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寝落ちに最適なイヤホン(寝ホン)


早めにベッド(布団)に入り、好きな音楽を聴きながら、そのまま睡魔に負けて、眠りに落ちる。覚醒と睡眠の境目はぼんやりとしている。両者の輪郭は曖昧で、音楽が次第に遠ざかっていく。そのまま意識を失い、無の世界へ。最高である。


今日はそんな寝落ちに最適なイヤホン、「寝ホン」を選んでみた。


イメージとして、カナル型はあまり良くないというのがある。横になったとき耳が痛くなる。しかしカナル型でも「寝ホン」としてしっかり機能したものもある。インナーイヤーでも寝落ちに適したものは限られている。


apple純正『EarPods』


Apple EarPods with 3.5mm Headphone Plug/ MNHF2FE/A

Apple EarPods with 3.5mm Headphone Plug/ MNHF2FE/A


iPhoneにも標準で付属するイヤホンが馬鹿にできないのである。登場以来、評判も良く、音質もそこそこ良くて、装着感も最高。これで決定版、となると話が続いていかないので、より良いものを探し求める旅は続く。


ゼンハイザー『MX475』



寝るときに使用するイヤホンを探し始めた頃、インナーイヤーのものを探していて、ゼンハイザーから選んだが、「寝ホン」としてはダメだった。ハウジング部分のうち耳から外側の部分が大きく重くて、また持ちにくい形状をしているため、外れやすく、元に戻しにくかった。耳に入っている部分が半分、耳から出ている部分が半分、というイメージで、どうしてこんなにフィットしにくいデザインになっているのだろうか。インナーイヤーだから良いというわけではない一例として挙げた。しかし、音質はなかなか良い。3,000円弱で買うことができるレベルを超えている。


また同じく、インナーイヤーのタイプで、JVC(旧ビクター)の「グミホン」シリーズも使用したが、至って普通のイヤホンという感じで、満足に至らなかった。


AKG『Y20』




カナル型なのに圧迫感はそれほどでもなくて合格点。2,000円強という廉価の価格帯なのに、音質がなかなか良い。低音の量感もじゅうぶんで、『EarPods』よりは音の分離に優れ解像度が高く、よりダイレクトに音楽が届いてくるイメージがある。なのに耳を横にして寝ていてもカナル型としては許せるレベルで、痛くはならない。いまでも日によっては取り出してきて使用している。



合わせて、別売りのケースも購入。


■フィリップス『SHE4205WT』



PHILIPS SHE4205 イヤホン インナーイヤー ホワイト SHE4205WT【国内正規品】

PHILIPS SHE4205 イヤホン インナーイヤー ホワイト SHE4205WT【国内正規品】


最高。これこそ探し求めていた「寝ホン」。音の傾向は『EarPods』と同様に雰囲気重視だが、本体がさらに小型。これは寝落ちのために開発されたのではないかと想像するくらいだ。耳に穴の部分に置いておく、というイメージで圧迫感はなし。まったく邪魔にならない。外れやすいという声もあるようだが、睡魔が訪れ、音楽が邪魔になってくる頃に自然に外れている。自分で無意識に外しているのではないかと思われるが、すぐに外れるのが良い。購入してから、ほとんどこちらを使用している。いま怖れているのは、生産中止になることだ。家電メーカーに限らず、最近は、顧客の満足度や、クオリティの高さと関係なく、すぐに生産中止になってしまう。そのため、一生ものとして、もう二つくらい購入しようかと思っている。

大阪上町『中華そばうえまち』


先日、大阪でよく知られているラーメン店『中華そばうえまち』に行ってきた。私はラーメン店巡りをするようなマニアでは全くないが、この店のことは知っていた。関西のグルメ情報紙『あまから手帳』に掲載された店をまとめた『大阪ミナミ100選』に、この店が載っていたのだ。店主は大阪の名店、ラーメン好きなら誰でも知っている『カドヤ食堂』の出身。


写真で見るラーメンの美しさに、いつか行って見たいものだと思っていたのだった。


大阪ミナミ100選―決定版 (クリエテMOOK あまから手帖)

大阪ミナミ100選―決定版 (クリエテMOOK あまから手帖)


大阪市内で家からも遠くないので、いつでも行けるが、いつでも行けるということで、行かないままになっていた。それが先日、特に予定もない休日があって、いよいよ出掛けて行った。


私は、開店直後を狙って向かう。しかし、グーグルの経路検索などできちんと乗る電車を決めず、焦って速足などで歩いたりしなかったので、着いた頃にはすでに開店時間を過ぎていた。店の外にもう3名待っていた。私はその後に続く。さらにその後、私の後に3人4人5人目が続いていった。ラーメン店なので、回転は早く、20分もしないうちに、私の前には誰もいなくなる。


いよいよ私の順番が来て店内に案内される。店内はカウンターのみで全部で8席。しかし、外から想像するよりも奥行きがずっと広い。横の席との幅が広く確保されている。よく人気店でも隣の席との距離が近くて肘同士が当たりそうな店が多く、そういう店は私はあまり得意ではない。ひしめき合っている感じがどうも苦手だ。その点こちらは距離が広くて良かった。自分のスペースが保障されていると、味に集中できる。私は850円の中華そばを注文する。


常連らしい客が、店主と何やら世間話をしている。その常連客の前には瓶ビールがあった。ご飯ものと中華そばでチビチビやっていた。飲もうと思えば昼からビールを注文することもできるのだと知った。他の客は、この周辺のサラリーマンと、40代後半くらいのカップル(夫婦?)。醤油以外にも、塩ラーメンを食べている人もいる。「塩」という手もあったのか。醤油ラーメンの店というイメージがあって、醤油を食べたくて来たので、塩という発想はなかった。



そのうち私の中華そばが出来上がる。その肝心の味だが、文句なく美味しい。これこそスタンダードな『ザ・醤油ラーメン』というものだった。スープは、醤油の一番美味しい面を引き出している。麺はやや柔らか目で、優しさが溢れている。チャーシューは脂身付きの肉厚なチャーシューが一枚。これだけをご飯に乗せて食べたいレベルのチャーシューだ。メンマもありきたりではないような気がする。とにかく、一つ一つがいちいち美味しい。


先述した『大阪ミナミ100選』によれば、スープは「大和肉鶏、黒さつま鶏「黒王」、霧島高原純粋黒豚を使用」と書かれている。高級食材。麺は自家製の平打ち麺。歯ごたえが凄くあるというタイプではなく、のどごし重視のツルツルのタイプ。ちなみに「麺硬め」などの注文は出来ない。スープ、麺、薬味、チャーシュー。文句のつけようがない。客の好みを反映させると、バランスが崩れるのだろうか。完成品の味のバランスとは、それくらい繊細なものなのかもしれない。


私は出身が関西ではなくどちらかと言えば東の文化で育ったので、昔から、ラーメンと言えば東京風の醤油ラーメンだった。塩や味噌や豚骨のラーメンを食べて、美味しいと思いつつ、もしも一生同じ味のラーメンしか食べられないとなったら、迷わず醤油を選ぶ。


なので、とても嬉しい。それも、素材や材料を吟味し、良い素材を使って、熟達した手順で作られた極上の逸品。


食べ終わり、850円の勘定を済ませて店を出る。待っている人の列はさらに伸びるかと思えたが、そうでもなかった。私が店を出る頃も同じくらいの状態だった。このくらいなら次回も待つことを気にせず、行くことができる。極上の「醤油」を食べられるこの店の「塩」はどうなのか。今はそれが気になっている。

【中華そばうえまち】
住所/大阪府大阪市中央区上町A番22号
営業時間/11:00〜14:30・18:00〜21:00
定休日/月曜

エロール・ガーナー


ジャズ・ピアニストのエロール・ガーナーのピアノが好きだ。


エロール・ガーナーは、1940年代から1970年代に活躍したピアニストとして、ジャズファンにはよく知られている。小さい頃から音楽に親しみ、独学でピアノをものにした左利きのピアニスト。彼は、生涯にわたって楽譜が読めなかった。彼には絶体音感が備わっていたのか、楽譜がなくても、聴いた曲を自分のピアノで再現して聴かせた。有り余る才能と揺るぎない個性を持った彼にとって、楽譜は不要なものだったのかもしれない。


左手は利き手であるため、五本の指を駆使した重厚な和音で、右手は華やかなシングルトーン。そして彼の特徴の一つである、「ビハインド・ザ・ビート」。低い音域をカバーする利き手のテンポが正確であるのに対し、右手はやや遅れて出てくる。左手と右手の微妙なずれが自然なアドリブみたいに、音楽に生き生きとした躍動感を与えている。彼のピアノから弾き出される音の粒は、北海道で食べるイクラのように一粒一粒が美しく、生命力に満ちている。彼の音楽作りは、古風で、懐古趣味的で、レトロで、やや大げさである。表現に小難しいところはなく、ひたすらエンターテイメントに徹している。彼はステージでも笑顔を絶やさなかったというくらいで、眉間に皺を寄せて演奏することもない。客は彼の陽気なピアノにつられて心が躍るような、幸せな気持ちになる。


そんなエロール・ガーナーの良さを一言で言うと、「味がある」ということだろうか。嫌いな人にとっては、「癖がある」と感じるのかもしれないが、好きな人にとっては「味がある」ということになる。楽譜を読めず、独学だけで来た人ゆえに、彼の前に同じようなスタイルのピアニストは存在せず、彼の後に同様のスタイルのピアニストは現れなかった。ワン・アンド・オンリー。エロール・ガーナーよりも正確にピアノを弾く人や、華麗に弾きこなす人は多いのかもしれないが、彼のようにオリジナルなピアニストは他にはいない。


エロール・ガーナー『ミスティ』


ミスティ

ミスティ


エロール・ガーナーは楽譜が読めないのに、いくつもの名曲を残している。後に歌詞も付けられてジャズボーカルのスタンダードナンバーにもなった『ミスティ』もエロール・ガーナーの作品だ。彼にとっては演奏・録音という行為でしか作品が生まれなかったはずなのに、今でも演奏され、歌い継がれている。それは凄いことだ。名曲『恋とは何でしょう』もエロール・ガーナーにかかると、とてもノスタルジックで1950年代の風景が思い浮かぶようだ。『フラントナリティ』はガーナ―節が全開。


エロール・ガーナー『コンサート・バイ・ザ・シー』


コンサート・バイ・ザ・シー

コンサート・バイ・ザ・シー


『四月の思い出』、『枯葉』、『パリの四月』などのスタンダード曲が満載。『枯葉』はビル・エヴァンスと比べて聴きたい。全然違う。芸術性と大衆性。もちろんそれぞれに優劣はない。両極端という感じがする。ノスタルジックで優美で、最後はかなりパワフル。ハンマーで叩くみたいな、力強いピアノを聴くことができる。


■エロール・ガーナ―『コンサート・バイ・ザ・シー(完全版)』


コンサート・バイ・ザ・シー 完全版

コンサート・バイ・ザ・シー 完全版


『コンサート・バイ・ザ・シー』の発売から60年後に未発表曲11曲を含む完全版が発売され(数年前のことだ)、ファンを喜ばせた。全3枚のうち、完全版としての演奏は2枚のCDに収められ、残る1枚には原盤のプログラムが高音質で収録されている。高音質なのは3枚目だけではなく、全編リマスタリング処理されている。


エロール・ガーナー『パリの印象』


パリの印象

パリの印象


旅先のパリでさらに陽気なエロール・ガーナー。パリの空気と合っているのだろうか。『ラ・ヴィ・アン・ローズ』、『ムーラン・ルージュの歌』がとてもパリらしい。とても楽しい演奏で、聴いていると陽気になってくる。また、このアルバムでは、何曲か、ピアノに替えてチェレスタを演奏した曲があり、それも聴きどころとなっている。

『左手のためのピアノ協奏曲』の名盤


ラヴェルのピアノ協奏曲は2曲残されている。どちらの曲も、私がクラシック音楽を意識的に聴こうと思って色々と聴き始めてから、最初の頃に聴いたピアノ協奏曲だった。


私は元々、クラシック音楽をメインで聴いていた訳ではなかった。音楽鑑賞は好きだったが、本格的にCDを集め出したのはジャズからだった。いまでもジャズのCDは、クラシック音楽ほどではないが沢山持っていて、CDラックの広い範囲を占拠している。


昔、ジャズを聴いていた頃、クラシック音楽に詳しい知人に、ラヴェルの2つのピアノ協奏曲、つまり『ピアノ協奏曲ト長調』(以下、『ト長調』)と『左手のためのピアノ協奏曲』(以下、『左手のための〜』)を勧められた。


「ジャズが好きなら、ラヴェルのピアノ協奏曲を聴いた方がいいよ。ラヴェルのピアノ協奏曲は2曲あって、ジャズの影響を強く受けているんだ。ジャズが好きならきっと気に入ると思うよ。」


当初は『ト長調』の方に夢中になって、『左手のための〜』はそれほど聴かなかったのだが、いまは後者の方を好んでよく聴く。メロディも斬新で、迫力満点。そして、ラヴェルの素晴らしいオーケストレーション。新しく、ややグロテスク。獰猛でありながら、華やかな曲だ。


この曲は、第一次世界大戦で右手を負傷したピアニスト、ウィトゲンシュタインの依頼によって作られた曲で、ピアニストは右手を使わずに、左手だけで演奏する。クラシック音楽の楽曲の種類には、バラエティに富んだ曲が多いが、そんな曲まであるとはなんて深遠な世界なんだろう、と、当時とても印象的だった。


しかしこの曲は、ピアノパートのあまりの難しさに、依頼した本人が弾きこなすことができず、それがもとでラヴェルウィトゲンシュタインは疎遠になってしまったとか。


左手は通常は低音域の位置にあるので、それだけで曲を書くと単調なものとなってしまう。そういう制限を抱えたまま、広い鍵盤を左手だけでカバーし、両手で演奏するのに遜色ない和音を出すいうのがこの曲の面白いところである。『ト長調』同様、ピアノパートだけが目立つ作品ではなく、ピアノ入りのオーケストラ作品としての完成度が非常に高い。また、ピアニストにとっては非常に高いレベルの技巧を要求される難曲で、『ト長調』の方よりも難度は高いらしい。


それでは、私が好んで聴いているCDをいくつか紹介していきたい。


クリスティアン・ツィマーマン


ラヴェル:ピアノ協奏曲、高雅にして感傷的なワルツ

ラヴェル:ピアノ協奏曲、高雅にして感傷的なワルツ


まずはツィマーマンのピアノとブーレーズの指揮による演奏を、この曲の定番に挙げたい。計算された迫力、緻密な構成、テクニック、音色の美しさ、申し分ない。クリーブランド管による極上のサウンド。精度が非常に高い。スワロフスキーのクリスタルのような、透明な響きに痺れる。細部にまでツィマーマンの美学が行き届いた丁寧な演奏で、安心して聴くことができる。


■モニク・アース


ラヴェル:ピアノ協奏曲、左手のためのピアノ協奏曲/バルトーク:ピアノ協奏曲第3番、他

ラヴェル:ピアノ協奏曲、左手のためのピアノ協奏曲/バルトーク:ピアノ協奏曲第3番、他


新しい演奏は解像度、見通し優先で、モニク・アースのような、雰囲気のある音色が少なくなった。ひたすら上品である。お屋敷で深窓の令嬢が弾いていそうなノーブルな演奏となっている。


■ピエール=ロラン・エマール

ラヴェル:ピアノ協奏曲

ラヴェル:ピアノ協奏曲


このCDは、「鬼才」ピエール=ロラン・エマールによるお国ものという訳で、聴かないわけにはいかない。同時に収録されている『ト長調』の方が私にとってはあまり好みでなかったが、『左手のための〜』の方は名演。オーケストラの冷たさ。冷たいピアニズム。凍えるような冷たい迫力に、こういうタイプの演奏もあるのかと、カルチャーショックを覚えた。凄い演奏だ。


ユジャ・ワン


ラヴェル:ピアノ協奏曲、左手のためのピアノ協奏曲、他

ラヴェル:ピアノ協奏曲、左手のためのピアノ協奏曲、他


若きテクニシャン。ずば抜けたテクニックと曲の本質を鷲掴みにする高い音楽性。メカニカルな面では、詳しいことはわからないのだが、柔らかいのに強靭で、腕のバネの素材が違うのではないかと思わせるようみたいで、こんなに躍動感のあるパッセージを聴かせるピアニストを私は他に知らない。現役のピアニストのなかでも最高レベルのテクニックではないだろうか。もう出てきてから暫く経っているが、個人的には彼女の登場は、クラシック音楽を聴いてきて、大きなものだった。登場時のインパクトでは、アルゲリッチに並ぶ(リアルタイムで知らないけれど)。中国出身のピアニストには他に、同じくテクニシャンで売れっ子のラン・ランがいるが、私はラン・ランよりも好きだ。

SONYのワイヤレス『MDR-1000X』


ソニーのワイヤレス・ノイズキャンセリング・ヘッドフォン『MDR-1000X』を買った。



→2017年1月29日のブログ「ゼンハイザー『MOMENTUM On-Ear Wireless』を買った」

→2016年8月18日のブログ「Bose『Quiet Comfort 25』」

→2016年3月13日のブログ「ゼンハイザー『HD598』/DENON『MM400』」


過去に当ブログで紹介してきたように、これまでいくつもヘッドホンを購入してきた。冷静に数を数えていくとげんなりするが、それぞれに良い点があるし、これまで新しいものを買っても古いものを使わなくなるということがあまりないので、自分なりに納得している。



そこで今回買ったソニーの『MDR-1000X』はどうなのか。これがとても良い製品だった、どのくらい良いかと言われると、いままでいろいろ買ってきて、用途に応じて使い分けてきたが、これで他を使わなくなってしまった。そのくらい良い。


音だけで言うと、他に良いものがあるかもしれない。


つけ心地で言うと、他にもっと楽なものが見つかるかもしれない。


見た目がスタイリッシュで、持つ喜びが得られるものが他にもあるかもしれない。


私はテレビもソニーで、出たばかりの頃にCDウォークマンも使い(最初の頃の名称は『ディスクマン』だった)、過去にはバイオも使い、電子手帳『クリエ』まで使い、『PS VITA』すら持っている、ソニーファンなのに、ソニーのヘッドホンに対して偏見があった。ゼンハイザーとかBOSEを重用していた。しかしこんなに良いとは。


まず、ノイズキャンセリングの性能が最高だ。地下鉄で静かなピアノ曲を聴けるレベル。ノイズキャンセリングの性能は凄まじく、車内のアナウンスさえも消してしまう(右耳のハウジングを右手で覆うとマイクから外の音を拾うこともできる)。


そしてBluetoothで、コードの煩わしさから解放される。私は持っていないが、新しい『iPhone 8』、『iPhone X』のも最適だろう。


サウンドは昔のソニーから想像される、派手目のものではなくて、客観的に、バランスよく鳴らせるタイプ。ジャズにもクラシックにもJPOPにも合う。音の傾向は、神経質なものではなく、スケールもじゅうぶんだ。私の好みだった。


地下鉄の車内で、ショパンのバラードを聴いている時、音楽以外の周囲の音は無音となる。ソースの録音状態にもよるが、ピアノの音だけでなく、ピアニストの呼吸、ペダリングの音、ピアノの鍵盤が動く物理的な音まで再現する。


最高のノイズキャンセリングの性能に加え、音質の良さが際立っている。付け心地だって、ゼンハイザーの『MOMENTUM On-Ear Wireless』を凌駕し、付け心地に定評のあるBOSEの『Quiet Comfort 25』に迫る。『MDR-1000X』は、今後名機と言われるようになるのではないか。


市場には新しいバージョン『MDR-1000XM2』(以下『M2』)が登場しているため、価格が下がっているのも決め手になった(在庫はまだあるのだろうか)。『M2』では、バッテリーの持ちが伸びている。



出掛けて行くとき、常に鞄に入れて持ち歩いている。ヘッドホンにしてはコンパクトだが、小さいバッグには入らないので、新しいバッグを買った。これで、地下鉄でも、騒がしい喫茶店でも、音楽に没頭できる。ラヴェルのオーケストラ作品を聴いている時など、ヨーロッパのどこかの街のまるで音響のよいホールで聴いているみたいだった。


ヘッドホンの購入もこれで、打ち止めとなるか。

謹賀新年・『アルプス交響曲』


あけましておめでとうございます。当ブログにご訪問いただきいただきありがとうございます。


今年も皆様にとって、良い年でありますことを願っています。


◇  ◇  ◇


≪今年の抱負≫

  • 以前に比べると更新頻度は減っているが、昨年末にメトネルのことやモダン・ジャズ・カルテットのことを書くことができて個人的には良かった。いつかブログで紹介したいと思っていたからだ(その割に、短い文章で、大したことのない内容ですみません)。今年はクラシック音楽とジャズだけでなく、ポピュラー音楽も取り上げてみたい。
  • 昨年10月に写真のための新しいブログを立ち上げたものの(→第二ブログ『さすらい人幻想曲』)、最新記事が「京都の紅葉」という、すでに放置状態となってしまっている。それを何とかしたいというのが二つ目の抱負。


◇  ◇  ◇


最後に新年、聴いていたCDを紹介して終わりたい。年始からよく聴いていたのは、ニューイヤーコンサートで演奏されるヨハン・シュトラウス一家ではなく、全く関係のない、リヒャルト・シュトラウスの『アルプス交響曲』だった。正月に富士山を見て、久しぶりに『アルプス交響曲』を聴きたくなったのだ。


R.シュトラウス:アルプス交響曲

R.シュトラウス:アルプス交響曲


このCDは、アンドレ・プレヴィンウィーン・フィルを振った演奏で、1989年の録音と、相当古いものではないが、名演奏として知られている。私が初めてこの曲を聴いたのは、このCDだった。


アルプス交響曲』は、リヒャルト・シュトラウスの登山の体験が元になった曲で、夜の場面から始まり、日の出、山登り、道に迷う、頂上、雷雨、日没などの様々な場面を経て、最後、再び夜を迎えるというストーリーの交響曲だ。場面が浮かぶような様々なモチーフ、豪華絢爛なオーケストラ、泣けるメロディーなど、オーケストラを聴く喜びに満ちた曲だ。


アンドレ・プレヴィンの音楽作りは、自分が前に出るものではなく、客観的で、響きもややスッキリしている。スペクタクルというか、映画音楽的で、指揮者自体ではなく、ウィーン・フィルの美しいサウンドに集中できる。頂上の場面では、私は元日に初日の出を見たわけでもないのに、見た気分になった。音で新年の気分を体験した。


久しぶりに聴いた『アルプス交響曲』を気に入ってしまい、しばらく、色々な録音で試している。


それでは、本年もどうぞよろしくお願いいたします。

『はふう聖護院』のサーロインステーキ

先日(まだ秋だった。1ヶ月以上前の話だ)、京都の聖護院の秋の特別拝観に行ったついでに、肉料理の名店『はふう聖護院』に行ってきた。『はふう』は、肉料理の名店で、各種グルメガイドの常連。聖護院店は、聖護院の西に、本店は京都御所の南にある。



秋晴れの一日。


 


特別拝観の後。不動明王をはじめとする仏像と素晴らしい仏縁を結んだ後に、肉なんて。あっさりしたものの方がふさわしいのではないか。良いのだろうか。良いに決まっている。


私は一人なので、カウンターに案内される。


コートを預け、カウンターに座り、メニューを眺める。995円の日替わりランチから、3,000円程度のビフカツ、ステーキ丼、1,580円のハンバーグ、1,750円のエビフライのランチ。いろいろある。私は4,500円の特上サーロインのランチを注文した。4,700円のフィレステーキと迷ったが、フィレよりは脂身が多い肉を食べたい気分だったので、サーロインを選んだ。


4,500円と言うと、居酒屋で飲み放題込みの値段である。普段のランチなら1,000円でも高いが、なかなか京都まで来ることはないので、私は数千円の節約よりも、一時の経験を買う。普段は安く済ませているし、聖護院のお不動さんにお参りしてきたので、たまに贅沢しても罰は当たらないだろう。


注文して、料理がすぐに出てくるわけではないので、辺りを見回す。そうやっている間に私のサーロインステーキが絶妙な火加減で焼かれているはずだ。


客は、一人客、カップル、地元の人、日本人観光客、外国人など様々だ。隣の二人客は、医学用語が自然に登場するその会話から、医師だろうか。ここは京大医学部付属病院が近い。また、見るからに高そうなスーツを着た男性客と、羽振りがよさそうな女性客。また、私の分身を見ているような普段着姿の男性の一人客。ランチは日替わりが1,000円程度からあるとはいえ、安い店ではないので、全体的には、お金を持っていそうな客が多い。私を除いて。


私は開店して間もないので、待たずに案内されたが、その後、次々に客が入り、2〜3組ほど並んでいる。平日なのに。観光シーズンでもあり、人気店なのだ。



そのうち私の料理が運ばれてくる。というかカウンター越しなので、「はいどうぞ」と言う感じで、目の前に置かれる。ランチの詳細は、生野菜のサラダ、付け合わせのパスタ、切り干し大根の小鉢(日替わりか?)、味噌汁。切り干し大根というのが京都らしい。そしてそれが薄味なのにきちんと出汁の味が生きていて京都らしかった。



肝心のステーキは、西洋料理のメインで出てくるタイプのステーキだ。鉄板焼きのステーキではなく、厨房で調理された状態で出てくるステーキだ。外側はしっかり焼き目がつけられている。中身は中心に向かうほど赤い。しかしきちんと火は通っていて、中心部まで温かい。絵にかいたようなミディアムの焼き加減。私はレアとかあまり好きではなく、ミディアムかミディアムウェルくらいを好む。このくらいが一番好きだ。


薬味は、酸味のあるポン酢ベースのソースと、マスタード、岩塩を好みに応じてつける。どれも甲乙つけがたい。素材が生きる形となっている。そして上に乗っているガーリックチップ。仕事のある日なら取り返しがつかないことになってしまうが、その日は休みで、ガーリック全然OKである。私はガーリックチップを載せた状態の一切れを、ポン酢の皿に投入して、ソースを肉に絡めて口に運ぶ。食材のうまみが口の中で弾ける。マスタードをつけるとドイツ風。ドイツの古い街のビアホールで食べる肉みたいだ。岩塩。これも合う。手で塩をつまんで揉むようにして、肉にふりかける。絶妙。


柔らかい肉は人を幸せになる。火に当たった外側の少しばかりの歯ごたえと、ぐにゅっとした中心部の柔らかさが絶妙なハーモニーを奏でる。適度にサシが入っていて、全然脂っぽくない。そして肉自体の甘さを感じる。良い肉を使っている。


さすがに4,500円払うだけあり、値段相応の肉。考えてもみれば、4,500円と言えば、鉄板焼きでステーキを食べるよりは安い。チェーンのステーキの店でも良い肉を選ぶとそれくらいする。4,500円と言うと高く感じるが、内容的には良心的なのかもしれない。


130グラムくらいでそれほど大きくないが、とても満足した。私はその日の幸福なランチを終えて、京阪電車の神宮丸田町の駅に向かった。


【はふう聖護院】
住所/京都府京都市左京区聖護院山王町8
営業時間/11:30〜13:30 17:30〜21:30
定休日/火曜日

メトネルのピアノ協奏曲第1番


今日は、私が好きなメトレルのピアノ協奏曲第1番について書いてみたい。メトレルは、ロシアの作曲家で、ラフマニノフより少し若く、ストラヴィンスキーよりやや年長だ。同じロシア出身の作曲家でも、ストラヴィンスキーやたちがおこなった新しい音楽とは一線を画し、一途に古典的音楽を書いた人である。出自を辿ればドイツ系で、宗教はプロテスタントロシア革命後にロシアには戻らず、フランスを経て、最終的にはロンドンで没するという経歴を辿った。

メトレルは、多数のピアノ曲のほか、全部で3曲のピアノ協奏曲を残した。ほとんどの曲がこれまで日本ではあまり演奏されることはなかったが、2004年に、マルカンドレ・アムランソリストを務め、東京フィルの演奏で、第2番の日本初演を行った。1番や3番は日本で演奏されたことがあるのだろうか。私は3番をそれほど好まないが、1番は2番と同じような匂いを持った曲で、規模で言っても同じくらいの作品だが、私が好きなのは1番の方だ。

Piano Concertos

Piano Concertos


ピアノが先導する冒頭の主題が凄い。続くオーケストラ。音の洪水のように猛烈なオーケストレーション。私がこの曲を初めて聴いたときの衝撃は、ニールセンの交響曲第4番『滅せざるもの(不滅)』を聴いたときの衝撃に近いものがある。冒頭の数音を聴いただけで圧倒された感覚は他にあまりない。ニールセンの4番と、この曲くらいだ。突然目の前に現れた巨大なもの。安っぽい共感を拒絶するような孤高の存在。覚悟を求められるような恐るべきテンション。


全曲に渡って、共通するモチーフが支配する循環形式の協奏曲で、ピアノとオーケストラは対等に渡り合う。ピアノが主役でオーケストラは添え物というタイプの曲ではなく、ピアノ入り交響曲と表現しても良いような曲で、その点では、ブラームスの2曲のピアノ協奏曲やシューマンのピアノ協奏曲に近い。そのうえ、ピアノのパートは傑出したピアニストでなければこなせないような超絶的な技巧が必要とされる。3楽章構成の曲は続けて演奏され、冒頭から最後まで素晴らしい緊張感がみなぎっている。

この曲から感じるのは、美しさと厳めしさと雄々しさ(迫力)である。ラフマニノフみたいにロマンチックな旋律と、シベリウスみたいな厳しさ、ニールセンのような迫力。35分弱くらいの曲だが、通して聴くと、一仕事終えたような疲労感と、すごい音楽体験をしたという充実感が残る。


こんなに素晴らしい曲だが、世間的にはマイナーな名曲の範疇にとどまっている。こういう曲は時々聴いて、「良い」と思うタイプの曲なのかもしれないが、私はメトレルのピアノ協奏曲第1番は、チャイコフスキーラフマニノフのピアノ協奏曲と同じくらいの頻度でよく聴く。私のなかではマイナーな佳曲という位置付けでなく、王道のピアノ協奏曲となっている。