「断捨離」的ひっこし
先月末に家の引っ越しを行った。
もともと住んでいた家は、風通しが悪く、実際にかなり手抜き工事の欠陥住宅だったということが、一定期間住んだことによってわかってきたので、そろそろ引っ越ししたいな考えていた時に、ずいぶん前から目をつけていた近所の物件に思いがけない空きが出たことがきっかけとなって、割と急に決まったのが始まりだった。
引っ越しはほんとうに大変で、この大変さとストレスと引っ越しに伴う苦労や困難は、人生の辛苦のうちのベスト3に入る一大事業だと思うほどだった。引っ越しは、結婚よりは大変で、離婚よりは(私は経験がないが)たやすいというレベルだと思う。引っ越しのストレスは、肉親や可愛がっているペットとの別れのストレスほどではないが、車をぶつけてしまうストレスよりは大きいのではないだろうか。
引っ越しを決めてからの第一ステップが、ものを捨てることだった。新しい家は、立地が良いのと設備が整っている反面、部屋がやや狭かった。ものを減らさないといけないが、我が家はモノで溢れかえっていた。モノ専用の(というよりモノに占拠されている)部屋があるくらいだった。
はやりの『断捨離』(『新片付け術 断捨離』(やましたひでこ・マガジンハウス))ではないが、いまの自分にとって必要のないものはすべて捨てようと決めた。
- 作者: やましたひでこ
- 出版社/メーカー: マガジンハウス
- 発売日: 2009/12/17
- メディア: 単行本
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『断捨離』。断捨離とは「家のガラクタを片づけることで、心のガラクタをも整理して、人生をご機嫌へと入れ替える方法。」(上記書名より引用)。「もったいない、まだ使える」という『モノ』を主役にした考え方ではなく、「このモノは自分にふさわしいか」という『自分』を主体にした考え方。断捨離をコンセプトに行こう。
思い切って本棚を3つ捨てた。捨てられる本棚が3つもあることに驚く。
それに伴い、現在読まない本をぜんぶ売った。私は中学のころから純文学少年だったので、太宰治や夏目漱石や芥川龍之介の小説をずっと大事に持っていたのだが、全部売った。『人間失格』はたぶん本棚にあるまま、15年以上も開いていない。『こころ』は買ってから10年以上たつが1回読んだきりだ。なのに10年以上本棚に場所を確保していた。ヘミングウェイも、トルストイも、コナン・ドイルも、あれもこれも処分した。ドストエフスキーの『罪と罰』は、訳者の異なるものが3種類もあった。1種類残すのではなく、全部処分した。いまはもう読む時間がないので、また読みたい時が来たらまた買おう、と。
結局、文庫本は、村上春樹とサマセット・モームの『人間の絆』と沢木耕太郎の『深夜特急』といくつかしか残らなかった。
新書。新書がたくさんあったのだが、大幅に減らした。たとえば、1990年の対アジア貿易について書かれた新書は、ぜったいにもう一度開くことはない。興味のなくなったジャンルの新書もある。そういえば「邪馬台国」に突然興味をもった時期があった。いまはない。そんな感じで捨てられるものばかりだ。クラシック音楽関連のものや旅行関連のものだけ残し、かなり処分した。
着なくなったブランドものの服もたくさんあった。高価だったものもある。あまり着なかったなあと後悔。どんどん捨てる。ブランド物のネクタイ。よく見たらカビが生えていたので捨てた。捨てることが快感になる。
パソコン。デスクトップは持っては来たものの置くスペースがないので、処分。当然、パソコンデスクも用途をなくす。引っ越し会社が引き取ってくれた。
ゲーム機。携帯ゲーム機以外は全部、中古ゲームショップに売った。ずいぶん前のゲームボーイのソフトが思わぬ値段で売れたりして、任天堂は強いと実感する。結構な小遣いになった。
クラシック音楽のCD。これは処分できなかった。いまの自分にとっても、将来の自分にとっても必要なものだ。
ジャズのCD。これも捨てられないが、置く場所に工夫することで目立たなくしよう。
車のカタログ。何の車か見たらジープのグランドチェロキーだった。買わないし買えない…。まったく興味もないんだが。いつ取り寄せたんだろう。ごみ箱へ。
芸術関係のムック。かさばるので捨てる。
旅行ガイドブック(『地球の歩き方』)。どこの国か見たらメキシコだった。行ったこともないし、行く予定もない。どうしてこんなガイドブックを買ったんだろう。チュニジア。中央アジア。ロシア。サハリン。当分これらの国のガイドブックのお世話になる日は来なさそうだ。ごみ箱へ。
電化製品のカタログ。炊飯器。ずいぶん前に買い替えた。なんでこんなものが残っているのだろう。まったく記憶がない。ほぼ全ていらないものだった。
カメラ。しばらく使っていなかったが、フィルムカメラの裏蓋が溶けていた。おそろしい。
なんだかんだと他にも、いろいろ処分してから家を出たのだが、それでも新しい家ではまだ多いくらいだった。しかし、仮に全部持ってきたらと考えると恐ろしい。
引っ越しをしてから、ものを買うことにそれほど興味がなくなった。結局、あんな大変な思いをして捨てることになるかもしれないと考えると、買う気が起こらなくなってしまったのだ。ごみのために場所を確保し、家賃まで払っているかと思うとばかばかしく思える。新しい商品も、その商品がごみになった姿を想像することで、冷静になれる。結局、いまの自分にとって、必要なものだけ、自分の持ち物と認識できる範囲で生活していこうと思った。
そんなわけで、整理とか欲望とか等身大の生活とか、様々なことを考えるきっかけとなった引っ越しだった。