一人目の子供が生まれる前の話で、それから10年以上経った。いまはローカルに働いていて、余暇でも海外にすら行けなくなって、そのままパスポートも切れている。その時のスタヴォフスケー劇場。今回観られるのが、あの劇場の『フィガロの結婚』だというのが、決定的だった。



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ひとりでも行けるオペラ極楽ツアー

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私は開場30分後の14:30にフェスティバルホールに着き、webで予約していたチケットを受け取る。ひたすら長い、天井の低いエスカレーターに乗り、ホールのフロアに上がる。オペラなので、全体的に綺麗な服装の人が多い。カジュアルな服装の人もいるが、中には着物の人もいる。『007』のジェームズ・ボンドみたいなタキシードの人もいる。スーツの人も一定の割合でいる。さすがに短パンの人は皆無だ。私はボタンシャツに下はチノパン。上はコートを着るので、ジャケットは着ない。1階席前列でもないので、このくらいで手を打った。周りから浮かない、平均的な服装だ。席に着いて、購入したプログラムや他の催しのチラシを見ているうちに、開演時間となる。全4幕のオペラで、多くの『フィガロ』の上演と同じように、第2幕の後に休憩があるようだった。照明が暗くなり、案内アナウンスが始まる。照明が最低限必要なものだけを残してすべて落とされ、指揮者が登場する。観客は固唾を飲んで見守る。


指揮棒が振り下ろされ、序曲が始まる。古い家の古い家具のような、古風で優雅な、いかにもモーツァルトらしい音。インターナショナルなサウンドでなく、ローカルなサウンドである。プラハのスタヴォフスケー劇場で聴いたものと同じ音がそこにあった。その音は、ホールを鳴らすというよりも、ダイレクトに伝わってくる。もっと小さな空間で聴いているみたいな、王宮のサロンで聴いているみたいな(行ったことないけど)、演奏者から聴き手までの距離が近いと感じるような音だった。そしてフェスティバルホールの音にも触れておかなければならない。私はフェスティバルホールがリニューアルしてから初めてだったが、旧フェスティバルホールと比べて音響はさらに良くなっているように感じた。大きさを感じさせないというか、モーツァルトの規模のオーケストラなのに、この大きなホールで、モーツァルトの音楽に対して音量が足りない感じがない。以前のフェスティバルホールも素晴らしいホールだったが、ジャンルによっては、席によっては音が遠さを感じるところもあったし、繊細な要素が聴き分けにくい時があった。


指揮者のエンリコ・ドヴィコ氏は、私には知識がないが、各地のオペラハウスでの経験も豊富で、現在、ウィーンのフォルクスオーパーの首席客演指揮者を務めている実力者だ。いわゆるスター指揮者ではないが、オペラでオペラハウス叩き上げの経験に勝るものはない。彼のタクトから、確かにモーツァルトの音が生まれている。


舞台の幕が上がり、フィガロが登場する。フィガロは褒めすぎなら申し訳ないが、クリス・プラットみたいな雰囲気だった。逞しく、優しく、ユーモアがある、とても健全なフィガロだった。スザンナは、スタヴォフスケー劇場のソリストを務めるソプラノ歌手で、日本人でも小柄なくらいの方だろうか。でも声量は十分で、可憐でありながら芯の強さが伝わってくるような雰囲気だった。スザンナらしいスザンナだった。伯爵は、役柄の割に、大らかさや優しさが出ており、権威的でなく、一杯食わさせてしまうのだが、テーマで描かれているモーツァルトのメッセージが生きてくるのは、彼の伯爵だからこそというのがあった。伯爵夫人は、有名なエヴァ・メイで、私が知っているのは、彼女くらいのものだった。『フィガロ』では伯爵夫人は、スザンナ以上に見せ場の多い伯爵夫人なので、さすがというか、圧倒的だった。名前で客が呼べるオペラ歌手という感じだった。他の出演者も国際的なスターではないにしても、チェコの歌劇場で活躍する有力な歌手ばかりで、大変レベルが高かった。ケルビーノもマルチェリーナもバジリオもバルトロもアントニオもバルバリーナも、みんな良かった。日頃こんな高水準のオペラに接しているプラハの人が心底羨ましいと思った。またいつか、そういうところに旅行に行って、オペラを楽しむことができるようになるのだろうか。


オペラ名歌手201 (OPERA HANDBOOK)

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(↑こちらの『オペラ名歌手201』に載っているくらい有名な「エヴァ・メイ」。)


舞台が進むにつれて、場が温まってきて、歌手もオーケストラも(客席も)慣れてくるのがオペラの面白いところだ。固さが取れ、次第に自由になっていく。濃くなって、「地」が出てくる。歌手は個性的に、オーケストラは流麗になる。観客もリラックスしてきて、柔らかくなってくる。そんななかで、エヴァ・メイの圧倒的な独唱が出てくるから、陶酔してしまう。


演出や舞台設定は、最先端の舞台装置を誇るものではなく、素朴なものだったが、新演出も良かった。フェスティバルホールの舞台の見やすさは素晴らしくて、それほど高価な席ではなかったのに、随分近く見えるものだと思った。休憩時間に1階から3階まで、見え方がどうなのか見に行ったが、3階は高さがあるものの、見えにくいということはなかった。1階は最後方でも舞台から近い。よく見える。良い意味で、1階から3階まで差がそれほどない。一体どういう設計で出来ているのだろう。素晴らしい設計思想。フェスティバルホールの良さがアップデートされている。もちろん、同じく大阪のシンフォニーホールのような「残響2秒」みたいなクラシック専用ホールとは違うが、この大きさなホールで、この音で、この見え方で、オペラを楽しめるのが凄い。第一、シンフォニーホールではオペラを上演できない(演奏会形式を除く)。


久しぶりにオペラの実演を観てみて、中でも『フィガロ』は何と楽しいオペラなのだろうと思った。話が楽しいばかりでなく、まるで、心が躍るような音楽の洪水だ。私が最も好きなのは、数ある名場面の中でも、第2幕のフィナーレだ。登場人物が徐々に増えてきて最終的に七重唱にもなり、ストーリー上はドタバタで吉本新喜劇の最後みたいな無政府状態で、一体どうなるのかという感じでハラハラさせるのだが、音楽的にもスリリングで、手に汗を握る。高いテンションのまま最後までスピード感を緩めずに奔るという感じで、興奮してしまう。曲の終わりとともに幕が下りてくるのだが、拍手は鳴りやまない。


そして休憩後、第3幕、第4幕と続く。全編にわたって、これほど名場面、名曲ばかりという作品も少ないだろう。とにかく全部が見どころ、聴きどころ。終始、笑顔で舞台に接することになった。



そんなわけで、休憩を含めると3時間半近く。あっという間だった。最後のカーテンコールを終わっても拍手が続き、照明が再び灯されて、オーケストラが退席するために起立すると、ようやく拍手が止んだ。オペラほど非日常を味わえる催しは少ないと言われるが、本当に非日常の世界だった。忙しい現代人が視覚と聴覚を舞台に集中させられ、意識は創作の世界に入り込み、3時間半も同じ場所に座っている。そういう娯楽は少ないのかもしれない。夢のような3時間半を過ごした私は、陶酔した気分を持続させる気で、そのまま地下1階の英国風パブに入った。

プラハ国立劇場オペラ来日公演】
2018年1月3日
プログラム/プラハ国立劇場オペラ『フィガロの結婚
会場/フェスティバルホール
開演/15:00
指揮/エンリコ・ドヴィコ
フィガロ/ミロシュ・ホラーク
スザンナ/ヤナ・シベラ
伯爵/ロマン・ヤナール
伯爵夫人/エヴァ・メイ
ケルビーノ/アルジュベータ・ヴィマーチコヴァー
マルチェリーナ/ヤナ・ホラーコヴァー・レヴィツィヴァー
バルトロ/ヤン・シュチャヴァー
バジリオ/ヤロスラフ・ブジェジナ
ドン・クルツィオ/ヴィート・シャントラ
アントニオ/ラジスラフ・ムレイヌク
バルバリーナ/エヴァ・キーヴァロヴァー
プラハ国立劇場合唱団/管弦楽団/バレエ団


www.concertdoors.com

【2019プラハ国立歌劇場来日公演スケジュール】
1月3日(木)15:00開演 フェスティバルホール
1月5日(土)/6日(日)15:00 開演 東京文化会館
1月7日(月)18:30 武蔵野市民文化会館
1月9日(水)18:30 練馬文化センター
1月10日(木)18:30 川口総合文化センター
1月12日(土)17:00 日本特殊陶業市民会館
1月13日(日)15:00 滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール
1月14日(月・祝日)15:00 アスティとくしま
1月15日(火) 18:30 福岡シンフォニーホール
1月17日(木) 18:30 アクトシティ浜松
1月18日(金) 18:30 茅ヶ崎市民文化会館
1月19日(土) 15:00 盛岡市民文化ホール
1月20日(日) 15:00 よこすか芸術劇場