冬の京都庭園散歩〜東福寺・雪舟寺・霊雲院
「枯山水」の庭を眺めながらボーッとしたい。疲れがたまるとそう思う。これは、ゴツゴツ・チマチマした日常とは違う崇高な世界を満喫したい、いやそれどころかノックアウトされてもよい心理だと自己分析している。
次に休みが取れたら、京都に枯山水の庭を見に行きたいと思っていた。そう思う私をあざ笑うように、数少ない休暇を狙い撃ちするかのように、雨、雨、雨。しかし、とうとう雨の降らない休日が訪れた。その日は曇り。もう少し晴れてくれないものかなあ。普通なら傘を持っていくような曇天。しかし私は迷わず、高速道路で車を走らせた。
「枯山水」とは、三省堂『大辞林』によると、「水を用いずに、石・砂などにより風景を表現する庭園様式。室町時代、北宋画、特に破墨山水などの影響を受け、完成された。禅院の方丈前庭などに多く作庭され、京都竜安寺の石庭などが有名。かれせんすい。こせんすい」とある。
私は東福寺の庭にはまだ行ったことがなかったので、今回行ってみることにした。行ってみて初めて知ったのだが、訪れたすべての庭は、昭和の天才作庭家である重森三玲・作(もしくは復元)だった。
■東福寺方丈庭園
東福寺方丈庭園は、東西南北の四方に庭園がつくられていて、それぞれ違った魅力がある。
これは方丈南庭。巨石によって四仙島を表わし、砂の波紋は大海を表わす。緑地で覆われた築山は五山を模している。こういう庭を眺めながらボーッとしたかった…。
ボーッ。雪が舞っている。ボーッ。手先が凍るようだ。ブルブル震えながら観賞した。ありがたいありがたい。
左は方丈南庭の巨石と砂の波紋のアップ。右は方丈西庭。「井田市松の庭」と名付けられている。新緑の季節にまた来たい。
方丈北庭。幾何学的な造形が、まるでモンドリアンの絵画のようだ。昭和の庭だけあって、もっとずいぶん古い龍安寺や南禅寺塔頭の金地院、円通寺の庭園などとは全然違う世界観を持っている。新しいものや進んだものがすべて優れているわけではないが、これは画期的な庭園デザインだと思う。
方丈東庭。7つの石造りの円筒が北斗七星を表している。これは宇宙?
■芬陀院(雪舟寺)
芬陀院は、雪舟が京を訪れた際には寓居し、庭に手を入れたという記録があり、そのため雪舟寺と呼ばれる。二度の火災によりその庭も荒廃していたが、重森三玲により復元され、現在に至る。
「鶴亀の庭」と呼ばれている。手前の部分が砂の庭で、奥が苔の庭である。両者はきれいに分離されていて、奥の苔のエリアに鶴島と亀島がある。写真に写っているのは亀島の方。残念なことに砂に足跡がついていて、全体が収まる構図が決まらなかったので、鶴島の写真はなし。それでも、まるで絨毯が敷かれているかのようにびっしりと繁る苔が見事だった。
茶室・図南亭より庭を望む。
■霊雲院
「九山八海の庭」と呼ばれる。中央部にある巨石・遺愛石は、世界の中心にあるという神聖な山・須弥山を表わし、それを取り囲む砂が八海を、苔の緑地部分は九山を表現している。遺愛石を中心に広がる砂紋が容易にはたどり着けない様子を表現するようだ。
室内から見る庭園の美しさは格別だ。この日はあまりに寒くて、屋外ではゆっくり観賞できる状態ではなかったが、室内は窓が開け放たれているとはいえ幾分ましで、畳の上に座って暫し外の庭を眺めた。
また、東福寺塔頭の「龍吟庵」で冬の特別拝観が行われていたので、こちらも鑑賞してきた。この庭園も重森三玲作である。昇天する龍を石組みで表し、色の違う小石を用いることで空や雲を表現した、かなり斬新なデザインだった。
冬の京都は観光客も非常に少なくて、美しい庭園を前に容易に一人の世界に入ることができた。それぞれの庭が提示する世界観・宇宙観みたいな大きなものをじゅうぶんに味わいながら、自分にとって有意義な時間を過ごすことができた。