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浅草・『弁天山美家古寿司』


久しぶりに東京に行った。


フリーになったのは午後も夕方になってからであり、日帰りであったため、行けるところも限られていた。久しぶりの東京なので大切に時間を使いたい。希望をすべて叶えることはできない。取捨選択が必要だ。


私は、国立国際美術館が夕方まで開いているので、それに滑り込み、夜は東京らしいものを食べて、最終くらいの、遅い新幹線に乗るという計画をたてた。上野の国立西洋美術館に行った後、東京メトロ銀座線で浅草に向かった。


 

 


私は、浅草の『弁天山美家古寿司』さんに前日電話をかけて予約を入れていた。創業は1866年という、江戸前寿司の発祥の流れを汲んだ店の一つと言われている。


どうしてその店を選んだのかというと、まず、江戸前至上主義というか、私は、江戸前寿司への、無条件な憧れがあった。寿司は、生きていた魚を使うような、海の近くで食べられるような新鮮な寿司よりは、昆布で締めたり、煮たり、熟成させたり、ネタに一仕事施している江戸前寿司の方がずっと好みだ。そして、以前に、元ヤクルトスワローズの古田選手がテレビにゲスト出演して、この店の親方の握る寿司を美味しそうに食べている番組を観たことを未だに覚えていた。古田選手は「旨いとしか言いようがない」と表現していた。東京に行った時には、訪れてみたいものだと思っていた。ちなみに『美味しんぼ』の106巻でも「偉大なる名人・名店編」として、お店が紹介されている。



浅草で降り、雷門をくぐり、浅草界隈を散策。日本人にも外国人にも人気の浅草だが、夕方は日中に比べると、人通りも少なくなって、歩きやすい。もうお堂の中には入れないが、浅草寺にお参りして、予約時間の少し前にお店に入る。



「いらっしゃいませ。」


テレビで見た親方だ。当然だが、その時から何年経っているのだろう。あのテレビ番組の時よりは少しお年を召されている。私は名前を告げ、カウンターに案内される。親方の他に職人さんが一人。綺麗な女将さんがメニューを持ってくる。この手の寿司屋では、メニューがない寿司屋が多いが、メニューがあると安心する。メニューにはコースの内容と金額が書かれている。握りだけのものでは、5500円から、刺身や焼物を含む12,000円くらいのコースもある。何でも、寿司屋では「値段があって、ないようなもの」だった時代に、定額のにぎりのコースを考案したのも、この店らしい。かと言って、ネタ札が掲げられていたり、ネタごとの価格リストがあるような、敷居の低い店でもない。老舗の寿司屋に相応しい一定の格式も持っている。


「『美家古コース』をお願いします。」


私は生ビールを注文した後、11,070円の『美家古コース』を注文した。足りなければ、追加すればいい。コースでこのくらいの金額なら、どう転んでも、2万円は行かないだろう。


すぐにビールとお通しが運ばれてくる。お通しは貝柱の醤油煮だった。相当旨い。これなら期待できる。


続いて握りが始まる。待たなくてよい、というのが、数ある料理のジャンルの中で、私が寿司屋を好きな点だ。

  • 平目


「平目の昆布締めです。」「醤油は刷毛で塗っていますが、足りないようでしたら、お手元の醤油をお使いください。」「鯛は皮を湯引きしています。」


私の好きな白身で始まる。醤油の塗り方が絶妙で、基本的に追加の醤油は要らない。繊細さがバランスを崩し、塩辛いだけのものになってしまう。私が住んでいる関西は瀬戸内海に近く、白身の宝庫で、美味しい白身の寿司屋も多いが、このレベルになると区別が付かない。確かに「旨いとしか言いようがない。」


適度なペースで握りの披露が続く。定額のコースとなっているが、おまかせの要領で、進んでいく。このイカはきっと獲れてすぐのものではない。旨みの成分が出るための然るべき熟成期間が置かれている。

  • 北寄貝(ホッキガイ)


北寄貝はあまり得意ではないが、美味しい。白身から、イカへ、イカから貝への変化が楽しい。握りは人肌よりも少し冷たいくらいの温度で、シャリはパッとほどけるというよりはやや結びつきが強いという、絶妙なライン。シャリの大きさは適度にある。大阪の平均的な寿司屋に比べると、シャリは辛めだが、過激なほどではない。温度、固さ、大きさ、味、全てにおいて中庸を極めている感じだ。

  • カジキマグロの漬け


ここで赤身の魚が登場する。カジキマグロはマグロよりは淡白で、後味も爽やか。漬けの美味しい寿司屋は、何でも美味しいはずだ。

  • キス


過去にキスの寿司をあまり食べた記憶がない。おぼろが挟んである。基本的には淡白な味だが、仄かな甘みがあって、香りも良い。


親方が握る姿には一切の無駄な動きがない。私は、料理をしている姿を見ているのではなく、伝統芸の、定格化された動きを見ているのではないか。能や狂言の舞台を見ているような気持ちになった。

  • コハダ


一番楽しみにしていたコハダ。しっかり酢で締められている。自然と背筋が伸びる。いったんリセットされた気持になる。「江戸で寿司を食べている」という感じがする。コハダは相当、仕事に時間がかかっているはずだ。一口で食べているが、このコハダを提供するまでにはどのくらいの時間が費やされているかと思うと、感謝の気持ちしかない。

  • カツオ


「生のカツオです。」


ここまでは仕事をしたネタばかりだったが、初めてそのまま出される寿司がカツオだとは。戻りガツオのシーズンか。生のカツオの臭みは当然ない。

  • 赤貝


「赤貝です。甘酢で酢洗いしてから握っています。」


赤貝はそんなに好きではない。高価なネタであるし、それほど好きでもないので、寿司屋では普段はまず注文しない。しかしお任せに入っているので有難くいただく。甘酢で洗っているからなのか、赤貝特有の香り(私はけっこう気になる)が薄れて、食べやすいように感じる。


二番目のイカ。先刻のイカと全然違う。先刻のねっとりとしたスミイカと、今度の弾力があってグミみたいなスルメイカの違いを実感する。秘伝の煮ツメが塗られている。

  • 才巻き海老(サイマキエビ)


クルマエビの小さいもの、サイマキエビです。茹でてから甘酢に漬けています。」


クルマエビ特有のザクッとした歯ごたえに加え、酸味がシャリと絶妙なバランスを見せている。

  • タイラギ(平貝)


私は、貝の中でもタイラギが好きだ。アワビと競るくらいに好きだ。


穴子です。うちの穴子は、爽煮(さわに)といって、白く仕上げています。」


煮込むのではなく、短時間、煮るのだろうか。それを軽く炙っている。確かに白い。文字通り、爽やか。一般的な煮穴子と違って、プリプリとした弾力があり、以前に明石で食べた生に近い穴子のようだ。表面に軽く塗られた煮ツメもコクが凄い。

  • 玉子


「玉子は海老のすり身を混ぜて、間におぼろを挟んでいます。」


この手抜きのなさ。まさに江戸前寿司の玉子。玉子であって、玉子ではない感じだ。


そういえば、マグロがまだ出てきていない。マグロは最後に出るのか。

  • マグロ漬け
  • マグロ赤身。
  • マグロ中トロ


最後に怒涛のマグロづくし。漬けは酸味と、燻製みたいな凝縮した旨味を感じる。このレベルの漬けはなかなか食べられない。赤身は私は大好きだ。昔は赤身の酸味が苦手でそれほど好きではなかったが、いつの間にか好きになり、今は美味しい赤身を進んで食べたいと思っている。できれば3貫くらい続けて食べたい。中トロは、やっと会えた感がロールプレイングゲームの大ボス級。そんな大ボス級の中トロは口の中に入れると、シャリと渾然一体となって溶ける。

  • 干瓢巻


「以上で終了となります。」


干瓢巻は、子供の頃によく食べたが、関西では太巻きに入っているものを除き、ほとんど食べない。寿司屋でも、干瓢巻よりは、カッパ巻(胡瓜)がポピュラーで、私にとって謎の一つなので、すっかりその味を忘れてしまっていた。江戸前の辛めのシャリと、甘い干瓢はやっぱり合う。


以上、17貫に加え、巻物。これで11,070円というのは、絶対額としてみると安くはないが、内容を考えると、お値打ち価格と言っても良いのではないか。


かなりお腹もいっぱいになっていた。かなり満足していた。しかしもう少し入りそうだ。


「追加で握ってもらえますか。」


「どうぞおっしゃってください。何を握りましょうか。」


私はさらに気になるネタを注文することにした。クラシック音楽の演奏会に例えると、これからはアンコールの時間だ。アンコールが印象的な演奏会というものがある。しかし、寿司屋では、アンコールを選ぶことができるというのが、演奏会との違いだ。

  • 蛸(タコ)
  • 蛤(ハマグリ)


蛸と蛤は食べてみたかった。どちらも生ではなく仕事がされているネタであるし、とくに蛤は仕事の様子が一番わかるネタだと思うからだ。


蛸は当たり前だが先刻食べたイカとは違う。イカとエビを足して2で割ると蛸になるかもしれない、と妄想した。


蛤はまさに江戸前のネタだ。蛤は私が住んでいるところではなかなか食べられない。以前も大阪で注文しようと思ったときに、「今日は蛤なくてすみません」と言われてこともあって、普通に蛤を揃えている東京の寿司屋が有難い。


もうかなり満腹に近い。しかしまだまだ、だ。

  • マグロ赤身
  • 玉子


「マグロの赤身と玉子を1貫ずつ、もう一回握ってもらえますか。」マグロは漬けと迷ったが、赤身にした。漬けはカジキマグロで食べ、本マグロでも食べた。そのことを記憶として取っておき、もう少し食べたかった赤身にした。玉子は最後の締めとした。一体いくつ食べただろう。何種類もの魚介類と寿司飯で、きっと胃の中でちらし寿司になっているはずだ。


「あがりをいただけますか。」


もう入りきらない。私はお茶で胃を落ち着かせ、そろそろ帰るため、勘定を済ませることにした。


「14,000円になります。」(端数は覚えていない。)


意外に収まったな、と思った。考えてみると、江戸前の歴史を背負ってきたかのようなこの店で、満腹まで食べて、ビールも一本飲んで、14,000円というのは破格と言えるのかもしれない。


コースに上乗せとなった3,000円の内訳を考えると、ビールが550円。蛸が600円、蛤が850円、玉子が300円。マグロが700円、といったところだろうか。勝手に想像した。コースに比べると、単品は高いが、それでも良心的だ。第一、握りを21貫(と巻物)も食べたのだ。それで14,000円はじゅうぶん納得できるものだった。


意外に早く店を出ることができた。饒舌な店ではなく、職人的な店だった。しかし寿司屋というのは本来、ファーストフードであったはずだ。そういう意味でも伝統的な店だった。おかげで最終に近い新幹線で帰るはずが、少し早めの新幹線に乗ることができた。