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スニーカーを買いに行く/ニューバランスの『M996』


休みの日に、スニーカーを買いに行ってきた。靴の買い物は嬉しい。共感してもらえる人なら「そうそう!」となるかもしれないし、共感してもらえない人は「???」となるかもしれない。敢えて書くが、「靴を買うのは結構嬉しい」。


買い物・消費生活の中で、私にとって一番嬉しいのは時計で(なかなか買えないので買えると嬉しい)、次にカメラ(頻繁に買っているが嬉しい)、ゲーム機(大人になってもう買わなくなったが)、その次にカバン、靴、アウター、ポロシャツと続く。CDは以前ほど買っていないが、時にはまとめて何枚も買っている。嬉しさはそれほどでもない(聴いてみるまでわからない)。CDを買うことは、習慣になっているというか、なぜか生活の一部となっている。「音楽が人生の一部になっている。」サラリーマンなのに。買い物でも、日用品、食料、部屋着、下着、などは全然嬉しくない。パンツが擦り切れたから、買う。事務的。何の楽しみもない。車は嬉しいが、絶対に一台要るものなのに高すぎるのでおいそれと買えない。それに付随する手続きのストレス(ディーラーとの交渉、保険を選ぶ)で純粋な嬉しさを忘れる。おまけに納期は先ときている。電気代などの公共料金。払わないですむのなら払いたくない。それに最近高い。なので明細書を見ないようにしている。


確かに、靴を買うのは嬉しい。子供の時からそうだった。靴を買ってもらうのは、とても嬉しいことだった。成長ともに足が大きくなっていくので、よく買ってもらっていたはずだが、それほど頻繁だった記憶がない。覚えているのは、靴を買ってもらうことは、自分にとって、非常に嬉しいことだった、ということだった。靴は新しい靴を履くと、いつもより速く走れそうな気がした。より高くジャンプできそうな気がした。新しい自分の象徴としての靴。成長のあかし。変化のしるし。靴が変わることは大きな変化だ。新しい靴は、友達にもすぐに気付かれる。


また、数か月前の話だが、私の息子の足が大きくなったので軽い気持ちで、子供に人気のあるブランドの靴を二足買ってあげたことがある(一足はバーゲンで安かったのと、もう一足はサンタクロースが置いていった)。予想以上に喜んでいたのが意外だった。おもちゃを買ってもらった嬉しさとは違う種類の嬉しさに見えた。その姿を見ていたら、靴を買ってもらって嬉しかった子供の頃を思い出した。


先日、休みだったので、スニーカーを買いに出掛けた。スニーカーを買いに行く休日。テンションが上がる。


いい年になると、好きなブランド、好きなメーカーがある程度、固定化してくる。時計なら○○、カメラなら○○、カバンは○○みたいに、決まってくる。スニーカーについては、私は、覚えている範囲で一番最初はニューバランスだった。その後、無数の買い物による成功と失敗と学習を経て、また最近、ニューバランスに戻ってきた。ずいぶん前に買った、英国製の『M576』は、いまだに履ける。その間に他の何足ものスニーカーを履きつぶしたのに。それはすごいことだ。



普段仕事に行くのと変わらない時間に家を出る。今日はスニーカーを買うことがメインイベントで、それを午後の行事と考える。せっかくの嬉しい買い物が、朝一で終わってしまったらもったいないので、途中に、関係のないデパートに寄り、関係のないウインドーショッピングを挟む。家電量販店にも自然と足が向く。12時頃に昼食を食べ、ついでにビールも注文している。我に帰る。私はいったい何をしているのか。どんなコンセプトの休日なのか見失いかける。今日はスニーカーを買いに来たのだった。


私は、そこからも悠長に歩き始める。ビールを覚まさないと、冷静な買い物はできないぞ。幸い、天気が良く、それほど気温も上がらなかったので、歩くのは苦にならない。地下鉄を使わず、店まで4キロくらい歩くことにした。途中で、ランチタイムに重なり、ビジネス街の人の流れに巻き込まれる。うどん屋に行列ができている。数えたら17人並んでいた。牛丼屋にも行列ができている。13人が外で並んでいた。普段なら向こう側の人間なのに、今日はこちら側で休日を満喫している。スニーカーを買いに来て、ゆっくりと食事をし、ビールに脱線し、いま歩いている。そのギャップ。どんな仕事であれ、お金を稼ぐというのは大変なことだ。おかげで今日私はスニーカーを買いに来ている。短い昼休み。食事くらいゆっくりしたいはずだ。その気持ちはよくわかる。とりとめもないことを考えながら歩いていると、店についた。ビールの影響は消えていたが、疲れてしまった。



私は店で何足も履かせてもらって、最終的には、『M996』を選んだ。このラインは『M576』や『M1400』よりも細身で、実際履いてみてどうかなと思ったが、普段のサイズでジャストだった。そして履き心地は、クッション性も適度な弾力があって最高で、これなら今後、今日みたいに歩いても疲れないだろう。価格は23,000円(税抜)と高価だが、これしか目に入らなかった。


女性の店員は、色違いでも、いやな顔一つせず、丁寧に右も左も紐を結んでくれた。違うサイズも試し、律儀に左右に紐を通してもらった。納得して、そのモデル、そのサイズを選んだ。色は、ブルーやネイビーも試したが、手持ちのデニムの色も考慮に入れて、グレーにした。無難だが、自分にとっては、間違いのない選択だったと思っている。私は、クレジットカードで翌月の一括払いでサインをし、紙袋に入ったニューバランスの箱を持って、店の外に出た。天気もよかったので、さらに地下鉄2駅分を歩き、さすがに家まで歩くことはできないので、二つ分歩いた駅から地下鉄に乗って家に帰った。



新しく買った靴の箱を開けるときの期待は、数値で表すなら、どのように表すべきなのか。開ける前の期待、開けたとき、履いてみたときの嬉しさ。



当たり前だが、店で見たのと同じだ。この細身のフォルムにやられてしまったのだった。なのにきつくない。最高のフィット感。早く履いて歩きたい。



アメリカの熟達した職人の手仕事の成果と考えるならば、これで23,000円はリーズナブルといえるかもしれない。『M576』がそうだったように、何年も使えるものだ。


時々、箱を開けて、眺めている。実際、外で履いてみたらどうだったか。言えない。買って数日たつのに、まだ一度も外に履いていっていないという、本末転倒な結果となっている。そして、誰に頼まれたわけでもないのに、夜、自分が買った靴の写真を撮っている。何枚も。靴を買うのは嬉しいことだが、テンションがおかしなことになっている。