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ユトリロ展・美術館「えき」KYOTO


先日、京都駅ビル伊勢丹にある美術館「えき」KYOTOで開催されている『ユトリロ展』に行ってきた。ユトリロは好きな画家の一人だったので、楽しみにしていた展覧会だった。


http://www.wjr-isetan.com/kyoto/floorevent/images/7f/maurice_01_01.jpg*1


その日は平日だったのだが、開催されて間もない時期だったということもあって、結構な混み具合だった。ユトリロは人気の画家なので、休日などは大変なことになっているのではないだろうか。


90点の作品すべてが日本初公開というのがこの展覧会の最大の売りで、画集などでも観たことのない、初めて目にする絵ばかりだった。


ユトリロは10代でアルコール依存症を患い、医師から治療のために絵を描くことを勧められた。それが画家ユトリロの出発点だったが、生涯、彼は酒を買うために絵を描き続けることになる。絵が売れるようになった彼に母親が経済的に頼るようになる。画商が「この画家は売れる」と踏んだ。翻弄される。せっせと街の風景を描く。自殺未遂も起こす。一杯の酒のために、生活のために、絵を描き続けた。


展示は、時代を追って「モンマニーの時代」から「白の時代」、「色彩の時代」へと進み、ユトリロ絵画の変還を辿ることができる流れとなっている。暗い部屋で黙々と描き続けた初期の作品、なんでもない街の風景を白黒写真のように切り取った作品、良い精神状態の中にあったことが想像される色彩豊かな作品(その数は少ない)、大幅に画力が衰え過去の作風を模倣する晩年の作品。いずれも画家の言葉にならない孤独や整理できない思いが伝わってくるような、寂しい絵ばかりでぐっときた。


私が特に惹きつけられたのは晩年の作品だった。もはや過去のように巧くは描けない。でも生きていかなければいけない。生きるためには描かなければいけない。衰える画力は本人が一番よくわかっているはずで、随分と堪えたはずだ。完成した絵はやはり往年のような、インスピレーションが迸るような絵ではない。技術的には弛緩し、芸術的にも後退している。でも絵から漂ってくる匂いは独特なもので、ユトリロが描いたものであることははっきりとわかる。生涯、幸福ではなかった画家が、晩年衰えながらも最後まで画家として生きようとする。ユトリロのスタイルで市井の何でもない風景をせっせと描く。胸に迫るものがあった。


ユトリロと古きよきパリ (とんぼの本)

ユトリロと古きよきパリ (とんぼの本)


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*1:画像は伊勢丹のサイトよりリンク