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アルゲリッチとアバドのモーツァルト


先日、ペライアによるモーツァルトのピアノ協奏曲第20番について書いたので、同じ曲の録音を探していたら、同じくらい素晴らしいものがあったので紹介してみたい。


そのCDとは、マルタ・アルゲリッチクラウディオ・アバドが振るモーツァルト管弦楽団と共演したものだ。


モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番&第25番

モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番&第25番


こちらは、ペライアの1977年の録音と比べると格段に新しい録音で、2013年3月のルツェルン音楽祭のライブを音源として発売された。アバドは翌年1月に亡くなっており、没後初めて発売されたCDであり、アバドの最後期の録音の一枚となっている。アバドは、ドイツ・グラモフォンへの録音デビューがこれもまたアルゲリッチとの共演で入れたプロコフィエフラヴェルのピアノ協奏曲だというから、両者の不思議な縁を感じる。


オーケストラはこれもアバド絡みで、というかアバドが設立したオーケストラ。モーツァルトのためのオーケストラ。モーツァルト管弦楽団だ。団員は18歳から26歳までの若い奏者に限られているという。透明感に溢れ、清廉かつ、若々しい演奏を聴かせる。


そしてソリストについて触れるのが最後になってしまったが、マルタ・アルゲリッチアルゲリッチが天才で、現代最高のピアニストの一人であることに異論はないと思う。彼女のようなピアニストが今後、出現することはもうないかもしれない。彼女の演奏はまるで、ピアノの化身のようで、他のピアニストとは全く異なっている。リズム感は独特で、テンポはつんのめるように前のめりでありながら、せかせかした印象を与えない。天才的な感覚としか言いようがない。そうやって構築した音楽は、「これしかありえない一つの真実」としか言いようのない絶妙のバランスを見せている。よく言われることだが、モーツァルトでもベートーヴェンでも、ショパンでも、アルゲリッチが弾くと、アルゲリッチの音楽になってしまう。別の言い方をすると、作曲家を食ってしまう。そんなピアニストは他にはいない。


そんな彼女が演奏する20番だから、聴き流して良いはずがない。これは彼女の一人舞台だ。テクニックは完璧。機械のように正確なのに、ウェットで情緒的だ。我を忘れて聴き惚れてしまう。リズムは独特。自由で奔放なピアノだ。ちなみにこのときアルゲリッチは既に70代を超えている。これは70代のピアノではない。かといって20代でこういう演奏ができるかと言われれば、まずできない。アルゲリッチにしかできない。アルゲリッチは20代の頃から全然変わっていない。70代なのに。共演するアバドは、基本的にはアルゲリッチのやり方をサポートしつつ、ピアノがない部分では、伴奏に終わらない美しさではっとさせる。


アルゲリッチアバド。オーケストラもモーツァルトの名前を冠している。奇跡のような巡りあわせの一枚だ。もう聴くことのできないアルゲリッチアバドモーツァルト。この現代最高のピアニストは、いつまでたっても枯れることのない泉のような、生命力の溢れた演奏で聴衆を驚かせる。


最後にもう一つ、カップリングされている25番について触れなければならない。ピアノ協奏曲第25番ハ長調は、傑作揃いの20番以降の作品の中では比較的マイナーな作品なのかもしれない。私は20番、21番、22番、27番、次いで23番を特に好んでいるが、25番はあまりピンとくるものがなかった。しかし今回あらためて聴いてみて、これは素晴らしい曲、素晴らしい演奏だと思った。知的でユーモラス。優しさの中に仄かな悲しみがあり、そこにスケールの大きさが加わり、唯一無二の曲だと知った。この曲の魅力が、情感豊かなアルゲリッチのピアノによって、引き出された面が大きいのではないだろうか。20番でも過去の名盤に名を連ねる。25番についてはこの曲の演奏のベストだ。


土日の連休。このCDばかり聴いて過ごした。

ペライアのコンチェルト・「20」と「21」


モーツァルトのピアノ協奏曲第20番を聴きたくなって、マレイ・ペライアのCDを手に取った。


モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番&第21番

モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番&第21番


このCDでは、傑作中の傑作、20番と21番がカップリングされている。CDのジャケットには新しい写真が使用されているが、この録音は1970〜1980年代に行われた全集から採られており、収録されている20番と21番はともに1977年の演奏だ。blu-spec CDと銘打たれたリマスター処理を受けた人気の2曲がカップリングされている。


マレイ・ペライアは、日本では、誰でも知っているピアニストというわけではないが、実力は折り紙付きで、世界的にもビッグネームの一人である。私にとってペライアは、相当好きなピアニストの一人だ。彼の繊細かつリリカルな音色と丁寧な仕事ぶり、温かみのあるピアニズムは、ありそうでなかなかない。他のピアニストではなかなか味わえないものだ。


さて、CDに記録されている彼の若い頃の演奏を聴いてみる。


久しぶりにこのCDを聴いてみると、これが只ならぬ演奏だった。基本的にはオーソドックスな演奏であるが、音色の美しさ、表現の多彩さ、丁寧さ、細部にまで神経が行き届いた演奏となっている。


ペライアのピアノは、はっと驚くような技巧があるわけでもないし、解釈が尖っているわけでもない。中庸の極み、とさえ言えるかもしれないが、技術的に高くないかと言われるとそうではなく、相当巧いピアニストであり、技術的に傑出したものを持ってる。しかし技術が先走っている印象を与えない。音色はとても叙情的で、温かい、血の通った演奏である。


ペライアの音楽を聴いている時の時間は、自分にとってとても豊かな時間となっている。美しい絵を鑑賞したときのように、あるいは、美しい詩を読んだときのように、時間を忘れて、没頭している。芸術に接した時間はかけがえのないもので、日常のうちに流れていく時間とは異なっている。誠実な人柄が滲み出るような丁寧な音楽づくりで、聴けば聴くほど、この演奏が信頼できるものだということがわかる。私はペライアの演奏に対して絶大な信頼を抱いている。ペライアは裏切らない。


20番は私は何度聴いても、ゾクゾクするような喜びを感じる。21番。「陰」と「陽」で言えば、20番が「陰」。21番が「陽」。昔は20番に夢中になった。その頃、20番はよく聴いたが、21番はあまり聴かなかった。いまでは21番も同じくらい聴く。違った方向を向いているが、21番は20番と並ぶ美しさを持つ。この2曲はコインの裏表のような作品なのではないか。そんなことを考えながら、ペライアモーツァルトを聴く。

クロスバイクを買う・『ブリヂストン・CYLVA F24』

自転車を買った。



そろそろ時期的に、子供が自転車に乗れてもよいくらいの年頃になった。そのために、まず自転車を買おうと思って訪れた自転車店で、大人の私が熱中してしまった。子供のモデルはそこそこの時間で決めて、大人用のクロスバイクに見惚れてしまった。『giant』、『ビアンキ』や『メリダ』など、クロスバイクの美しいモデルが沢山あって、最近の自転車はこんなに(速そうで)、カッコいいのかと、カルチャーショックを覚えた。昨今の自転車ブーム。これほど魅力的なモデルがたくさんあったら、みんながはまるわけだ。



クロスバイクスタートBOOK2017 (COSMIC MOOK)

クロスバイクスタートBOOK2017 (COSMIC MOOK)


以来、雑誌やWebや店で、何週間も迷って、自分のための自転車を店で注文した。子供の自転車は買って、練習をして乗れるようになった頃に、入荷し、取りに行った。今では一緒に走っている。


当初購入候補に挙がったのが、『giant』の『escape R3』だった。有名メーカーでもあるし、初心者に定評のあるモデルでもありながら、はじめてクロスバイクに乗る人にも、感動を覚える軽い走りができるモデルだと書かれていた。実際に直営店にまで足を運んで、ピカピカの実物も見た。いかにも速そうだった。まず、『giant』を選んでおけば間違いないように思えた。


私はもう一台、気になっているモデルがあった。それがブリヂストンの『CYLVA F24』だった。それほどの人気車というわけではないが、私はその自転車をとても気にしていた。


ブリヂストンは、国内のメーカーというのが良い。そして、私は昔から、何故か、ブリヂストンというメーカーが好きだった。タイヤもブリヂストンが好きで履いていたこともあるし、ブリヂストン美術館が好きだということもあるが、好きな理由は自分でもよくわからない。何故かわからないが、信頼の日本のメーカーであるし、品質も良さそうだと思っていた。購入した店と違うところの店頭で乗ってみたところ、自分の体形にもフィットしていることを感じた。



結局、なんとなく、ブリヂストンの『CYLVA F24』に決めた。大きさは、420mmと480mmで迷ったが、480mmの方が、大きめで持て余すような感じだったので、やや小さめの420mmを選んだ。重さは、480mmで12.5kgということなので、420mgは11キロ台だろう。軽いクロスバイクではないが、スタンダードな折り畳み自転車くらいの重さだ。いままで乗っていた自転車と比べると軽いと感じるほどだ。


びっくりするようなスピードが出るわけではないが、私はいままで普通のシティサイクルしか乗ったことがないので、クロスバイクの走りの軽さに驚いた。スーッとすべるように進んでいくし、漕いだら漕いだだけ加速していく。買ったその日、夜に店に取りに行ったのだが、その足で、15キロくらい走った。15キロというと、クロスバイクでは近距離だが、私にとっては驚きだった。走った後も疲れず、全然平気だった。


新しい自転車を手に入れたことが想像以上に嬉しくて、毎日乗っている。新しい自転車を手に入れた嬉しさは、車を買い替えた時より嬉しいかもしれない。


自転車を買った結果、近所に行くときは車を使わなくなった。往復30キロくらいは自転車圏内。そんなわけで、大阪府下の名所・旧跡を自転車で走破することが最近の趣味となっている。



四天王寺くらいまでなら全然行ける。境内に駐輪場もある。自転車で行って、境内を散策する。仏像に拝む。電車や車でしか行ったことがなかったところに、自転車を漕いで行く。やや遠くの場所だと思っていた場所が身近な存在になっていく。


この自転車はクロスバイクにしては太めの32Cのブロックタイヤを履いているので、段差にそれほど気を遣わなくてよい(しかもパンクガード付き)。実は私は、もっとも自分の用途に合った、街乗りに最適な車種を選んだのかもしれない。



あびこ観音寺。地下鉄あびこで降りて徒歩10分くらいのところにある。良いお寺だった。あびこで降りることなんていままで一度もなかったし、敢えて訪れる機会もなかった。お寺の門をくぐった瞬間、外界と隔絶された独特の空気があった。そういう、良い雰囲気のお寺に共通するものがあった。いままでどうして行く機会がなかったのだろう。自転車なら「ちょっとそこまで」が簡単にできる。




仁徳天皇陵。それほど遠くないが、いままでは車で行く距離だった。



「ふとん太鼓」で有名な百舌鳥八幡宮


こんなふうにして、徐々に距離を伸ばして行けば、奈良県くらいまで行けるかもしれない。そうなるともっと性能の良いロードバイクが欲しくなってくるかもしれないが、いまはもう少し、近距離でクロスバイクを満喫したい。

地下鉄で聴く、ショパンのバラード


地下鉄に乗っている時、ショパンを聴くのが何故か好きだ。電車なら何でも良い訳でなく、JRでもなく、阪急電車でもなく、地下鉄というのが不思議なのだが、地下鉄とショパンは合う。


地下鉄は車窓の風景が変化に乏しく、視覚的な情報が制限される分、音楽への没入感が高まるのか。また、騒々しい地下鉄の車内で、静かなピアノ曲を聴くというギャップが良い。ノイズキャンセリングヘッドフォンを使えば、それほど音量を上げなくても、ショパンの繊細で情緒的な音楽を楽しむことができる。私はノイズキャンセリングヘッドフォンを2つ持っているので、気分で使い分けている。


【ゼンハイザー『MOMENTUM On-Ear Wireless』を買った】


【Bose『Quiet Comfort 25』】


特に休みの日に地下鉄に乗っている時に、ショパンを聴いていると、充実感を感じ、本当に幸せな気持ちになる。生涯にわたってピアノ曲を書き続けたショパンの作品は、一人の人生が詰まっている。濃密な伝記を読むような感覚で、聴き浸り、ショパンの眩しい青春を追体験し、孤独に涙する。完全に音楽に身を任せる、という状態になる。


地下鉄で聴いているとき、冒険して、普段あまり聴かないピアニストの演奏を選んで、発見することもあるし、聴き比べを楽しむこともある。


ここに聴き比べに最適な2枚の作品がある。ショパンのバラード集で、クリスティアン・ツィマーマンとマウリツィオ・ポリーニという、現代を代表する二人のピアニストがショパンのバラードを演奏したものだ。全4曲のバラードに加え、幻想曲が重複している。私がバラードも好きだが、幻想曲も同じくらい好きな曲だ。


クリスティアン・ツィマーマンのバラード集


ショパン:4つのバラード、幻想曲、舟歌

ショパン:4つのバラード、幻想曲、舟歌


私が最初に聴いたショパンのバラードは、ツィマーマンのアルバムだった。ずいぶん昔、クラシック音楽を聴きはじめた頃、私は交響曲から入ったので、ショパンはワルツくらいしか聴かなかったが、梅田のタワーレコードで、ショパンの他の曲を探していて買ったCDがツィマーマンのバラード集だった。ひたすら美しいショパンだった。ショパンのイメージを決定づけるものだった。


一言で言うと、この演奏はツィマーマンの「美学」。こんなに美しい音色があるのだろうか。スワロフスキーのクリスタルのように透明感のある音色。テンポ設定も絶妙で、聴き手にストレスを与えない、中庸を意識したバランスを維持している。ツィマーマンは自分を見失わない。ショパンの音楽に存在するドロドロとした要素からは、一歩距離を置いている。かと言って、客観的すぎるというわけではなく、とてもツィマーマンらしい美学と確信に基づいた(主観的な)演奏なのだが、この距離感で、ショパンを説得的に聴かせるというところに、ツィマーマンの凄味がある。巨大な作曲家と対峙する、ピアニストという職業に対する矜持を見た思いがする。単なる優れた演奏を突き抜けた、エレガントな美しさに聞き惚れる。


地下鉄の喧騒の中、私は一人、ショパンの世界に没入する。


マウリツィオ・ポリーニのバラード集


ショパン:4つのバラード、幻想曲作品49、前奏曲作品45

ショパン:4つのバラード、幻想曲作品49、前奏曲作品45


この録音は1990年代最後のもので、ポリーニは50代も終盤を迎えている。若い頃に、「機械のようだ」、「冷たい」と言われたポリーニのピアノは、壮年期を迎えても、大きくは変わらない。テクニックで若手に譲るつもりはなく、若い頃と同じように、いつまでもアスリート的である。


ツィマーマンを聴いたすぐ後に、ポリーニを聴くと、両者の違いが際立つ。テクニックの高さは共通するが、印象は全然違う。ポリーニのバラードは激しい。比べてみるとツィマーマンは、優しかった。ポリーニのスタイルは、一言で言うと「苛烈」。


ツィマーマンを聴いた後では、獰猛で過激だとさえ思う。すべての音符を、正確に再現することに対する本能のようなものがある。しみじみとした情緒のようなものは、あまり感じられず、こちらは共感するというよりは、作曲家・ショパンが書いた音楽を、ピアニスト・ポリーニが熾烈に描き出す、洪水のような音の集積に驚愕し、ただ圧倒される。しかし、そういう音楽体験も悪くはないと思う。そんな印象をもたらすピアノなんて、ポリーニくらいしか、考えられないからだ。


続いて、幻想曲の比較にかかる。幻想曲は私がとても好きな曲だ。特に思い出深い曲ではないのだが、いつもこの曲を聴くと、涙が出そうになる。そのくらい好きな曲を素晴らしいピアニストで比較できる。こんなに贅沢なことはない。しかも地下鉄の中なのに。


そうこうしているうちに地下鉄が目的地に着いたりする。曲の途中で終えてしまった場合は、帰りに聴けばよい。ある程度のまとまった時間、好きな作品を聴き浸った後だけに、そのあとの足取りはとても軽い。

『白雲台・グランフロント大阪店』


先日、一人で焼肉を食べてきた。通称『一人焼肉』。一人で食べる焼肉は、孤独で空しく、寂しいものかもしれないが、他人に気を遣わなくて済むのが良い。すべての肉が全部自分のものであるのが嬉しい。また家族で行くと(子供が食べる分が意外にかかるようになってきた)、価格的にも大変なことになるので、最近は専ら一人で行っている。


『一人焼肉』に向いた店は、あるにはあるが、そういう店よりも、みんながいかにも楽しく焼肉を食べている、という賑やかな店で、敢えて、一人で食べたい。「いかにもな焼肉店」は、肉を食べているというテンションが上がる。また、混雑していて、賑やかで、いかにもグループ向きの店でも、ランチをやっていたりすると、途端に敷居が下がる。そういう店を選んで最近は行っている。


私が先日行ったのは、『白雲台グランフロント大阪店』という店だった。鶴橋の本店には行ったことがあるが、グランフロント大阪の店舗は初めてだった。調べてみると、嬉しいことにお得なランチメニューがある。


鶴橋の本店の印象だが、この店は、安い店でなく、どちらかと言えば鶴橋でもやや高級路線の店だが、霜降りの肉とか、柔らかい肉とかを売りにする店ではない。『叙々苑』などとは違う。韓国風の豪快な焼肉を提供する店だ。肉は分厚く、タレも味付けがしっかりしていて、まるで韓国で焼肉を食べていると錯覚する。


大阪の店は、『グランフロント大阪』の南館のレストランフロアにある。平日だったので、混雑していなかったが、カップル(ビールを飲んでいる)や、夫婦や(ビールを追加している)、肉を焼きながら水割を楽しんでいる年配の客が私の視界に入った。昼酒の嬉しさ、わかる。しかし私は風邪気味だったので、アルコールは控えた。


私はまずロースの130グラムの定食をメインに、追加で塩タンを注文した。ロース定食が1,400円、塩タンの単品が1,500円だった。定食と単品の価格が逆転しているが、ランチだとこういうことはよくある。しかし合わせて2,900円。夜であれば絶対にこの値段で焼肉は食べられない。



タレ。タレがなければ始まらない。焼肉とは、タレに始まり、タレに終わる。どんなに肉が素晴らしくても、タレが合わなければ、満足度が低い。タレとは相性で、高級店だから良いというものでもない。



定食なので、ナムルやキムチなどが標準で付いてくる。キムチは辛いばかりでなく、酸味のある韓国風の味付けだ。



塩タン。これで1,500円は高くはない。座布団を思わせるような大きさ。その辺の油揚げみたいに無造作に皿に置かれているが、これは牛タンだ。『白雲台』は本店もそうだったが、塩タンがかなり良い。牛タン料理専門店にも負けていない。



続いて、定食のメインのロースが運ばれてくる。ロースのイメージではない。カルビは豪快。ロースは華麗。そういうイメージを持っていたが、これは何なのだろう。何とも豪快。塩タンが座布団なら、こちらはタイヤだ。タイヤが4本。丸まっていて、ロールキャベツみたいだ。



そして至福の時。ロースは広げると大きすぎるので、はさみで切って食べる。もともとタレに漬け込んであったものを、秘伝のタレに付けて食べる。定食なので御飯が標準で付いてくるので、ご飯にのせて食べる。肉はそれほど柔らかいものではないが、大きさといい、厚みといい、存在感抜群である。家では焼けないような厚みのある牛肉を、豪快に強火で炙る。この感じは、韓国の地元の人が集まるB級グルメ焼肉店で食べている感じだ。


巨大なロースをはさみでチョキチョキ切っていると、いま自分は焼肉を食べているのではなく、違う作業をしているように思えてくる。工作でもしているような気持ちで、手を動かし、口を動かす。しかしこれは、タレが好きな感じなので、満足度が高い。ご飯はおかわりも可能だが、私は一杯でやめておいた。それでも塩タンを別に注文した分、満腹になってしまった。

【白雲台グランフロント大阪店】

住所/大阪府大阪市北区大深町4-20 グランフロント大阪 南館 7F
営業時間/11:00〜23:00
定休日/年中無休

奈良国立博物館『快慶 日本人を魅了した仏のかたち』


奈良国立博物館に、快慶の特別展『快慶 日本人を魅了した仏のかたち』を観に行ってきた。



最近の仏像ブームもあり、さらに、人気の「快慶」なので、混雑を予想していたが、平日なので、無茶苦茶混んでいるというほどではなかった。一つ一つの展示を見るために並ぶようなことはなく、じっくり観ることができた。



「有名人」ならぬ、快慶作の「有名仏」である、醍醐寺弥勒菩薩坐像、東大寺の僧形八幡神坐像、青蓮院の兜跋毘沙門天立像などが一堂に会し、非常に贅沢な展示内容だった。


ボストン美術館弥勒菩薩立像などは、全身の彩色がまだ残っており、大変保存状態がよいものだった。これなどは、ボストンからはるばる運ばれてきたものなので、お寺に行って拝観するというわけにはいかず、こういう機会でもないと観られない。他にも、アメリカのメトロポリタン美術館キンベル美術館の貴重な快慶コレクションが来日していた。


他の目玉としては、金剛峯寺孔雀明王坐像がある。高野山でもいつも公開されているという訳ではない貴重で有り難い仏像だ。展示期間が終わっていたため(会期前半のみの公開)、観ることができなかった。しかしこの孔雀明王坐像は、私は一度高野山で観たことがあったので、諦めがついた。


石山寺大日如来坐像は私が好きな仏像の一つだ。お寺で拝観し、思い出に残っている。初めて石山寺を訪れたときのことだ。石段を登ったところに多宝塔がある。多宝塔は、内部が見えるようになっていて、暗がりの中、さらに黒い仏像が見える。それが大日如来で、ゾッとするような不気味なオーラを持つ仏像だった。夢に出てきそうな異様な存在感だった。展覧会では、展示のために、王冠や装飾具が外されていた。その影響もあるのか、私が抱いていた印象よりも、素朴で、オーラが薄れているように感じた。芸術品として、素晴らしいことは素晴らしいが、仏像が持つ霊的な雰囲気は薄れていた。あの大日如来は、あの多宝塔の中に鎮座してこそ、という思いを抱いた。博物館では、こうやって芸術品として鑑賞しているが、本来は信仰の対象である。場所やお寺とセットで力を発揮するものなのかもしれない。そういえばお寺で拝観する仏像の前では無条件に手を合わせるが、確かに、博物館で観る仏像の前では合掌しないな、と思った。


他には快慶作ではないが、京都の清水寺の奥院の本尊、三面千手観音が素晴らしかった。正面と左右に三面の顔、頭上にも小さな二十四面の顔が乗っている。無数の手には、小さな仏像が乗っていたり、花や、杖が握られている。骸骨が乗っている手があるのが独特だった。


まず、この仏像は、清水寺に行ったら拝観できるというものではない。奥院自体は清水寺の中にあるが、奥院の本尊である千手観音は開扉されていない。秘仏である。それも普通の秘仏ではなく、秘仏中の秘仏だ。なにしろ、公開された歴史を調べてみると、前回公開が2003年。最近のことだと思うかもしれないが、そのとき、243年ぶりの公開だったという。「なんちゃって秘仏」ではなく、「本物の秘仏」で、生きているうちに目にすることができたことが奇跡というレベルの秘仏で、それがこの展覧会で公開されていた。2003年に公開されて以後は、2008年の西国三十三ヵ所巡礼の展覧会なども観られてきたようだが、私は初めてだった。快慶作ではないが、快慶風のモダンな作風で、美しい仏像だった。そうした美しさ以上に、怨念めいたものが感じられた。人の目に触れてこなかった歳月の重みが滲み出ているのか、何とも凄みのある仏像だった。


そして事前の知識なしに来たのがまた良かった。圧倒され、いきなり殴られたような衝撃で、こういう素晴らしいものに予備知識なしに出会えたことが良かった。


展覧会の最後の印象は快慶以外のものになってしまったが、質も量も申し分のない、遡っても他にはこれほどのレベルの展覧会がなかなか思いつかないくらいの、素晴らしいものだった。快慶を中心とした仏教芸術を浴びるように堪能した。


特別展『快慶 日本人を魅了した仏のかたち』
会期/平成29年4月8日(土)〜6月4日(日)
会場/奈良国立博物館 東新館・西新館
休館日/毎週月曜日
開館時間/午前9時30分〜午後5時
※毎週金・土曜日は午後7時まで※入館は閉館の30分前まで
観覧料金/一般 1,500円 高校・大学生 1,000円 小・中学生 500円


 

 

 


展覧会の後は、時間がまだ十分あったので、東大寺まで歩いた。特別展に、快慶のあの僧形八幡神坐像を出展した東大寺だと考えると、何度も訪れた東大寺が新鮮だった。東大寺からは展覧会に他に何点も仏像を出展していた。修学旅行のシーズンで、南大門の手前から、平日とは思えない混雑だった。ゴールデンウィーク新大阪駅みたいな混雑だった。そして運慶と快慶らによる金剛力士像。頼もしい大きさだった。この大きさでは博物館に入らないが、これも含めて快慶展であり、これらの像をもって、勝手に、自分なりに、快慶展のまとめとすれば、大変ふさわしいように感じられた。


私は東大寺の大仏殿から参道を歩き、三月堂のところを左に曲がって、二月堂まで歩いた。二月堂まで来ると、修学旅行の児童の姿は見えなくなって、地元の小学生が社会科の校外学習に来ているらしい、ローカルな風景があった。二月堂からさきほど自分がいた大仏殿を眺め、その後、戒壇堂まで歩いた。戒壇堂は、仏像好きの人しかまず訪れない。平日だろうが休日だろうが同じくらい空いている。しかし数人は必ず参拝客がいる。住まいも、性格もそれぞれ異なるだろうが、皆、仏像好きだ。私はそこで快慶の時代よりもずいぶん古い、奈良時代の四天王像を観て、その日のプランを終えることにした。そして近鉄奈良駅まで戻り、帰りの近鉄電車に乗った

休日にブルックナーを聴く


忙しい日が続くと、音楽を聴かずに終わる日が幾日も続くことがある。「ああ、今日は何も聴かなかったな」と自分で気付けばまだ良い方で、いつの間にか音楽を全然聴かなかった日が続いていた、ということが結構ある。


最近もそうで、ゴールデンウィークが始まる頃まで、しばらく音楽を聴いていなかった。連休が始まる前に、iPod touchを準備しているとき、「そういえば最近音楽を聴いていないな」と気付いた。


64ギガバイトiPod touchに何を入れるか。意外に沢山入らない。何故か長い曲ばかり入れたくなってしまった。オペラにブルックナーマーラー。何故か長い曲ばかり聴きたかった。限られた容量との兼ね合いで、私なりに結構、シビアな選択を迫られた。しばらく音楽を聴いていなかったので、できれば長い曲を聴きたかった。ブルックナーはどうか。ブルックナーが良いかもしれない。それも、長い8番。ブルックナーの8番の神聖な音楽が、こうしたブランクを埋めるのに最も適した音楽であるように思えた。また、新幹線でブルックナーを聴いたら、最後まで絶対に聴き通せる。仕事とか、来客が来たとか、家に着いたとか、そういう理由で邪魔されることはない。聴くときが楽しみで仕方がなかった。


そしてそんなに楽しみにしていたにもかかわらず、当日、私は失敗してしまう。弁当を買ったり、お土産を選んだり、子供が迷子にならないように注意しているうちに、またゴールデンウィーク中の新大阪駅の大混雑にも疲れて、新幹線に乗り、座席に着いた時には、安堵の気持ちしかなかった。惰性でiPodの再生アイコンをタップする。「オペラでも聴こうか」と、疲労のために半分、放心状態で、私がその時にかけた曲はモーツァルトのオペラ『ドン・ジョバンニ』だった。3月ごろに村上春樹氏の『騎士団長殺し』にハマっていたので、iPodにそのまま入っていたのだ。


モーツァルト: 歌劇「ドン・ジョヴァンニ」

モーツァルト: 歌劇「ドン・ジョヴァンニ」


「今日はブルックナーを聴く」ということは、忘却の彼方にあった。しかし『ドン・ジョバンニ』が相当良かった。良かったのが幸いだった。大体、オペラを忙しい時に聴くことはできない。時間がある休日に、オペラの録音を余裕をもって聴くのは最高だ。私は時間がない時には、よく序曲集などで気を紛らわせている。序曲集はベスト盤みたいなものだが、全曲版は、序曲に続きがある。いわばオリジナルのアルバムで、一つの世界が描かれている。私は久しぶりに聴く『ドン・ジョバンニ』の、暗示的で不吉な序曲から、その世界に引き込まれた。緊張感に満ちた冒頭の騎士団長殺しのシーンから、有名な『カタログの歌』、誘惑の歌『お手をどうぞ』など、名曲揃いのモーツァルトのオペラを味わう。が、無情にも、オペラの途中で、目的地に着く。『ドン・ジョバンニ』は2時間以上かかり、新幹線の時間では全然足りないのであった。


帰省の際にも色々なことがあったが、今回の帰省は、行きはブルックナーを聴くことを忘れた、帰りはブルックナーを聴くことを忘れなかった、そういう記憶として後々自分の中に残っていくかもしれない。


帰りはブルックナーを聴くことを忘れなかった。私はブルックナーの8番を選んだ。ブルックナー交響曲第8番は演奏時間が90分近い超大作で、内容的にも大変深い。聴く側にも「覚悟」が必要とされる曲だと思っている。こちらのコンディションもベストでないと、この曲の凄さを理解できない。また適当に聴いてしまっては申し訳ないような気持ちになる曲だ。



今回は、ヴァントがミュンヘン・フィルを振った2000年のライブ録音を選んだ。ヴァントのブルックナーの8番と言えば、2001年のベルリン・フィルのライブ録音の方が有名だが、あの演奏は今日は厳しすぎるように感じた。あの演奏はブルックナーの演奏の一つの頂点かもしれないが、マッチョで、強烈で、私はそういう気分でなかった。それと比べるとミュンヘン・フィルの方は、残響も多めにとられ、音色もやや古風で、それが温かみと柔らかさを感じる所以となっている。私は座席に座り、飲み物を飲んだりして少し過ごした後、iPod touchをカバンから取り出した。「B」のところまでスクロールさせていって、「Bruckner」を探す。そしてさらにスクロールさせていき「Bruckner-Wand」で、目的の曲でタップする。


第一楽章。やはりブルックナーの音楽だ。鬱蒼とした雰囲気の冒頭。地の底から這い出るような低音。場違いなほど大きな音。ミステリアスで魅力的な旋律が顔を出してはすぐに消える。一つ一つが一見無関係なように見えて、背後に有機的なつながりを持ち、最終的に壮大な統一を果たすような、いかにもブルックナーらしい音楽だ。これからどのような展開を見せるのか。この時点では全貌を窺うことはできない。


第二楽章。スケルツォ。9番のスケルツォほどではないが、冒頭、僅かに野蛮で、何となくグロテスクな旋律を持つ。クラシック音楽らしくないと言えば、クラシック音楽らしくない旋律で、中欧にもともと存在していたような古い音楽のような感じだ。その雰囲気を残したままノスタルジックで寂しげな旋律に展開していく。第三楽章を先取りしたかのような、泣かせる旋律が登場する。全体として、曲はまだ謎めいており、まだ氷山の一角にすぎない。続く第三楽章、第四楽章と、どれほど巨大で、どれほど素晴らしい音楽が展開していくのか。曲はスケルツォからトリオに展開し、穏やかな表情を見せたあと、最後はスケルツォに回帰する。


第三楽章。30分近い長大なアダージョ。穏やかな雰囲気だが、燃え上がるような部分もある。冗長なところは少しもない。緊張と弛緩が交互に支配する世界。長いアダージョ楽章を全く飽きもせず、固唾を飲んで聴き浸る。


第四楽章。フィナーレ。ブルックナーが書いた音楽の中で最も荘厳な曲ではないだろうか。堂々としていて、厳めしい。その威容はまるで大伽藍を思わせる。私はこの楽章を聴くと奈良の大寺院の伽藍を思い出す。均整が取れており、秩序立っている。古くて価値がある。人知を超えた何かがある。その柱は信念に基づいて作られている。続いて展開される主題は、第三楽章のアダージョを思い出させるような、内省的な旋律である。冒頭の主題に雰囲気が似た、行進曲風の主題を経て、曲は中盤に入っていく。


私が参考にしている書籍では第4楽章について以下のように書かれている。

「この楽章のコーダは、第四番を想起させるような、コラールを中心とする雄大な構成を示していくが、やがて金管スケルツォのモティーフを繰り返し、終楽章のファンファーレも響き渡り、第一楽章の冒頭主題が明るい長調のかたちに変化し、アダージョの二度上下するモティーフもホルンのパートに現れて、この曲の主だった素材が一堂に会するかたちで結びとなる。」

  • 『作曲家・人と作品シリーズ・ブルックナー』より(根岸一美氏著)


作曲家 人と作品 ブルックナー (作曲家・人と作品)

作曲家 人と作品 ブルックナー (作曲家・人と作品)


コーダで、ヴァントは急がない。ミュンヘンフィルも憎らしいほど急がない。高い山の頂上をいよいよ窺うという時になって、最後の歩みがより慎重になるように、大事に、とても大事に登っていく。これは並のコンサートではない。まるで数年に一度の祭礼のようだ。


フィナーレの感動は言葉では言い表せない。人間は死ぬときに過去の思い出が走馬灯のように駆け巡るというが、過去の旋律が走馬灯のように脳裏を駆け巡っている。全4楽章全てを聴き終えた時にはじめてわかるこの感動。「終わった」後に、「わかった」感覚。全体を見通すことができた時に、個々の部分の意味が分かったような感覚。まるで宇宙の中で自分の位置を確かめたような感覚と言ったら大げさだろうか。昔この曲の素晴らしさに知った時とまったく同じことを再確認した。休みということもあって、集中して聴くことができたことが大きい。ブルックナーの8番を聴くために整えられたかのようなコンディションだった。


そして私は音に支配された世界から、静寂の世界に突然放り出される。この録音はライブなのだが、演奏が終わってから拍手が始まるまで、10秒以上のブランクがある。当日の観客も、この演奏に圧倒されていたのだ。最後の音が鳴って12秒後に、拍手が始まる。その拍手も最初は遠慮気味というか戸惑い気味で、徐々に盛り上がっていくが、どこか放心状態な観客の心理を物語っているようで、当日の会場の空気がわかる。


久しぶりに聴いたブルックナーはとても印象的だった。心が浄化されたような特別な感覚。それはブルックナーだけにしかない特別なものだ。


そして私がiPod touchの画面を消すと、まるで図ったように、もうまもなく新大阪に到着するというアナウンスが聞こえてきた。そして、ブルックナーの休日も終わろうとしていた。

神戸元町 『洋食屋双平(SO-HEY)』

神戸の元町に行った時、『洋食屋双平(SO-HEY)』に行った。有名なお店で、以前から行きたいと思っており、幾度となくこの周辺を通ったことがあるのに、不思議と今まで行く機会がなかった。



『洋食屋双平(SO-HEY)』は、神戸元町の中華街・南京町のメインストリートから一本入ったところにある。南京町の中心部は中華料理店や中国雑貨店ばかりだが、一本横道に入ると、西洋風のオシャレなカフェやセレクトショップがある。歩いていてとても楽しいエリアだ。



その日私は購入したてのカメラを首からぶら下げていた。南京町の中華街を歩いていると、まるで自分が今日の午前の便で北京に到着して、ホテルにチェックインしたあと、いよいよ町に繰り出した旅行者みたいだと錯覚する。そんなオリエンタルなムード満点の中華街を散策し、路地に入ったところで店を見つける。



開店直後の11時過ぎで既にカウンターには二人、先客があった。カウンターメインで7席くらいのこじんまりとした店だ。見かけは「ジモトのこじんまりとした喫茶店」で、常連客に心地の良さそうな雰囲気である。カウンター越しの厨房側の壁の棚にはミニカーやモデルガン、クラシカルなフィルムカメラなどが置かれている。趣味の店、という感じだ。雑貨屋、喫茶店でこういう雰囲気は多いのかもしれないが、洋食店では珍しい。


こちらの店の名物は、ドビーライスとミンチカツだ。ドビーライスとはデミグラスベースのソースがかかった、この店のオリジナルメニューらしい。今回の私の目的はミンチカツだった。


私はミンチカツ2個とエビフライがセットになっている、ミックス定食を注文した。900円と書かれていた。神戸の有名洋食店であるのに、この価格は安い。


お店はご主人と奥さんで経営されている。奥さんが生野菜とマカロニサラダの盛り付けや、ご飯の準備を行っている。


ミンチカツって、あまり店で食べるイメージがない。コロッケは買うが、ミンチカツはあまり買わない。しかし昔を思い出してみると、子供の頃にはよく食べていた食べ物で、近所の肉屋でコロッケと一緒の売られていたり、スーパーのお惣菜として売られているものを家族が買ってきて家で食べていた。また家でトンカツを揚げるときには、一緒にミンチカツが食卓に上っていたことを思い出した。私の故郷では「ミンチカツ」ではなく、「メンチカツ」あるいは短縮して「メンチ」と呼んでいた。日本の東の方では「メンチ」、西の方では「ミンチ」と呼ぶのだろうか。そういえば最近、ミンチカツを食べたのはいつだろう。いつ以来だろうか。私はスマートフォンをカバンの中に入れたまま、本も開かず、御主人の趣味の世界が広がっている壁の棚を見つめながら、そんなことを考えていた。


カウンターの上に、これから準備する客の数の皿が並べられ、すでにサラダが盛り付けられている。ご主人はフライを揚げ、揚がったものからザクッと包丁で切り、皿にのせる。そしてソースをたっぷりかけて、すぐに提供される。同時に、奥さんがご飯を用意してくれる。先客の2人の分の定食が先に提供される。ミンチカツだけのセットを注文していたようだった。値段は調べなかったが、エビフライ入りの私が注文したものよりも安いはずだ。900円より安いとすれば、700円くらいだろうか。それなら毎日通って食べられるだろう。こういう店が会社の近くにあるのであれば、とても羨ましい。


続いて私の分が目の前に置かれた。



『洋食屋双平(SO-HEY)』のミンチカツは、揚げたてなので、熱々で美味しい。衣は重くなく、カラッと揚がっている。中身はたっぷりのミンチ肉だ。粗挽きで、細かく刻んだタマネギが入っている。そのまま焼けばハンバーグにでもなりそうなミンチ肉だ。ハンバーグなら割とどこでも食べられるが、ミンチカツとなるとそうはいかない。ミンチカツを名物にしている店は意外に少ない。だから、これは店で食べる価値がある。ソースは、長時間煮込んだと思われる、少し苦みが感じられる濃厚なドミグラスソースだ。たっぷりかかっているのが嬉しい。


エビフライも良かった。ぎゅっと身の詰まった、なかなかのエビだった。


それと、私はたっぷりのサラダも嬉しかった。ファミレスやチェーンのレストランではこうはいかない。野菜は高いが、それを出す必要がある。これくらいのメインにはこれくらいの野菜がいる。しっかりと野菜を提供する、サービス満点な店なのだった。そういうポリシーの店は良い店であるはずだ。


そろそろ食べ終わるころに、次の客がドアを開ける。「四人なんですけど家族行けますか。」という声が聞こえ、ベビーカーにのせた小さな子供が見える。「奥のテーブルにどうぞ。」とご主人が答える。気付かなかったが、奥にテーブルが見えた。小さな子はカウンターだと厳しそうだが、あのテーブル席なら家族でも食べられそうだ。



私は一人の食事を終えた。味もよく、雰囲気も良く、感じも良い店だった。その日はまだ午前中が終わったばかり。時間はたっぷりあった。南京町を歩きながら、頭の中で、これから神戸のどこに向かおうか計画を立てていた。

【洋食屋双平(SO-HEY)】

住所/兵庫県神戸市中央区栄町通2-9-4川泰ビル1F
営業時間/11:00〜17:30(L.O.17:00)
定休日/水曜