USHINABE SQUARE

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神戸元町の『ハナワグリル』

先日、神戸元町にある洋食店『ハナワグリル』に行ってきた。昭和6年創業の老舗で、数々の文化人、有名人に愛された名店として知られる。


私はJR大阪駅から新快速電車に乗り、三宮でいったん下車し、普通電車に乗り換える。そして一駅、元町駅で降りた。『ハナワグリル』は元町駅の北側にある。元町は、買い物で人がよく訪れるのは南側で、大丸百貨店も南側にある。メリケンパークや南京町などの観光地も南側に集中していて、『ハナワグリル』はそれと反対側にある。こちら側に向かうことはあまりないなと思いながら、急な坂道を歩いていた。駅からの距離はそれほどでもなく、すぐに着いた。



店に入ると、先客は二人いた。女性の二人組だけだった。平日ということもあって、空いていた。私は静かな店内で食事をするのが好きだ。平日の昼に、他人の会話に邪魔されずに、一人で食事をするのは、とても充実した時間を過ごしているように感じる。その後、四人組の女性客が入ってきて、けっこう騒がしく会話していたのだが、意外に気にならない。店が広いのだろうか。同じ音量でも気になる店と気にならない店がある。店の落ち着いた雰囲気が、少々の騒がしさを消してくれる。


私は、「今日はビフカツ(ビーフカツ)を食べる」と決めていたので、ビフカツランチを注文する。神戸でビフカツを食べるということだけで心が躍る。100グラム2,300円、150グラムで3,300円だったので、私は大きいほうを注文する。3,300円というのはけっこう決心がいる価格かもしれないが、日ごろは、昼にコンビニのおにぎりで済ますこともあるので、たまにはこうやってバランスを取ったとしても罰は当たらないだろう。


そのうちに私の料理が運ばれてくる。



まずはスープが提供される。スープは日替わりで、具はしめじと冬瓜だった。コショウの香りに加え、和風のだしの効いたスープで、最初から「そのへんにある洋食屋」とは違う雰囲気のメニューだ。



続いて、サラダ。単に野菜を食べるというだけでなく、胡瓜の皮の処理など、芸が細かい。こういう工夫があるのが嬉しい。


その後、年配の男性の一人客が店の入り口のドアを開けて入ってきて着席する。何となく余裕のありそうな老紳士で、メニューについて店の人とやり取りをしている。私は、こういう人はスマホで事前にメニューをチェックするなんてことはしないのだろうなと考えていた。看板メニューや評判には目もくれず、その日のフィーリングで決める。車はたぶん二つ前くらいの世代のクラウンだろうなとか勝手に想像しているうちに、その人は、ステーキを注文していた。私はステーキという発想はなかった。一瞬、心が揺れ動いた。しかし、今日はビフカツだ。



いよいよメイン。ビフカツが登場する。店によって、最初から切っているタイプの店と、自分で切るタイプの店があるが、こちらは後者だ。フォトジェニックなのは、切れた断面を見せることだが、味はどちらも一緒だ。きちんとしたビフカツは切るのも容易なので、私は自分で切るる。付け合わせの野菜も、焼いたものと茹でたものがあって凝っている。



ナイフとフォークを使って切ると、断面は綺麗なピンク色だ。焼き加減(揚げ加減)?はミディアムで、口に入れると、衣のサクッとした触感。肉は柔らかく、内側にかけて次第に弾力を増す。ぐにゅぐにゅとグミみたいな触感。爆発的な旨みが口の中で広がる。ビフカツは牛肉を油で揚げただけのものではない。たんにトンカツの牛肉版ではない。どうしてこんなことになるのか、ビフカツを食べるたびに毎回不思議だが、牛肉を揚げるだけで、ステーキともトンカツとも全く違ったジャンルのものとなってしまう。トンカツという評価軸で評価すると上限を振り切ってしまうし、ステーキという評価軸で評価すると審査員特別賞に値する。昼から3,300円は高価だが、安い居酒屋で飲むよりも安い。それなのに満足度は上回る。


【↓↓↓過去のビフカツについてのブログは下記を参照↓↓↓】

ushinabe1980.hatenadiary.jp

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次のビフカツはいつになるかと考えると、食べ終えるのが名残惜しかった。日ごろはコンビニのおにぎりを4口くらいで食べてしまうのに、ゆっくりと噛みしめる。一人の充実した食事の時間を味わった。これから行ってみたいところが山ほどあった。まだ半日ある。私は食後の珈琲を味わいながら、これから、観光地が集中する元町駅の南側のどこから行こうか思案していた。

【ハナワグリル】

所在地/神戸市中央区北長狭通4-3-13 兵庫県私学会館1F
営業時間/11:30~20:30
定休日/12月30日31日・1月1~3日

SONYのノイズキャンセリングイヤホン『MDR-NWNC33』

ウォークマン用に、ノイズキャンセリングイヤホン『MDR-NWNC33』を買った。



【↓ウォークマンを買った話はこちら】
ushinabe1980.hatenadiary.jp


私はソニーゼンハイザーのワイヤレスノイズキャンセリングヘッドホンも持っていて、それらの音と使用感は素晴らしいものがあった。しかしそれらはヘッドホンとしてはコンパクトとはいえ、入れるカバンも選ぶので、日頃持ち歩くが億劫になってきた。したがってウォークマンに付属のイヤホン『IER-NW500N』で済ますことが多くなってきたのだが、問題が出てきた。ハウジングが円筒状になっていて、耳への収まりが悪い。深く入れすぎると痛くなり、浅いと落ちてしまう。この『IER-NW500N』だって、ウォークマンに付属のイヤホンなのでバランスが悪いはずはなく、単体で1万円くらいするものなのでクオリティは高く音質もなかなかのものだが、一度気になると、ずっと気になってしまう。


そこで、小さくて、そこそこのもので良いので、耳が痛くならないものを望み、検討中だった。結果的に選んだのは、ウォークマン専用の『MDR-NWNC33』だった。この製品は10年近く前から売られていて、まだあったのかという感じだが、3000円台という値段で気軽に購入できるため、ものは試しで購入してみた。私はiPodを使っていた時に同系統の汎用品である『MDR-NC33』を愛用していた。使用感はそれと全く同じだった。ウォークマンは本体にノイズキャンセリング機能があるため、『MDR-NC33』と違い、外に電池ケースがない分すっきりしている。



付け心地はもう過去に慣れているので、何の違和感もない。ハウジングが平らになっているので収まりもよく、落ちない。音はエージングをしなくても、最初からしっかり鳴る。硬さがなく、馴れた音がする。音量も十分で、迫力もある。何故か以前使用していた『MDR-NC33』よりも数段上だ。ノイズキャンセリングの効果も『MDR-NC33』より優る。製造の精度が上がっているのだろうか。中身は別物なのだろうか。あるいは、音楽プレイヤーの性能が向上しているからだろうか。音質は想像以上に良かった。付属のイヤホン『IER-NW500N』と比べると、フィッティングの良さもあって音質は上回っている。ノイズキャンセリング性能は同等レベル。耳へのおさまりで上回る分、耳の中でしっかり雑音を消してくれる。地下鉄でクラシック音楽ピアノソナタを聴くことができるレベルだ。これで、以前のものを選ぶ理由がなくなってしまった。しかも購入価格は3000円台で、三分の一以下だ。10年近く製造されている製品はやはり違うのか。


ソニーノイズキャンセリングイヤホンといえば、ワイヤレスの『WF-1000X』や『WF-SP700N』が新しく、iPhoneスマホ用として売れていて、テクノロジーの権化みたいな感じだが、それらに比べるといまさら、という製品かもしれないが、購入してとても満足している。製造中止になる前に保管用で別の色のものを購入しようか真剣に迷っている。

心斎橋『明治軒』のオムライス

昼時に、心斎橋で何か食べようと思ったら、大体、『明治軒』か『ニシモト』に行く。どちらも洋食の店だが、さらにジャンルを細分化すると、微妙に異なっている。『明治軒』はオムライス。『ニシモト』は洋食弁当。共通するのは、どちらもそれほど混まず、食べられることだった。だった、というのは『明治軒』は最近、いつでもとても混んでいる。正午付近でなければ「座れない」ということほどではないのだが(12時付近は並ぶこともある)、大体いつも混むようになっている。なぜだろうか。たまたま、私が以前よく行っていた時期に空いていただけだったのだろうか。それともいま空前のオムライスブームが来ているのだろうか。最近は人気店に特に人が集まるようになっている。明治軒は心斎橋でオムライスといえば一番か二番に名前が挙がる名店である。


この辺のオムライスの店としては難波にある『北極星』も有名だ。私も行ったことがある。しかし場所が私にとってはそれほど便利なところではないので、圧倒的に『明治軒』のほうに行く。そのあと買い物するにしても便利だ。


→【北極星のオムライス】

→【洋食ニシモト】


先日、心斎橋に昼時にいたので『明治軒』に行った。11時過ぎに店に入ったが、すでに先客は多数で、結構たくさんの人がオムライスを食べていた。私はオムライスよりも天津飯のほうが好きなくらいだが、老舗のオムライス、おいしいオムライスは時々無性に食べたいと思う。



私はいつもの定番メニュー、牛串カツとオムライスを注文する。私だけでなく、半分以上の人が、牛串カツのセットを注文している。串カツは豚肉でなく牛肉で、オムライスと串カツのセットというのが面白いところで、こういう組み合わせはあまり聞いたことがない。オムライスにトンカツやエビフライ、ハンバーグなどが乗るというケースはあるかもしれないが、牛串カツをトッピングに使うというのが珍しい。創業昭和元年の老舗のオムライスは串カツとセットで食べる。オムライスと串5本のセットは1,150円だった。5本が多いならば3本のセットもある。しかし5本でも意外に軽く食べられる。カラッと揚がっていて、牛肉も重くない。これはこれでいける。オムライスを頼まずにビールと牛串カツだけでも良い時間が過ごせそうだ。しかし私は今日は昼ごはんにオムライスを食べに来たのであったため、ビールを注文せず、オムライスとのセットを注文したのだった。


『明治軒』のオムライスは、流行りのトロトロ卵のオムライスではなく、由緒正しい老舗のオムライスだ。卵の上のソースは酸味のあるドミグラスソース。具は目立たず、大半が中のソースの中に溶けている。チキンライスはパラパラではなく、ケチャップ濃厚なタイプ。こういうものを食べ慣れてきたので、安心感がある。由緒正しいオムライスには満足度が高い。私はあっという間に食べ終わり、このあと心斎橋でどう過ごすのか考えるためその辺りの喫茶店に向かった。

【明治軒 (メイジケン)】

住所/大阪府大阪市中央区心斎橋筋1-5-32
営業時間/
(月・火・木・金)11:00~16:00・17:00~22:00
(土・日・祝)11:00~22:00
定休日/水曜(水曜が祝日の場合は翌日)

大阪市立美術館『フェルメール展』

天王寺大阪市立美術館で開催されている『フェルメール展』に行ってきた。2月16日から5月12日までの長期開催なのでいつでも行くことができるが、後半になるにしたがって混雑が予想される。ウェブで調べた情報によると、3月初めはまだそれほど混雑していなかったようだ。春休みになれば、だんだん混んでくるだろう。そこで、それほど混んでいないこの時期に行ってきた。


vermeer.osaka.jp


今回来日している作品は6作品で「西日本最大規模」と謳われている。現存する絵は30数作品。フェルメールを見るために世界中を飛び回る旅行者がいるくらいだ。1作品来ただけで大騒ぎなので、今回の6作品は、先に行われた東京展での8作品には及ばないものの、私も記憶にないくらいの規模だ。絶対に外せない展覧会だ。30数作品しか現存しないフェルメールの作品を一気に6作品も見ることができる。ありえない。


天王寺駅で電車を降りて、天王寺公園に向かう。この辺りは昔は路上カラオケの名所だったが、いまは芝生広場が整備され、カフェやレストラン、ショップ、フットサルの練習場が並ぶ「てんしば」というお洒落なスポットとなっている。昔の天王寺の面影は全くない。



「てんしば」目当ての流れに交じって、大阪市立美術館に向かう緩やかな人の流れができている。混雑する展覧会であれば、この辺から嫌な予感がするのだが、そういう感じではなかった。通常の『フェルメール展』だとチケットを事前に購入していくのだが、それほど混まないと思っていたので、当日券を購入することに決めていた。会場に着くと、それなりに人出はあったが、チケット売り場も並ぶことなく購入することができた。



今回の展覧会は基本的に一方通行で、退場後は、再入場不可となっている。また、ショップだけの入場も不可となっており、フェルメールらしい物々しさを感じさせるルールが設けられている。そのルールは、私が行ったときに関しては、不要のものだった。「西日本最大級」や「6作品」から想像したほどではなかったのだ。こちら、まさに天王寺を起点に冬に流行した麻疹の影響もあったのだろうか。この冬は、興業的には大打撃であったのかもしれない。しかし、春になれば、フェルメールらしい混雑がやってくるのかもしれない。


今回の来日した6作品は以下の通りだ。

『マルタとマリアの家のキリスト』(1655年頃・スコットランド・ナショナル・ギャラリー)
『取り持ち女』(1656年・ドレスデン国立絵画館)
『恋文』(1669~71年・アムステルダム国立美術館
『手紙を書く女』(1665~66年・ワシントン・ナショナル・ギャラリー)
リュート調弦する女』(1663~65年頃・メトロポリタン美術館
『手紙を書く婦人と召使い』(1670年頃・アイルランド・ナショナル・ギャラリー)
※順不同・カッコ内は描かれた年と所蔵する美術館


会場に入ると、決して空いてはいなかったが、混雑がどうしても気になるほどではなかった。展覧会の構成としては、フェルメールと同時代の画家から始まり、中盤から後半にかけて、フェルメールが登場するという流れとなっている。入り口付近はどうしても混雑するものだが、中盤に入る頃には散らばり、一枚一枚の絵に集中して時間をとって鑑賞することができた。もちろんフェルメールだけでは展覧会が成立しない。ヤン・ステーンやデ・ホーホ、ヘラルト・ダウなどオランダの有名画家の作品も展示されている。フェルメール以外の作品では、ヘラルト・ダウの『本を読む老女』が、まるでレンブラントみたいな圧倒的な存在感の作品で、とても見ごたえがあった。


混雑する展覧会では、絵を見るための行列が数珠つなぎとなって、並んで地道に待つか、遠目から眺めるかどちらかの選択をしなければならない。しかし今回の『フェルメール展』では、平日ということもあってか、混雑が気になるほどではなかった。中盤以降は、絵と絵の間は基本的に人がいない状態だった。肝心のフェルメールも絵の前には3~4人という状態だったので、好きな絵の前で自分の時間を過ごすことができた。


最初のフェルメールの部屋は『マルタとマリアの家のキリスト』、『取り持ち女』が迎える。『取り持ち女』は日本初公開。有名な作品。転換期のフェルメール作品だ。この二枚で歴史画から風俗画への転換を表しているのがすごい。この展示のためにエディンバラドレスデンから集めてきたのがすごい。


リュート調弦する女』、『手紙を書く婦人と召使い』、『手紙を書く女』。どれも初めて目にすることになった。見ることができてよかった。この辺りでは、混雑はそれほどでもなく、絵を見るための列もなく、ゆっくりと鑑賞することができた。


今回の作品の中で私が好きな作品は、『恋文』だった。これは是非一度、現物を見てみたいと思っていた作品だった。ある面、フェルメールらしい、とても思わせぶりな作品で、絵の素晴らしさだけでなく、想像する楽しみが与えられている。二人の登場人物の表情もそうだし、描かれている様々な小物がいちいち暗示的だ。立てかけられた箒、無造作に脱ぎ捨てられたスリッパ、籠にかかるシーツ、くしゃくしゃになった楽譜、画中画。寓意的でいちいち象徴的だ。こういうものを見たかったのだった。


今回の展覧会はフェルメール作品は6点で、そのうち2点が過去に盗難にあったことがあるというのが、また印象的だった(『手紙を書く婦人と召使い』と『恋文』)。盗難事件史は人気のフェルメールには付きもので、いまだに帰ってきていない作品もある。この2つの作品をいまこうやって見ることができるのも、不幸な盗難の歴史を乗り越えて無事帰ってきたからである。そして、今回の一期一会の出会いを感謝するばかりである。



私は会場を後にして、ショップでマグネットを買った(絵葉書は買わない時もあるが、マグネットは必ず買う)。美術館を出て階段を下りると黄色いチューリップが植えられている。



展覧会を見終わって、私はとても空腹であることに気付いた。芸術に触れると腹が減る。脳を使うからだろうか。いや、そういえば朝を抜いてきたのだった。フェルメールを中心に、オランダ絵画をたくさん見たのでランチもオランダ料理といきたかったが、私はオランダ料理の店を一つも知らなかった。天王寺公園から天王寺MIOまで行って、『銀座ハゲ天』に入った。その日見た絵のテイストと全く違う料理を食べた。しかしとても美味しかった。


謎解き フェルメール (とんぼの本)

謎解き フェルメール (とんぼの本)

フェルメール巡礼 (とんぼの本)

フェルメール巡礼 (とんぼの本)

京都・宮川町『グリル富久屋』

京都祇園の近く花街として有名な宮川町に店を構える創業1907年の老舗洋食店『グリル富久屋』。私が学生の頃から様々なガイドブックに掲載されていたので知っていたが、行くのは初めて。イメージとして、歌舞伎役者や芸妓さんや舞妓さんが贔屓にしている店。だから敷居も高く、値段も高そうなイメージだったのか、何故か今まで行く機会がなかった。


もう12月の話になってしまうが、訪れることができた。祇園甲部歌舞練場の中にある『フォーエバー現代美術館 祇園・京都』に「草間彌生展」を観に行った昼に訪れた。ちなみに『フォーエバー現代美術館 祇園・京都』は2月をもって閉館が決定している。



美術館を出て、建仁寺沿いの道を曲がり、大和大路を南下。建仁寺の境内を通ってもよいが、建仁寺に拝観したい気持ちになったら困るので、店を直接目指すことにして、7分ほど歩く。12時ちょうどくらいに店に到着する。



外観はイメージと違って、庶民的な雰囲気だった。知らない人から見ると、創業110年の歴史がある店とは誰も思わないだろう。中に入ると、ランチタイム真っ只中というのに席に余裕があった。いかにも観光客のような人や京都を訪れる外国人風の客もいない。京都の人が気軽に訪れる店で、場所柄、祇園の住人や働く人も訪れるかもしれないが、私のように身構えて訪れる人は少数派なのだと知った。奥にテレビがあって、客の誰かの好みか、店の人と客の最大公約数的に選ばれた番組が放映されている。テレビはあっても見ないので、私は気にしない。テレビが普通に存在している洋食店、というのが昨今珍しいので、それはそれで味があると思った。雰囲気も接客も全体的に気さくな感じで、明治創業という重みは、良い意味でなかった。イメージとしては近所の食堂のようである。店に入りやすいし、過ごしやすい。


私は1,360円の洋食弁当(並)を注文した。私は4人掛けのテーブルに外が見える側に座り、道を走る自転車、行き交う人たちを眺めていた。他のテーブルはお年寄りが一人で食べていて、年配の夫婦が一組いた。夫の方が瓶ビールを開けていた。私もビールを注文したかったが、その後、車に乗るかもしれないので耐えた。



そのうち私の料理が運ばれてくる。楕円の器にご飯とおかずが入れられている。レストラン風に、メインの皿とライスの皿、というのも悪くはないが、お弁当形式というのが嬉しい。私は和食でも松花堂弁当みたいな弁当形式が好きなので、こういうのはテンションが上がる。世界が完結している、という感じがする。おかずはハンバーグ、ヒレカツ、エビフライ、魚のフリット。ハンバーグの下に野菜。ミニトマト。黄色いたくあんの漬物がいいアクセントになっている。



一つ一つの料理がコンパクトなのは、昔からの流れで、芸妓さんや舞妓さんが口を大きく開かずに食べられるようにという配慮だそうだ。また匂いが強い食材も避けている。ハンバーグも香辛料の香りは控えめで、家のお弁当に入っているハンバーグをグレードアップしたような味だった。


トンカツにソースはあらかじめかかっておらず、必要ならテーブルに置かれたソースを使用するシステムのようだ。トンカツは揚げたてでカラッとしてサクサクしており、この上品で小ぶりなトンカツにソースをかけるのが何とももったいない感じがした。何もつけなくても、仄かに塩味がして、これでもいける。私は、魚のフリットのタルタルソースを少しつけてみる。これはいける。また、ハンバーグのソースをつけて食べる。それもいける。エビフライは小ぶりだが身が詰まっていてしっかりとしたエビの味がする。魚のフリットは、単なる魚フライではないので、他のフライものとの味の変化を楽しめる。考えてみると、洋食弁当という名前でコンパクトな容器に収まっているが、一つ一つがメインを張れる主役級のメニューだ。


内容が豊富なので、次にどれにしようかと迷ってしまう。一つ一つの完成度が高い。それらをご飯とセットで食べる。オールスター級のおかずを無視して、たくあんでご飯を食べる贅沢。優れた芸術にさらされると、カロリーを持っていかれる。美術館に行くと何故か腹が減る。目の前の食事に集中し、失ったカロリーを取り戻していく。


すっかり食べ終えて空っぽになった器。時間はまだ1時前だった。京都で過ごす時間はまだたっぷりある。私は先斗町河原町方面に向かうため、鴨川を渡った。




【グリル富久屋】

住所/京都府京都市東山区宮川筋5-341
営業時間/12:00~21:00
定休日/木曜・第3水曜

ラミン・バーラミ&リッカルド・シャイーのバッハ

バッハの鍵盤楽器協奏曲集は、私がとても好きな曲ばかりなので、日頃よく聴いている。第1番BWV1052ニ短調は最も有名なもので、初めて聴いたときの衝撃は相当なものだった。同じ協奏曲としては、モーツァルトのピアノ協奏曲第20番ニ短調を初めて聴いたときの衝撃に並ぶくらいだった。何の偶然か、どちらもニ短調の曲だ。


バッハの鍵盤楽器協奏曲は、元々鍵盤楽器のための曲として作曲されたものではなく、ヴァイオリンなど他の協奏曲からの編曲や別の作品からの転用などによって書かれたと言われている。最も有名な編曲としては、第3番ニ長調BWV1054で、こちらはヴァイオリン協奏曲第2番ホ長調BWV1042としてのほうが有名だ。


私が最も好きなのは第2番ホ長調BMV1053で、マレイ・ペライアがアカデミー室内管を弾き振りしたSONY盤は愛聴盤として神棚に(ないけど)上げて飾っておきたいくらいのもので、今でも週に5日は聴いている。


バッハの鍵盤楽器協奏曲の演奏は、時代的に、チェンバロ演奏によるものも多く、それらも好んで聴いているが、私はピアノの方が好きだ。前述のマレイ・ペライアの演奏もピアノだ。チェンバロの清楚な響きも捨てがたいが、バッハの時代にはなかった現代ピアノによる細かなニュアンスの表現力は、曲を書いた本人の構想を超えているのではないかと思えるほど多彩だ。


そんなに好きな曲なので、いろいろな録音を揃えているのだが、無茶苦茶たくさんの種類の録音が発売されているというわけではなく、意外に限られたものなので、新しい録音が発売されると大体買っている。


Bach 5 Klavierkonzerte

Bach 5 Klavierkonzerte


このCDは、ラミン・バーラミがリッカルド・シャイーが指揮するライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団との共演で収録したものだ。超有名な第1番BMV1052からBMV1056までの5曲が収録されている。2009年録音、2011年発売という比較的新しいもので、私は発売してすぐに手に入れた。


協奏曲としてみると、このCDの雰囲気は、演奏技術を競うような殺伐としたものではなく、ピアノとオーケストラの調和によって、聴かせる玄人好みのものだ。オーケストラは基本的にはビブラートを抑えたピリオド奏法に近いが、学問的なそっけなさというか、お勉強的なつまらなさはない。軽やかでまろやかで華やかである。バランス感覚が絶妙だ。


ラミン・バーラミは、まだ40代にさしかかったばかりの中堅ピアニストでありながら、当代きってのバッハ弾きである。バーラミのピアノの特徴は、タッチは力強く、ズンズンと重厚なのに、全く鈍重にならない。それでいて、いかにもドイツ風、巨匠風というわけではなく、イタリア的な歌心を感じさせる。存在感をもった音が、玉が高いところから低いところへ自然に転がるように流れていく。同じバッハ弾きとして、ペライアの演奏も傑出していたが、バーラミの演奏もそれに並ぶ。バーラミはイラン出身で、イランイラク戦争の戦時下で幼少期を過ごした。音楽の才能があったため、人の縁に恵まれヨーロッパに留学することができた。その頃からバッハの音楽が彼の支えであったという。バーラミのバッハが感動的なのは、そうした過去が演奏に宿るからかもしれない。


バッハ:ピアノ協奏曲第1、2、4番

バッハ:ピアノ協奏曲第1、2、4番



バーラミは、ペライアとはキャリアも世代も異なるが、また別のバッハ像を描くのに成功している。そしてこの2つが私の今の愛聴盤となっている。

プラハ国立劇場オペラ『フィガロの結婚』フェスティバルホール

明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。


◇  ◇  ◇


正月に、久しぶりにオペラに行ってきた。


仕事と子供の世話で平日や普通の土日は全然予定が立てられないことが多いのだが、1月3日は正月休みの最中でもあるし、妻に子供を頼んで行ける目途が立った。しかし、小さな子供持ちが、仕事ではないことに休日出掛けて行くというのは、そういう実務的なことよりも、家族や小さな子供を置いて自分だけがオペラに行く、罪悪感をどうするのかということが重要である。割り切りと、気持ちの切り替えが超えるべき壁だったりする。しかし子供も成長すれば、そのうち親の方が不要な存在となってくるはずだ。いつまでも子供次第な生活で良いのか。趣味の世界は埃にまみれてしまう。子供も少しは大きくなってきたことだし、案外気持ちがストップをかけているだけで、行く条件さえそろえば、簡単に行けるのかもしれない。1月3日ならなんとかなる。1月3日にフェスティバルホールで『フィガロの結婚』のオペラをやっている。しかもチェコのオペラハウスの来日公演だ。「これは行かねば」と思った。いままではあまり行けなかったが、そういう楽しみを持った一年にしたい。そんなふうにして、チケットを取ったのが1週間前だった。空席はかなり少なくなっていたが、幸い、2階席最後列が空いていた。



今回、来日した「プラハ国立劇場」は、「スタヴォフスケー劇場」による公演である。プラハには3つの大きなオペラハウス(スタヴォフスケー劇場・国民劇場・国立歌劇場:通称・新ドイツ劇場)があり、そのうちの二つ、スタヴォフスケー劇場と、国民劇場は同一の劇場が運営している。チェコの3つのオペラハウスはどれも親しみ深いオペラハウスだが、中でもスタヴォフスケー劇場は私にとって思い出深い劇場だった。モーツァルトの『ドン・ジョバンニ』を初演したその劇場で、私は約10年前、『偽の女庭師』というモーツァルトのオペラを観た。その旅行で私は、残り2つのオペラハウスでもオペラを観て、ハンガリーの国立歌劇場にも行った。一人目の子供が生まれる前の話で、それから10年以上経った。いまはローカルに働いていて、余暇でも海外にすら行けなくなって、そのままパスポートも切れている。その時のスタヴォフスケー劇場。今回観られるのが、あの劇場の『フィガロの結婚』だというのが、決定的だった。



モーツァルトオペラのすべて (平凡社新書)

モーツァルトオペラのすべて (平凡社新書)

ひとりでも行けるオペラ極楽ツアー

ひとりでも行けるオペラ極楽ツアー


私は開場30分後の14:30にフェスティバルホールに着き、webで予約していたチケットを受け取る。ひたすら長い、天井の低いエスカレーターに乗り、ホールのフロアに上がる。オペラなので、全体的に綺麗な服装の人が多い。カジュアルな服装の人もいるが、中には着物の人もいる。『007』のジェームズ・ボンドみたいなタキシードの人もいる。スーツの人も一定の割合でいる。さすがに短パンの人は皆無だ。私はボタンシャツに下はチノパン。上はコートを着るので、ジャケットは着ない。1階席前列でもないので、このくらいで手を打った。周りから浮かない、平均的な服装だ。席に着いて、購入したプログラムや他の催しのチラシを見ているうちに、開演時間となる。全4幕のオペラで、多くの『フィガロ』の上演と同じように、第2幕の後に休憩があるようだった。照明が暗くなり、案内アナウンスが始まる。照明が最低限必要なものだけを残してすべて落とされ、指揮者が登場する。観客は固唾を飲んで見守る。


指揮棒が振り下ろされ、序曲が始まる。古い家の古い家具のような、古風で優雅な、いかにもモーツァルトらしい音。インターナショナルなサウンドでなく、ローカルなサウンドである。プラハのスタヴォフスケー劇場で聴いたものと同じ音がそこにあった。その音は、ホールを鳴らすというよりも、ダイレクトに伝わってくる。もっと小さな空間で聴いているみたいな、王宮のサロンで聴いているみたいな(行ったことないけど)、演奏者から聴き手までの距離が近いと感じるような音だった。そしてフェスティバルホールの音にも触れておかなければならない。私はフェスティバルホールがリニューアルしてから初めてだったが、旧フェスティバルホールと比べて音響はさらに良くなっているように感じた。大きさを感じさせないというか、モーツァルトの規模のオーケストラなのに、この大きなホールで、モーツァルトの音楽に対して音量が足りない感じがない。以前のフェスティバルホールも素晴らしいホールだったが、ジャンルによっては、席によっては音が遠さを感じるところもあったし、繊細な要素が聴き分けにくい時があった。


指揮者のエンリコ・ドヴィコ氏は、私には知識がないが、各地のオペラハウスでの経験も豊富で、現在、ウィーンのフォルクスオーパーの首席客演指揮者を務めている実力者だ。いわゆるスター指揮者ではないが、オペラでオペラハウス叩き上げの経験に勝るものはない。彼のタクトから、確かにモーツァルトの音が生まれている。


舞台の幕が上がり、フィガロが登場する。フィガロは褒めすぎなら申し訳ないが、クリス・プラットみたいな雰囲気だった。逞しく、優しく、ユーモアがある、とても健全なフィガロだった。スザンナは、スタヴォフスケー劇場のソリストを務めるソプラノ歌手で、日本人でも小柄なくらいの方だろうか。でも声量は十分で、可憐でありながら芯の強さが伝わってくるような雰囲気だった。スザンナらしいスザンナだった。伯爵は、役柄の割に、大らかさや優しさが出ており、権威的でなく、一杯食わさせてしまうのだが、テーマで描かれているモーツァルトのメッセージが生きてくるのは、彼の伯爵だからこそというのがあった。伯爵夫人は、有名なエヴァ・メイで、私が知っているのは、彼女くらいのものだった。『フィガロ』では伯爵夫人は、スザンナ以上に見せ場の多い伯爵夫人なので、さすがというか、圧倒的だった。名前で客が呼べるオペラ歌手という感じだった。他の出演者も国際的なスターではないにしても、チェコの歌劇場で活躍する有力な歌手ばかりで、大変レベルが高かった。ケルビーノもマルチェリーナもバジリオもバルトロもアントニオもバルバリーナも、みんな良かった。日頃こんな高水準のオペラに接しているプラハの人が心底羨ましいと思った。またいつか、そういうところに旅行に行って、オペラを楽しむことができるようになるのだろうか。


オペラ名歌手201 (OPERA HANDBOOK)

オペラ名歌手201 (OPERA HANDBOOK)

(↑こちらの『オペラ名歌手201』に載っているくらい有名な「エヴァ・メイ」。)


舞台が進むにつれて、場が温まってきて、歌手もオーケストラも(客席も)慣れてくるのがオペラの面白いところだ。固さが取れ、次第に自由になっていく。濃くなって、「地」が出てくる。歌手は個性的に、オーケストラは流麗になる。観客もリラックスしてきて、柔らかくなってくる。そんななかで、エヴァ・メイの圧倒的な独唱が出てくるから、陶酔してしまう。


演出や舞台設定は、最先端の舞台装置を誇るものではなく、素朴なものだったが、新演出も良かった。フェスティバルホールの舞台の見やすさは素晴らしくて、それほど高価な席ではなかったのに、随分近く見えるものだと思った。休憩時間に1階から3階まで、見え方がどうなのか見に行ったが、3階は高さがあるものの、見えにくいということはなかった。1階は最後方でも舞台から近い。よく見える。良い意味で、1階から3階まで差がそれほどない。一体どういう設計で出来ているのだろう。素晴らしい設計思想。フェスティバルホールの良さがアップデートされている。もちろん、同じく大阪のシンフォニーホールのような「残響2秒」みたいなクラシック専用ホールとは違うが、この大きさなホールで、この音で、この見え方で、オペラを楽しめるのが凄い。第一、シンフォニーホールではオペラを上演できない(演奏会形式を除く)。


久しぶりにオペラの実演を観てみて、中でも『フィガロ』は何と楽しいオペラなのだろうと思った。話が楽しいばかりでなく、まるで、心が躍るような音楽の洪水だ。私が最も好きなのは、数ある名場面の中でも、第2幕のフィナーレだ。登場人物が徐々に増えてきて最終的に七重唱にもなり、ストーリー上はドタバタで吉本新喜劇の最後みたいな無政府状態で、一体どうなるのかという感じでハラハラさせるのだが、音楽的にもスリリングで、手に汗を握る。高いテンションのまま最後までスピード感を緩めずに奔るという感じで、興奮してしまう。曲の終わりとともに幕が下りてくるのだが、拍手は鳴りやまない。


そして休憩後、第3幕、第4幕と続く。全編にわたって、これほど名場面、名曲ばかりという作品も少ないだろう。とにかく全部が見どころ、聴きどころ。終始、笑顔で舞台に接することになった。



そんなわけで、休憩を含めると3時間半近く。あっという間だった。最後のカーテンコールを終わっても拍手が続き、照明が再び灯されて、オーケストラが退席するために起立すると、ようやく拍手が止んだ。オペラほど非日常を味わえる催しは少ないと言われるが、本当に非日常の世界だった。忙しい現代人が視覚と聴覚を舞台に集中させられ、意識は創作の世界に入り込み、3時間半も同じ場所に座っている。そういう娯楽は少ないのかもしれない。夢のような3時間半を過ごした私は、陶酔した気分を持続させる気で、そのまま地下1階の英国風パブに入った。

プラハ国立劇場オペラ来日公演】
2018年1月3日
プログラム/プラハ国立劇場オペラ『フィガロの結婚
会場/フェスティバルホール
開演/15:00
指揮/エンリコ・ドヴィコ
フィガロ/ミロシュ・ホラーク
スザンナ/ヤナ・シベラ
伯爵/ロマン・ヤナール
伯爵夫人/エヴァ・メイ
ケルビーノ/アルジュベータ・ヴィマーチコヴァー
マルチェリーナ/ヤナ・ホラーコヴァー・レヴィツィヴァー
バルトロ/ヤン・シュチャヴァー
バジリオ/ヤロスラフ・ブジェジナ
ドン・クルツィオ/ヴィート・シャントラ
アントニオ/ラジスラフ・ムレイヌク
バルバリーナ/エヴァ・キーヴァロヴァー
プラハ国立劇場合唱団/管弦楽団/バレエ団


www.concertdoors.com

【2019プラハ国立歌劇場来日公演スケジュール】
1月3日(木)15:00開演 フェスティバルホール
1月5日(土)/6日(日)15:00 開演 東京文化会館
1月7日(月)18:30 武蔵野市民文化会館
1月9日(水)18:30 練馬文化センター
1月10日(木)18:30 川口総合文化センター
1月12日(土)17:00 日本特殊陶業市民会館
1月13日(日)15:00 滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール
1月14日(月・祝日)15:00 アスティとくしま
1月15日(火) 18:30 福岡シンフォニーホール
1月17日(木) 18:30 アクトシティ浜松
1月18日(金) 18:30 茅ヶ崎市民文化会館
1月19日(土) 15:00 盛岡市民文化ホール
1月20日(日) 15:00 よこすか芸術劇場

フィリップ・ヘレヴェッヘのベートーヴェン・『第九』

ベートーヴェン交響曲第9番「合唱付き」、通称『第九』を聴いている。


1ヶ月近く、交響曲全集からの録音も含め、様々な録音を聴いてきた。この時期だから聴きたいということもあるが、聴けば、「これはベートーヴェンの最高傑作なのではないか」と思う。クラシック音楽全体で言っても大傑作であり、音楽全体にジャンルを広げてみても、また芸術全般ということで言っても、きっとこれは比類のないものだ。一音楽家が成し得た奇跡的到達という感じがする。最近、あまりコンサートに行っていないが、コンサートで第九を聴くと、どんなオーケストラ、どんな指揮者でも、必ず私は感動してしまう。その音楽、その演奏を通して、崇高な精神性に触れている。そういう類の曲は、あまりないのではないか。


今日触れるのは、指揮者フィリップ・ヘレヴェッヘによる2種類の『第九』だ。どちらの録音も、楽譜に忠実なだけでなく、演奏方式も当時のものを再現したと言われるオリジナル楽器によるピリオド奏法を特徴としている。


■1999年シャンゼリゼ管弦楽団


Beethoven: Symphony no. 9 / Herreweghe, Orchestre Des Champs Elysees, et al

Beethoven: Symphony no. 9 / Herreweghe, Orchestre Des Champs Elysees, et al


演奏は、シャンゼリゼ管弦楽団。1999年のリリースとあるが、録音の時期と場所は不明。ライナーノーツにも書かれていなかったが、このオーケストラ自体が新しいオーケストラなので、1990年代のうち1999年に近い時期だろう。通常の演奏では第九は70分程度の時間となるが、このCDは約62分という短い演奏時間なので、いかに快速テンポなのかがわかる。ちなみに各楽章ごとの演奏時間は、第一楽章から13:32、13:25、12:28、23:02である。往年の大指揮者の演奏と比べると、まるで違うスポーツをしているようである。しかしこれもありだと思わせるのは、ベートーヴェンの音楽に特有の、聴き手を高揚させるメロディや、追い立てるようなリズムだ。「間違いなく、いま自分はベートーヴェンの第九を聴いている」という実感は、演奏の仕方によってどうこうなるものではなかった。そして第四楽章の合唱部分は、かなり優れている。バッハやフォーレの声楽曲を得意とするヘレヴェッヘならではという感じがする。


■2009年ロイヤル・フランダース・フィル盤


Symphony No 9 (Hybr)

Symphony No 9 (Hybr)


演奏は、ロイヤル・フランダース・フィル(現在はアントワープ交響楽団と名称変更されている)。2009年10月ベルギー、アントワープにて録音されている。演奏時間は、速かった1999年盤よりも、さらに速い約61分という時間。各楽章の演奏時間は、14:05、13:18、11:54、21:38なので、全体が短い割に、第一楽章と第四楽章に時間をかけていることがわかる。それでいて、全体が短く収まるうえで、第二楽章と第三楽章がたいへん早いというわけになっている。前者と比べると、演奏の匂い(スタイル・音色)はたいへん似通っている。違うとすれば、10年の歳月なのかもしれない。全体的にはスムーズだが、指揮者の思いが入る余地が増えているのか、細部の陰影が濃くなっている。私が好みなのはこちらの盤だ。


どちらの演奏も、『第九』にドラマを求めるような人には不向きな録音かもしれないが、清々しい音色と言い、清楚な響きと言い、スピード感と言い、ヘレヴェッヘならではの音楽作りとなっている。こういう演奏は案外、普段、クラシック音楽を聴かない人にはすんなり受け入れられるのかもしれない。スムーズで音質も素晴らしい。


ヘレヴェッヘの第九は、同じようにピリオド奏法を得意とするロジャー・ノリントンベートーヴェンと比べると、もう少し客観的というか、冷静で、そこが好みの分かれるところかもしれない。しかし、全てが同じような演奏ばかりではつまらないし、そうした違いを味わうため、指揮者やオーケストラを変えて曲を楽しむというのは、クラシック音楽の楽しみの一つだと思う。


Beethoven: The 9 Symphonies

Beethoven: The 9 Symphonies


1巻当たりの価格が割安な全集も今では発売されているが、私が買い始めた頃は全部の録音が揃っていなかったので、単品で揃えることになってしまった。