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エレーヌ・グリモーのコンチェルト


エレーヌ・グリモーによるブラームスのピアノ協奏曲集。


ブラームス:ピアノ協奏曲第1番&第2番

ブラームス:ピアノ協奏曲第1番&第2番


このCDは、随分前に買って以来、CDに傷がつくのではないかと思うくらい聴いた。今週も何回も聴いた。エレーヌ・グリモーのピアノはどうしてこれほど私の心に訴えてくるのか。


グリモーとドイツ音楽の相性はとても良い。フランス人で、才能があって、美人であるにもかかわらず、フランス音楽とは一定の距離を保ち、またアイドル路線も取らなかったこと(美人演奏家をアイドルみたいに売り出して実力以上に持ち上げるのは日本だけの現象だろうか)、それが正解であったと、この演奏を聴いて思った。ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」の録音も凄かったが、ブラームスのこの録音は、ピアニスト・グリモーの頂点を成すのではないかと興奮している。


グリモーのブラームスというと、1番に関しては、ザンデルリンクと共演した1997年のライブ録音CDが知られている(→1997年録音・ブラームス・ピアノ協奏曲第1番)。そのCDは超有名盤ではないが、1番の隠れた名盤で、まさしくブラームス管弦楽曲らしく、まるでピアノ入り交響曲とも呼べるようなスケールの大きな演奏だった。ザンデルリンクの重厚な音楽作りと、若く瑞々しいグリモーのピアノの相乗効果で、緊張感あふれる素晴らしい演奏となっていた。


では、新しい録音はどうか。結論から言えば、新盤もそれに勝るとも劣らない演奏となっている。グリモーのピアノは華やかなものではなくて、オーソドックスというか古風である。ただし、とても「呼吸が深い」、というとわかりにくい表現となってしまうが、せかせかしていなくて、優雅である。私はグリモーのピアノの中に、自由を感じることができる。音だけではない何かが乗っている気がする。タッチには血が通った温かみがあって、男性ピアニスト並みの力強さも見せる。立体感溢れる造形には、往年の巨匠の音楽作りを見るようだ。旧盤でもグリモーのピアノの魅力は感じられたが、新盤では、さらに自信に満ち、一層、ピアノが前に出ている。成熟した大人のピアニストが凱旋するように、頼もしく感じられる。旧盤が、若い気鋭のピアニストがオーケストラ主体の音楽の一部として奮闘している姿を見せるのならば、新盤は、より積極的に、確信的に自分の音楽をやっているように見える。文句なしの名演である。


2番はオーケストラはスタジオ録音なので、白熱度という点でいうと1番に劣る。しかしオケがウィーンフィルということもあって、酔うような極上のサウンドである。2番はブラームスの円熟を示す作品で、私はこの作品の枯れたところがとても好きだが、グリモーのピアノからは生命力に溢れたブラームスを聴くことができる。聴いたときの感じは、ロマン派文学のよくできた中編小説を読むようで、時に笑い、時に泣く、豊かな時間を過ごすことができる。


エレーヌ・グリモーを聴くとき、必ずしも無茶苦茶に巧いわけではないのに感動してしまうのはなぜだろうと考える。その時に突き当たる答えは「音楽性」という言葉だ。巧いピアニストはいくらでもいる。しかし感動させるピアニストは一握りしかいない。どうやったら音楽性が養われるのかわからないが、育ちにもよるし、持って生まれたものによるところも大きいだろう。グリモーのピアノは私の心に訴えてくる。グリモーの音楽性は、私の感性の中のスイッチを実に的確に衝き、「オン」にする。


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