耽美・シューベルト交響曲第8(7)番「未完成」
以前に、3大ヴァイオリン協奏曲について書いた時があったが、クラシックの3大交響曲といえば、ベートーヴェンの第五「運命」、ドボルザークの「新世界」、シューベルトの「未完成」だ。
シューベルト交響曲第8(7)番「未完成」という標題の通り、未完の交響曲だ。
コバケン(小林研一郎)氏指揮・大阪フィル演奏による、夏の名曲コンサートでは、毎年、このプログラムでコンサートが開かれている。
クラシック音楽ファンの好みも細分化し、様々な作曲家・作品が聴かれるようになっているが、
「未完成」はメロディの美しさから、古来から聴かれてきたクラシックのポピュラーな名曲のひとつだ。
◇ ◇ ◇
ブルックナーの9番やマーラーの10番が、遺作であり未完であるのとは違って、シューベルトの「未完成」は、遺作ではない。
続く交響曲には「ザ・グレート」という標題で呼ばれる傑作が控えている。
シューベルトは、作品を未完の状態におくことを実は頻繁に行っていた。完成という形にこだわらなかったからか、次の作品に興味が移ってしまっていたからか、続きに良い楽想が浮かばなかったためか、いまとなってはシューベルトのメンタリティーは不明だが、とにかく、交響曲第8(7)番も「未完成」のまま残された。
「未完成」は、ソナタ形式による第1楽章と、緩やかな第2楽章による2楽章構成だ。
暗い中に激しい情熱がほとばしるロマンティックなメロディで、青年シューベルトの理想が見え隠れする。
時に激しく時に繊細に奏でられる音楽は美しさの極致。
仮にこの美しい2楽章のあとに、スケルツォとフィナーレが続くと考えてみよう。
輝かしいフィナーレ。にぎやかなフィナーレ。華麗なフィナーレ。
それがどんな音楽であっても、この音楽にはそぐわない気がする。
「青年」シューベルトが、第1楽章と第2楽章にあまりにも美しい音楽を書いてしまったために、理想と現実のギャップに悩んで、その後が作れなかったとするのが美しい解釈のような気がする。
「未完成」の状態で美しいまま残されたからこそ、後世に残る名曲となったと思う。
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この曲はLPレコードの時代は、ベートーヴェンの第五とカップリングされていることが多かった。
A面に「運命」、B面に「未完成」というふうだ。
私が最初に買ったLPレコードは、カラヤン指揮、ベルリン・フィル演奏の「運命」、「未完成」だった。
しかし、いまではこの組み合わせは少なくなって、シューベルトのほかの交響曲(第3番など)との組み合わせが多くなり、「未完成」以外の曲も聴かれるようになった。
- アーティスト: ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団,シューベルト,ヴァント(ギュンター)
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「未完成」はカルロス・クライバー指揮のCDが有名だが、私はヴァント指揮のものを愛聴している。抑制の効いた音楽作りが、シューベルトの音楽にとてもよく合っていると思う。