正月早々、『武士の一分』を観た。
正月に映画『武士の一分』を観に行ってきた(→公式HPはこちら)。
山田洋次監督の時代劇としては、『たそがれ清兵衛』、『隠し剣・鬼の爪』に続く3部作目だ。
結論から言えば、これは観てよかったなあと思える映画だった。
いちぶん【一分】
(1)その人の面目。→「男の ─ が立たない」
(2)分相応。それなりの。→「眼前の人の為に ─ の利益は為(す)べからんをば/正法眼蔵随聞記」
(3)一様。同様。→「我とは兄弟 ─ に申しかはせしに /浮・一代男」
(4)ひとり。自身。→「それもてめえ ─ で済む事か /人・閑情末摘花」
(三省堂『大辞林』第3版より引用)
時は幕末、地方の藩士、三村新之丞(役:木村拓哉)は藩の毒見役を務める。藩主の食べる食事に毒が盛られていないか調べる役回りだ。不条理でやり甲斐のない仕事と、隠居したら道場を開くという慎ましい夢。
ところが毒見の際に食べた赤ツブ貝の毒にあたり、なんとか一命を取り留めたものの失明してしまう。
これからの生活はどうなるのだろう。
これまで通りの扶持を得ることが出来るだろうか。
もう働けない新之丞に対し、飼い殺しに近い待遇、非情な決定が下るのではという噂が流れる。
新之丞の妻・加世(役:檀れい)は、少女時代に見知りだった藩の番頭・島田藤弥(役:坂東三津五郎)を頼る。
島田は、藩の大老に進言してくれるという。
しかし。
「ただと思うな。」
妻の不貞を知った新之丞は「武士の一分」が許さない。命を懸けて果し合いをすることを決心する。
◇ ◇ ◇
以上が大体のストーリーだ。
いろいろと考えさせてくれる映画だった。
プライドの問題。
誰にも「ここは譲れない」というものがある。人としての品位が問われる。
仕事の問題。
毒見役という仕事と、そこに生きがいを見出せない主人公キムタクに、職業、仕事、学校や生活を重ね合わせる人は多いのではないか。
介護の問題。
人の世話にならなければ生きられないということがどんな本人にとって辛いことなのか。しかも主人公はまだ若い。
重いテーマも含むが、山田洋次監督作品らしく映画作品の中でうまく消化している。
そしてラスト。
こういう終わり方はアリだと思うが、ラストには私は少々不満だ。
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