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京都国立近代美術館・『東山魁夷展』・会期終了間際の平日

京都国立近代美術館で行われている『東山魁夷展』に行ってきた。

 

8月29日から行われていたので、そのうち行けるだろうと思っていたら、もう会期終了間際。この三連休で終わってしまう。

 

東山魁夷といえば、私は以前に長野市の『長野県信濃美術館・東山魁夷館』に行って以来のファンで、画集も持っている。現在、私が一番好きな画家かもしれない。今回の展覧会は、彼の生誕110年という大規模な回顧展で、これは今回の機会を失したら、次はいつになるのかわからない。

 

kaii2018.

exhn.jp

私は金曜日が休みだったので、早起きして京都まで行ってきた。平日なのでそこまで混んでいないと予想していたが、万が一、チケット売り場が混雑していたら、出鼻をくじかれるので、私は予めローソンチケットでチケットを購入していた。

 

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京都市営地下鉄東山駅で降りて地上に上がり、三条通を少し歩き、神宮道のところで左に曲がる。そうすると平安神宮の大鳥居が見えてくる。左右に割烹やうどん屋、和菓子屋、高級そうなマンションが整然と立ち並ぶ神宮道を北に向かって歩く。左手に今回の会場である京都国立近代美術館があり、右手には京都市美術館がある。京都市美術館は現在改装に向けた工事を行っている。

 

チケット売り場の人だかりはまばらで、行列にはなっていなかった。しかし土日祝の三連休はどうなっているのか想像がつかない。

 

東山魁夷展』は3階から始まる。階段で上るが、エレベーターの出口から入る入口と、階段から入る入口と、2ヵ所になっており、階段からの方は、狭いうえに、右に行くのか左に行くのかはっきりせず、最初の導線に躓いている印象で、団子状態となっている。しかし、そこを抜けると、混雑してはいるが、数珠つなぎというほどではなく、しっかりと絵と向き合って鑑賞することができた。

 

◇  ◇  ◇

 

展覧会の構成は、『1.国民的画家』、『2.北欧を描く』、『3.古都を描く・京都』、『4.古都を描く・ドイツ、オーストリア』、『5.唐招提寺御影堂障壁画』、『6.心を写す風景画』の全6部構成となっている。

 

まず入ってすぐの左手に『残照』がある。そして右を向くと『道』が見える。全部が有名作品と言っても過言でないほど、よく知られている作品ばかりだが、繊細な筆遣い、微妙な色遣いといい、実物大の大きさから得られる迫力といい、原画に触れることの経験の大きさを感じるものだった。どちらの絵も東京国立近代美術館の所蔵で、私にとっては原画は所見だった。

 

続いて『北欧を描く』、北欧シリーズでは、『映象』、『冬華』が心に残った。この日は一日、蒸し暑い日だったが、このエリアは心情的にとても寒く凍えるようだった。

 

『古都を描く・京都』シリーズでは、『花明り』の前でしばらく足を止める。円山公園の夜桜を描いたこの作品のように美しくて幻想的な桜は写真でも見たことがない。そして、光悦寺の茶室を囲む光悦垣を描いた『秋寂び』。『年暮る』では、京都の年の暮れの雪景色が描かれている。京都に住んでいた時、年末、こんな雪の時があったと思い出した。『東福寺庭』。私は趣味で写真をやるので、こういう構図がとても勉強になる。こういうふうに切り取るのかと。相当思い切っている。なのにこれ以上思いつかない。『散紅葉』。こちらも光悦寺の紅葉が描かれている。

 

『古都を描く・ドイツ、オーストリア』シリーズでは、私が特に好きな作品たちと出会う。私は日本の写真家が撮影した西洋の写真がとても好きで、それは理由が何なのかわからないが、同じように、日本の画家が描いた西洋の絵がとても好きだ。『晩鐘』、『窓』、『霧の町』『静かな町』。私の中では、モーツァルトの音楽が流れていた。

 

唐招提寺御影堂障壁画』シリーズは圧巻だった。何しろ唐招提寺の御影堂内部を再現してしまったのだ。まず、鑑真の故郷である揚州の風景を描いた水墨画は、初めて挑戦したということだが、初めて云々というレベルではない。同じスタイルである。真の巨匠は道具を問わない。鑑真が渡って来た海を描く『濤声』。そして『山雲』の前に立った時、私は美術館の中ではなく、霧の中、和歌山県の熊野あたりの山中にひとりぽつんと立たされているような錯覚を覚えた。圧倒的なリアリティを持った傑作で、自然の声を聞いたようだった。

 

これで3階の展示は終了となり、4階に階段で上る。

 

4階の展示は、これまでの展示と比べて数は少ないものだったが、『心を写す風景画』というテーマで、印象的な作品が多かった。『白馬の森』、『草青む』、『緑の窓』、『行く秋』、『木枯らし舞う』がよかった。

 

全体的を通してみると、私が好きな作品ばかりだったということもあるが、今年行った中で、ベストの展覧会に挙げたい。平日にしては混雑していたが、ゴッホ展や、フェルメール展、伊藤若冲展などのハイパー(スーパー)混雑の催しと比べると、全然ましだった。十分に足を止めて、時間をとって、絵に集中できる。しかしそれも京都での話。より多くの人が集まる東京ではその限りではないのかもしれない。

 

とても素晴らしい展覧会に、会期終了間際だったが、行くことができて良かった。しかしあまりにも素晴らしかったので、東京での展覧会にも行きたい気持ちになっており、困っている。

『はてなダイアリー』から『はてなブログ』へ移行しました

本日、『はてなダイアリー(以下、ダイアリー)』から『はてなブログ』へ移行しました。

ブックマークの変更をお願いします。

ushinabe1980.hatenadiary.jp

2006年から『ダイアリー』でクラシック音楽を中心とするブログを書いてきましたが、2019年春に『ダイアリー』のサービスが終了することとなり、『はてなブログ』に移行しました。記事やコメントの移行は問題なく行うことが出来ましたが、リンクが消えていたり、カテゴリーの順序が崩れていたりするので、これから細かい調整が必要です。

移行して間もないのですが、徐々に直していきますので、今後ともよろしくお願いいたします。

心斎橋『ばらの木』

久しぶりに心斎橋の『ばらの木』に行った。


以前には時々行っていたが、何年ぶりだろう。この周辺を歩くことが少なくなって、めっきり行くことがなくなったのだ。


その日、私は休日で、梅田から難波まで歩く途中だった。地下鉄御堂筋線であれば10分少々で到着する距離をわざわざ歩くのは何故か。そこに御堂筋があるからだ、と答えてみたところ、全く格好がつかない。特に理由もないのに私は時々、梅田から難波まで御堂筋を歩いている。距離にすると大したことはないのだが、クリアした時に、何か達成感のようなものがあって、難波のグリコの看板を過ぎて、高島屋なんば店まで辿り着くと、大した成果でもないはずなのに、多少の充実した気持ちを抱くことができる。それは、「淀屋橋から大国町まで」や、「本町から昭和町まで」では得られないタイプの達成感で、「梅田から難波」というのが別格であって、キタの梅田とミナミの難波というのが収まりもよく、両者をだいたい一本の線で結ぶ御堂筋を徒歩で歩くというのが、休みの日の小さな楽しみとなっている。



『ばらの木』は心斎橋なので、行程の四分の三を過ぎた辺りにある。昼時をやや過ぎていたため、店の外まで閑静な雰囲気が漂っていた。不思議なもので、中を見なくてもなんとなくそういう雰囲気は伝わってくるものだ。


店にはいると先客は若い男性客が一人だけ。その後、それほどしないうちに私一人となる。


カウンターだけの店で奥行きがある。照明は暗めで、食器が壁際の棚に高い密度で並べられている。地震があったら一発で全部落ちるだろうというギリギリのところで並べられている。大阪の地震後のことだったが、大丈夫だったのだろうか。


私はメニューからそれほど悩まずに今日の注文を決めた。昼でもメニューは豊富だが、私はハンバーグと真鯛のクリームコロッケのセットを注文する。エビフライが大変おいしいのを知っていて捨てがたかったが、久しぶりなのでよく注文していたものを注文した。


ハンバーグを焼く「ジューッ」という音だけが、静かな店内に響く。料理を待っているのは、私しかいないので、私のためのハンバーグが焼かれている。



まずは本汁のスープが提供される。ジャガイモの冷製スープだ。ジャガイモの冷製スープは確かビシソワーズというのではなかっただろうか。私はジャガイモの冷製スープがとても好きなので、あっという間に飲んでしまう。



その後、メインの皿が提供される。ハンバーグと真鯛のクリームコロッケと生野菜が一枚の皿に盛り付けられている。真鯛のクリームコロッケにはタルタルソースがかかっていて、レモンも添えられている。



ハンバーグは繋ぎ少な目のとても柔らかいもので、ファミレスのハンバーグとは一線を画す。その日に使う分だけを、店でミンチにし、こねて、焼く。このハンバーグは大変おいしく、ハンバーグというもののイメージの基準となるようなものだ。ソースは苦めの大人のソースで、この辺もとても好みだ。


梅田から歩いて、少し疲れた上に、私は空腹だった。こんな日は洋食がぴったりだ。


真鯛のクリームコロッケは、結構他では見ない珍しいものだが、こちらの店ではずっと以前からメニューにある。サクサクの衣をかじるとホワイトソースの濃厚な旨みが口に広がる。真鯛はたっぷり入っていて、ソースと抜群の調和を見せる。もっとたくさん食べたいが、大きさは上品なレベルで、また次に食べたいと期待させる。


食べ終わると、もう客は来ない雰囲気だった。やがて店も昼の営業を終え、夜の営業に備えるはずだった。私は会計を済ませる。マスターが扉を開けてくれ、最後の客となった私は充実した気持ちで店を出る。




外は暗い店内と打って変わって、眩しい太陽が通りを照らしていた。私は難波までの最後の行程を済ませるべく歩き出した。

『グリルばらの木(ばらのき)』
住所:大阪府大阪市中央区東心斎橋1-16-14ばらの木ビル1F
営業時間:11:30〜15:00/17:30〜21:00(O.S.)
定休日:月曜日

サザンオールスターズ『海のOh, Yeah!!』


8月1日に発売されたばかりのサザンオールスターズのニュー・ベスト・アルバム『海のOh, Yeah!!』を聴いている。前作のベストアルバム『海のYeah!!』は1998年の発売で、初めて聴いたときのことを思い出せるくらい鮮明で、近い過去のように感じていたのだが、あれから20年も経ったのか。



折角のサザンのアルバムということで、大きなイベントに臨むような姿勢がこちらにはあるのだが、その気持ちを空回りさせる、イカした(←1998年時点で死語)ジャケット。前作が「海の家」、今作が「生みの親」。タイトルからふざけて、言葉遊びをして遊んでいて、楽しい。


1曲目の『TSUNAMI』から2曲目の『LOVE AFFAIR〜秘密のデート〜』の並びなんて最高だ。冒頭から飛ばしている。サザンの最高傑作クラスの曲を続けて聴けていいのだろうか。


「これだよ、これ」と心の中で頷く。サザンの音楽が、自分を形作る要素のうちの一つだったと思えるくらい、気持ちの中に入って来る。コンサートにも行かず、オリジナルアルバムもそれほど熱心に聴かない自分を棚に上げて、「そうだ、私は何年もサザンを待っていたのか」と言ってみたい。そして、サザンの音楽が暫く心の中に居座っている。


聴きはじめたら最後。日本のポップスの財産とも言える名曲揃い。


一枚目を聴き終えたとき、あまりの傑作揃いに驚愕したところ、二枚目もそれに勝るとも劣らないテンション、曲のよさで、震えた。


誰もが知っている曲や、ひたすら美しい曲、しみじみとした味わい深い曲、泣ける曲、何故か引っ掛かる曲、極上のキワモノまで、それぞれ違った魅力を持つ珠玉の33曲。一曲たりとも捨て曲なし。感情は揺さ振られ続ける。迫力に押され、最後まで通して聴いてしまう。


海のYeah!!

海のYeah!!


再び取り出してきた前作『海のYeah!!』と合わせて、聴きまくり、この夏を乗り切ろうと考えている。

寝落ちに最適なイヤホン(寝ホン)


早めにベッド(布団)に入り、好きな音楽を聴きながら、そのまま睡魔に負けて、眠りに落ちる。覚醒と睡眠の境目はぼんやりとしている。両者の輪郭は曖昧で、音楽が次第に遠ざかっていく。そのまま意識を失い、無の世界へ。最高である。


今日はそんな寝落ちに最適なイヤホン、「寝ホン」を選んでみた。


イメージとして、カナル型はあまり良くないというのがある。横になったとき耳が痛くなる。しかしカナル型でも「寝ホン」としてしっかり機能したものもある。インナーイヤーでも寝落ちに適したものは限られている。


apple純正『EarPods』


Apple EarPods with 3.5mm Headphone Plug/ MNHF2FE/A

Apple EarPods with 3.5mm Headphone Plug/ MNHF2FE/A


iPhoneにも標準で付属するイヤホンが馬鹿にできないのである。登場以来、評判も良く、音質もそこそこ良くて、装着感も最高。これで決定版、となると話が続いていかないので、より良いものを探し求める旅は続く。


ゼンハイザー『MX475』



寝るときに使用するイヤホンを探し始めた頃、インナーイヤーのものを探していて、ゼンハイザーから選んだが、「寝ホン」としてはダメだった。ハウジング部分のうち耳から外側の部分が大きく重くて、また持ちにくい形状をしているため、外れやすく、元に戻しにくかった。耳に入っている部分が半分、耳から出ている部分が半分、というイメージで、どうしてこんなにフィットしにくいデザインになっているのだろうか。インナーイヤーだから良いというわけではない一例として挙げた。しかし、音質はなかなか良い。3,000円弱で買うことができるレベルを超えている。


また同じく、インナーイヤーのタイプで、JVC(旧ビクター)の「グミホン」シリーズも使用したが、至って普通のイヤホンという感じで、満足に至らなかった。


AKG『Y20』




カナル型なのに圧迫感はそれほどでもなくて合格点。2,000円強という廉価の価格帯なのに、音質がなかなか良い。低音の量感もじゅうぶんで、『EarPods』よりは音の分離に優れ解像度が高く、よりダイレクトに音楽が届いてくるイメージがある。なのに耳を横にして寝ていてもカナル型としては許せるレベルで、痛くはならない。いまでも日によっては取り出してきて使用している。



合わせて、別売りのケースも購入。


■フィリップス『SHE4205WT』



PHILIPS SHE4205 イヤホン インナーイヤー ホワイト SHE4205WT【国内正規品】

PHILIPS SHE4205 イヤホン インナーイヤー ホワイト SHE4205WT【国内正規品】


最高。これこそ探し求めていた「寝ホン」。音の傾向は『EarPods』と同様に雰囲気重視だが、本体がさらに小型。これは寝落ちのために開発されたのではないかと想像するくらいだ。耳に穴の部分に置いておく、というイメージで圧迫感はなし。まったく邪魔にならない。外れやすいという声もあるようだが、睡魔が訪れ、音楽が邪魔になってくる頃に自然に外れている。自分で無意識に外しているのではないかと思われるが、すぐに外れるのが良い。購入してから、ほとんどこちらを使用している。いま怖れているのは、生産中止になることだ。家電メーカーに限らず、最近は、顧客の満足度や、クオリティの高さと関係なく、すぐに生産中止になってしまう。そのため、一生ものとして、もう二つくらい購入しようかと思っている。

大阪上町『中華そばうえまち』


先日、大阪でよく知られているラーメン店『中華そばうえまち』に行ってきた。私はラーメン店巡りをするようなマニアでは全くないが、この店のことは知っていた。関西のグルメ情報紙『あまから手帳』に掲載された店をまとめた『大阪ミナミ100選』に、この店が載っていたのだ。店主は大阪の名店、ラーメン好きなら誰でも知っている『カドヤ食堂』の出身。


写真で見るラーメンの美しさに、いつか行って見たいものだと思っていたのだった。


大阪ミナミ100選―決定版 (クリエテMOOK あまから手帖)

大阪ミナミ100選―決定版 (クリエテMOOK あまから手帖)


大阪市内で家からも遠くないので、いつでも行けるが、いつでも行けるということで、行かないままになっていた。それが先日、特に予定もない休日があって、いよいよ出掛けて行った。


私は、開店直後を狙って向かう。しかし、グーグルの経路検索などできちんと乗る電車を決めず、焦って速足などで歩いたりしなかったので、着いた頃にはすでに開店時間を過ぎていた。店の外にもう3名待っていた。私はその後に続く。さらにその後、私の後に3人4人5人目が続いていった。ラーメン店なので、回転は早く、20分もしないうちに、私の前には誰もいなくなる。


いよいよ私の順番が来て店内に案内される。店内はカウンターのみで全部で8席。しかし、外から想像するよりも奥行きがずっと広い。横の席との幅が広く確保されている。よく人気店でも隣の席との距離が近くて肘同士が当たりそうな店が多く、そういう店は私はあまり得意ではない。ひしめき合っている感じがどうも苦手だ。その点こちらは距離が広くて良かった。自分のスペースが保障されていると、味に集中できる。私は850円の中華そばを注文する。


常連らしい客が、店主と何やら世間話をしている。その常連客の前には瓶ビールがあった。ご飯ものと中華そばでチビチビやっていた。飲もうと思えば昼からビールを注文することもできるのだと知った。他の客は、この周辺のサラリーマンと、40代後半くらいのカップル(夫婦?)。醤油以外にも、塩ラーメンを食べている人もいる。「塩」という手もあったのか。醤油ラーメンの店というイメージがあって、醤油を食べたくて来たので、塩という発想はなかった。



そのうち私の中華そばが出来上がる。その肝心の味だが、文句なく美味しい。これこそスタンダードな『ザ・醤油ラーメン』というものだった。スープは、醤油の一番美味しい面を引き出している。麺はやや柔らか目で、優しさが溢れている。チャーシューは脂身付きの肉厚なチャーシューが一枚。これだけをご飯に乗せて食べたいレベルのチャーシューだ。メンマもありきたりではないような気がする。とにかく、一つ一つがいちいち美味しい。


先述した『大阪ミナミ100選』によれば、スープは「大和肉鶏、黒さつま鶏「黒王」、霧島高原純粋黒豚を使用」と書かれている。高級食材。麺は自家製の平打ち麺。歯ごたえが凄くあるというタイプではなく、のどごし重視のツルツルのタイプ。ちなみに「麺硬め」などの注文は出来ない。スープ、麺、薬味、チャーシュー。文句のつけようがない。客の好みを反映させると、バランスが崩れるのだろうか。完成品の味のバランスとは、それくらい繊細なものなのかもしれない。


私は出身が関西ではなくどちらかと言えば東の文化で育ったので、昔から、ラーメンと言えば東京風の醤油ラーメンだった。塩や味噌や豚骨のラーメンを食べて、美味しいと思いつつ、もしも一生同じ味のラーメンしか食べられないとなったら、迷わず醤油を選ぶ。


なので、とても嬉しい。それも、素材や材料を吟味し、良い素材を使って、熟達した手順で作られた極上の逸品。


食べ終わり、850円の勘定を済ませて店を出る。待っている人の列はさらに伸びるかと思えたが、そうでもなかった。私が店を出る頃も同じくらいの状態だった。このくらいなら次回も待つことを気にせず、行くことができる。極上の「醤油」を食べられるこの店の「塩」はどうなのか。今はそれが気になっている。

【中華そばうえまち】
住所/大阪府大阪市中央区上町A番22号
営業時間/11:00〜14:30・18:00〜21:00
定休日/月曜

エロール・ガーナー


ジャズ・ピアニストのエロール・ガーナーのピアノが好きだ。


エロール・ガーナーは、1940年代から1970年代に活躍したピアニストとして、ジャズファンにはよく知られている。小さい頃から音楽に親しみ、独学でピアノをものにした左利きのピアニスト。彼は、生涯にわたって楽譜が読めなかった。彼には絶体音感が備わっていたのか、楽譜がなくても、聴いた曲を自分のピアノで再現して聴かせた。有り余る才能と揺るぎない個性を持った彼にとって、楽譜は不要なものだったのかもしれない。


左手は利き手であるため、五本の指を駆使した重厚な和音で、右手は華やかなシングルトーン。そして彼の特徴の一つである、「ビハインド・ザ・ビート」。低い音域をカバーする利き手のテンポが正確であるのに対し、右手はやや遅れて出てくる。左手と右手の微妙なずれが自然なアドリブみたいに、音楽に生き生きとした躍動感を与えている。彼のピアノから弾き出される音の粒は、北海道で食べるイクラのように一粒一粒が美しく、生命力に満ちている。彼の音楽作りは、古風で、懐古趣味的で、レトロで、やや大げさである。表現に小難しいところはなく、ひたすらエンターテイメントに徹している。彼はステージでも笑顔を絶やさなかったというくらいで、眉間に皺を寄せて演奏することもない。客は彼の陽気なピアノにつられて心が躍るような、幸せな気持ちになる。


そんなエロール・ガーナーの良さを一言で言うと、「味がある」ということだろうか。嫌いな人にとっては、「癖がある」と感じるのかもしれないが、好きな人にとっては「味がある」ということになる。楽譜を読めず、独学だけで来た人ゆえに、彼の前に同じようなスタイルのピアニストは存在せず、彼の後に同様のスタイルのピアニストは現れなかった。ワン・アンド・オンリー。エロール・ガーナーよりも正確にピアノを弾く人や、華麗に弾きこなす人は多いのかもしれないが、彼のようにオリジナルなピアニストは他にはいない。


エロール・ガーナー『ミスティ』


ミスティ

ミスティ


エロール・ガーナーは楽譜が読めないのに、いくつもの名曲を残している。後に歌詞も付けられてジャズボーカルのスタンダードナンバーにもなった『ミスティ』もエロール・ガーナーの作品だ。彼にとっては演奏・録音という行為でしか作品が生まれなかったはずなのに、今でも演奏され、歌い継がれている。それは凄いことだ。名曲『恋とは何でしょう』もエロール・ガーナーにかかると、とてもノスタルジックで1950年代の風景が思い浮かぶようだ。『フラントナリティ』はガーナ―節が全開。


エロール・ガーナー『コンサート・バイ・ザ・シー』


コンサート・バイ・ザ・シー

コンサート・バイ・ザ・シー


『四月の思い出』、『枯葉』、『パリの四月』などのスタンダード曲が満載。『枯葉』はビル・エヴァンスと比べて聴きたい。全然違う。芸術性と大衆性。もちろんそれぞれに優劣はない。両極端という感じがする。ノスタルジックで優美で、最後はかなりパワフル。ハンマーで叩くみたいな、力強いピアノを聴くことができる。


■エロール・ガーナ―『コンサート・バイ・ザ・シー(完全版)』


コンサート・バイ・ザ・シー 完全版

コンサート・バイ・ザ・シー 完全版


『コンサート・バイ・ザ・シー』の発売から60年後に未発表曲11曲を含む完全版が発売され(数年前のことだ)、ファンを喜ばせた。全3枚のうち、完全版としての演奏は2枚のCDに収められ、残る1枚には原盤のプログラムが高音質で収録されている。高音質なのは3枚目だけではなく、全編リマスタリング処理されている。


エロール・ガーナー『パリの印象』


パリの印象

パリの印象


旅先のパリでさらに陽気なエロール・ガーナー。パリの空気と合っているのだろうか。『ラ・ヴィ・アン・ローズ』、『ムーラン・ルージュの歌』がとてもパリらしい。とても楽しい演奏で、聴いていると陽気になってくる。また、このアルバムでは、何曲か、ピアノに替えてチェレスタを演奏した曲があり、それも聴きどころとなっている。

『左手のためのピアノ協奏曲』の名盤


ラヴェルのピアノ協奏曲は2曲残されている。どちらの曲も、私がクラシック音楽を意識的に聴こうと思って色々と聴き始めてから、最初の頃に聴いたピアノ協奏曲だった。


私は元々、クラシック音楽をメインで聴いていた訳ではなかった。音楽鑑賞は好きだったが、本格的にCDを集め出したのはジャズからだった。いまでもジャズのCDは、クラシック音楽ほどではないが沢山持っていて、CDラックの広い範囲を占拠している。


昔、ジャズを聴いていた頃、クラシック音楽に詳しい知人に、ラヴェルの2つのピアノ協奏曲、つまり『ピアノ協奏曲ト長調』(以下、『ト長調』)と『左手のためのピアノ協奏曲』(以下、『左手のための〜』)を勧められた。


「ジャズが好きなら、ラヴェルのピアノ協奏曲を聴いた方がいいよ。ラヴェルのピアノ協奏曲は2曲あって、ジャズの影響を強く受けているんだ。ジャズが好きならきっと気に入ると思うよ。」


当初は『ト長調』の方に夢中になって、『左手のための〜』はそれほど聴かなかったのだが、いまは後者の方を好んでよく聴く。メロディも斬新で、迫力満点。そして、ラヴェルの素晴らしいオーケストレーション。新しく、ややグロテスク。獰猛でありながら、華やかな曲だ。


この曲は、第一次世界大戦で右手を負傷したピアニスト、ウィトゲンシュタインの依頼によって作られた曲で、ピアニストは右手を使わずに、左手だけで演奏する。クラシック音楽の楽曲の種類には、バラエティに富んだ曲が多いが、そんな曲まであるとはなんて深遠な世界なんだろう、と、当時とても印象的だった。


しかしこの曲は、ピアノパートのあまりの難しさに、依頼した本人が弾きこなすことができず、それがもとでラヴェルウィトゲンシュタインは疎遠になってしまったとか。


左手は通常は低音域の位置にあるので、それだけで曲を書くと単調なものとなってしまう。そういう制限を抱えたまま、広い鍵盤を左手だけでカバーし、両手で演奏するのに遜色ない和音を出すいうのがこの曲の面白いところである。『ト長調』同様、ピアノパートだけが目立つ作品ではなく、ピアノ入りのオーケストラ作品としての完成度が非常に高い。また、ピアニストにとっては非常に高いレベルの技巧を要求される難曲で、『ト長調』の方よりも難度は高いらしい。


それでは、私が好んで聴いているCDをいくつか紹介していきたい。


クリスティアン・ツィマーマン


ラヴェル:ピアノ協奏曲、高雅にして感傷的なワルツ

ラヴェル:ピアノ協奏曲、高雅にして感傷的なワルツ


まずはツィマーマンのピアノとブーレーズの指揮による演奏を、この曲の定番に挙げたい。計算された迫力、緻密な構成、テクニック、音色の美しさ、申し分ない。クリーブランド管による極上のサウンド。精度が非常に高い。スワロフスキーのクリスタルのような、透明な響きに痺れる。細部にまでツィマーマンの美学が行き届いた丁寧な演奏で、安心して聴くことができる。


■モニク・アース


ラヴェル:ピアノ協奏曲、左手のためのピアノ協奏曲/バルトーク:ピアノ協奏曲第3番、他

ラヴェル:ピアノ協奏曲、左手のためのピアノ協奏曲/バルトーク:ピアノ協奏曲第3番、他


新しい演奏は解像度、見通し優先で、モニク・アースのような、雰囲気のある音色が少なくなった。ひたすら上品である。お屋敷で深窓の令嬢が弾いていそうなノーブルな演奏となっている。


■ピエール=ロラン・エマール

ラヴェル:ピアノ協奏曲

ラヴェル:ピアノ協奏曲


このCDは、「鬼才」ピエール=ロラン・エマールによるお国ものという訳で、聴かないわけにはいかない。同時に収録されている『ト長調』の方が私にとってはあまり好みでなかったが、『左手のための〜』の方は名演。オーケストラの冷たさ。冷たいピアニズム。凍えるような冷たい迫力に、こういうタイプの演奏もあるのかと、カルチャーショックを覚えた。凄い演奏だ。


ユジャ・ワン


ラヴェル:ピアノ協奏曲、左手のためのピアノ協奏曲、他

ラヴェル:ピアノ協奏曲、左手のためのピアノ協奏曲、他


若きテクニシャン。ずば抜けたテクニックと曲の本質を鷲掴みにする高い音楽性。メカニカルな面では、詳しいことはわからないのだが、柔らかいのに強靭で、腕のバネの素材が違うのではないかと思わせるようみたいで、こんなに躍動感のあるパッセージを聴かせるピアニストを私は他に知らない。現役のピアニストのなかでも最高レベルのテクニックではないだろうか。もう出てきてから暫く経っているが、個人的には彼女の登場は、クラシック音楽を聴いてきて、大きなものだった。登場時のインパクトでは、アルゲリッチに並ぶ(リアルタイムで知らないけれど)。中国出身のピアニストには他に、同じくテクニシャンで売れっ子のラン・ランがいるが、私はラン・ランよりも好きだ。