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『麒麟亭』と京都水族館・2019年夏

麒麟亭』のことを書きたいと思う。2019年もほとんど終わり、映画のクライマックスのようなこの段階で、ずいぶん前の夏のことを思い出して記録に残すのは自分でも「どうなのか」と思うのだが、2020年になれば本当に残せなくなってしまうので、年末の大掃除のような気持ちで書き残しておきたいと思う。2019年も他の年と同じように、洋食をよく食べた。その中に、初めて訪れた店や、過去のブログに書いてなかった店があるので、思い出しながら書いていく。


それは2019年の夏のことだったー


麒麟亭』は京都の七条大宮からすぐのところにある。大正時代創業の老舗で、古くから京都に住んでいる人ならよく知っている店だと思う。私は京都に何年か住んだが、その頃は今のようにスマートフォンもなかったので、この店のことは知らなかった。よくある観光客向けのガイドブックには何故かこの店が載っていない。それは当時からそうで、いまでもそうだ。みんなが知っている老舗なので載せる必要がないのか、七条大宮というロケーションのため有名な神社仏閣がなく一緒に訪れるスポットがないからそうなのか、理由は不明だが、ガイドブック類からは無視されている。しかし大正時代創業の洋食の名店で、古くから京都に住んでいる人ならほとんどの人が知っている店である。世界的な観光都市である京都で、住人と観光客で認知度に相当な差がある。そういう状況はかなり面白い。


この店の前を初めて通りがかったのは、京都水族館を訪れるためにこの周辺を歩いたことだった。その時は、訪れることがなかったのだが、独特な雰囲気が心に残った。その日のうちに調べてみると、かなりの老舗洋食店であることが分かった。せっかく近くに来ていたにもかかわらず、そのとき私は、すでに昼食をその辺の喫茶店で、レトルトの疑いのある人工的なカレーを食べてしまっていたのだ。私はその運命を呪った。カレーを食べた後に洋食を食べることはできない。その思い出を引き摺っていた。


そして2019年の夏。京都水族館に向かっていた私(と上の子)は、近くに『麒麟亭』があることを覚えていた。二度目は確信に満ちていた。京都水族館に行く途中、覚えていた道を歩き、店に向かう。


店を前にしてまず書いておきたいのは「老舗」感、老舗らしい風情がすごいということだ。だから気になっていたということがあるのだが、「地方の町に一軒だけある老舗」ならこういう雰囲気を持った店があるかもしれない。独特の雰囲気が歴史を物語っている。あまり京都では見かけないタイプの、例えば松本や高山にありそうな民芸調の趣である。それでは中に入ってみよう。満を持して、店に入ると、洋食店というよりは、郷土料理の店のようである。


コの字型というのだろうか、調理場を囲むカウンターが目に留まる。ロの字型かもしれない。その記憶はあいまいだ。椅子席もスペースが大きめに取られ、大人四人でも窮屈な感じはないだろう。客層はやや高く、年配の夫婦、それほど若くないカップル、龍谷大学関係者らしい二人組(龍谷大学大宮学舎が近い)。年配の女性四人組。カウンターも一人客が三人ほど。平日ということもあり、席は空いていた。圧倒されそうな重厚な雰囲気があるが、一部の老舗によくある、お高くとまったところはなくて、接客にも温かみがあり丁寧。子連れでも全く問題ない。


メニューには、名物がずらり。「わらじビーフカツ」。それほど大きいのだろうか。「わらじ」というネーミングが良い。普通は「L」とか「特大」なのだが「わらじ」というのが洋食店なのに和風で、何とも老舗らしくて良い。「海老クリームコロッケ」。食べる前から美味しいことが分かっている(子供用に注文したが美味しかった)。そして「牛鍋」。私は牛鍋を注文する。牛鍋とは何だろう。すき焼きとは違うのだろうか。ずいぶん昔に歴史の授業で、江戸末期から明治にかけての時代にかけて流行った牛鍋というものを知ったとき、いつか食べるチャンスがあるのだろうかと思った記憶が残っている。歴史の資料集で見た牛鍋に対し、私は少年的な憧れがあった。



まずはサラダと漬物が運ばれる。



ほどなく、メインの料理が提供される。見かけからすると、関西風の、割り下を使わないすき焼きではなく、関東風のすき焼きである。違うのは卵の扱いだ。肉は生卵につけて食べるのではなく、あらかじめ鍋の中に入っている。牛とじというほど混ざっていなくて、卵は最後の仕上げに入れた模様である。全体的には、肉を野菜と豆腐と一緒に鍋で煮込んだ料理である。文字通り、肉の鍋、肉鍋だった。牛鍋とは、関東風のすき焼きに近いものだったのか。



私は鍋をつつく。豆腐を箸で二つに割り、口に入れる。野菜を口に運ぶ。牛肉を噛んでみる。みりんの味が出る、すき焼きと同様にシンプルな味付けだ。出汁が効いている。甘すぎず、コクのある出汁で煮られた具材たち。これは老若男女、誰もが好きな味だろう。歴史的な店で食べた牛鍋は、文明開化の味がした。




私は肉鍋を食べ終わり会計を済ませ、満足した気持ちで店を出る。何年越しで訪れることができたのだろう。そして次の目的地である京都水族館に向かう。





京都水族館は、大阪の海遊館の巨大水槽のような目玉はないが、見どころの多い水族館だ。新しめの水族館で、京大白浜水族館や和歌山県立自然博物館、琵琶湖博物館のような学術的なところとは対極的なエンターテイメント寄りの水族館で、ショーもあり、水槽にプロジェクションマッピングを駆使した演出もあり、魚の種類も多い。その、広く見どころが散らかっている感じが好きで、私は気に入っている水族館のうちの一つだ。


好きな京都水族館だけでなく、『麒麟亭』に行くことができ、幸せな夏の休日となった。